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私の淀40年物語

「私の淀40年物語」スーパークリーク(1988年菊花賞1着)

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さて、88年タマモクロスがどん底からトップへ上り詰め、オグリキャップが笠松から中央へ来て連勝し、そして武騎手がスーパークリークで菊花賞を制して初クラシック制覇、しかも抽選を突破しての勝利で、何か持ってるって思わせる存在が馬も人も出てきて、競馬が目立つ存在に変わってきた年になりました。

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でもこの時点で2021年から振り返ると33年前、このころ起こり始めた歓声がタレントによって大きくなり継続して、今に続くとは。やり始めた本人は大きくなりすぎて他人事のように見えているのに。

 

「私の淀40年物語」タマモクロス(1988年天皇賞1着)

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勝てなかった馬が、内を突いて追い込むというイン強襲で勝ち続けて、半年後には天皇賞を制しているという、地方から来た馬が中央馬を負かすサクセスストーリーは描きやすいために、競馬に興味がなかった人にも共感を得るけれど、1年前には下級条件で3秒負けていた馬が、すべてをひっくり返すタマモクロスの差し脚は、競馬ファンの心を何倍も捕らえることになりました。

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変な話、そんなうまい話はないよなって私は思っていて、それで勝つとなんだか心が勝手に熱くなってる。そんな存在がタマモクロスです。それにしても本番までインコース強襲とは。鞍上南井騎手の馬を信じた男気のある騎乗も鮮やかでした。

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「私の淀40年物語」サクラスターオー(1987年菊花賞1着)

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このころのG1レースで、私はファンファーレに合わせて新聞を叩きそして振り始めました。誰もそんなことしている人はいませでした、なぜか少しづつではあるもののすぐに広がっていって、小さくなることはなく、G1のスタートになれば、独特の歓声があがりレースが始まり、レース記録としてもスタートでなくその歓声からがレースとして記録されることになりました。そこまでもやった方はいるでしょうがつながったことは一度もなかった現象が、ここからは逆に繋がって切れることなく続くことになった、その最初は私です。

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87年菊花賞は、自分的には盛り上がらないレースでした。春から勢力が変わらず、多分一番強いはずのサクラスターオーは4月の皐月賞圧勝から故障してのぶっつけで、当時としては出走させることすら無理を感じることでしたから、レースにはならないと思っていました。有力馬は関東馬ばかりで関西のスポーツ紙の紙面からの熱が例年より感じられず、土日なにか仕事が入るのは当り前の時代で日曜日午前仕事が入っており、遅く終われば行かない予定でした。

何とか間に合って、駆け付けた時間にはもうパドックが始まっており、一番後ろから脚立の上に立って眺めて、強い北風の中、凄い踏み込みのスターオーを見ながら、「1回使っておれば圧勝だったのに」と思ったことは覚えています。夢のごときレースが終わって、家に帰り買ったばかりのベータのビデオで「菊の季節に桜が満開!」の関西テレビ杉本アナの伝説的実況を聞きました。この実況を聞くと強かった北風の中にいた記憶が今でも蘇ってくきます。スターオーは、有馬記念で故障発生し、どこかへいってしまいました。

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さてなぜ私がファンファーレに合わせて、現在まで続く歓声の最初になったかは、理由も含めて書かないつもりです。この歓声に魅せられて、本当にたくさんの人が競馬に興味を持って、競馬をはじめ、理解者になり、中には馬主となった人もいるでしょうし、理解のある参加者が増え続けることで、減少分をカバーし続け、他のギャンブルと比べてギャンブル不況の時に落ち込まず、そのことで賞金を保ち、馬の値段が低くならず高いまま推移し続けて決まってというサイクルが今日まで続けられました。その中心にこの歓声はあります。となると最初の人間が動機を理由を示さなければ、だれも、例えば大成功した牧場でさえ自分たちがなぜこうなのかを本当は知らないことになり、その世界での運が良かっただけの成功ということになります。

そのことで、自分たちが実は自ら作った世界でなく恩恵だけを受けている世界だとマスコミも含めて認識してもらいたいしのです。認識して、権威的にならず、社会に公開しながら閉鎖的にならず、発展しようとする態度を持ってほしいと思います、(それができなければ退出してほしいです。)その態度をとってもらうには、知らせないことが一番だと思うのです。

ただ今回の記事で知ってほしいのは、競馬場でのあの歓声が京都競馬場で生まれたものだったっていうことです。

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「私の淀40年物語」タレンティドガール(1987年エリザベス女王杯1着)

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記録を見ると最後の最後で追いついて僅差勝った記憶なんですが2馬身勝ってるんですね。マックスビューティの牝馬三冠がかかっていたので、そこで記憶がフリーズしてしまったのかもしれません。

このころリマンド産駒がクラシックの距離で幅を利かせていたので、この馬の状態が上がっているとの報道は持っていましたが、そこまでとは思わなかったのが今でも本音で、いまだとわかりにくい中長距離血統ですが、このころは確固としたものというか、欧州直結的なものがあり、血統表を見る分にはというか、種牡馬関係本と新聞の血統ランを見比べながら想像するのは楽しいものがありました。

「私の淀40年物語」マックスビューティ(1987年ローズステークス1着、エリザベス女王杯2着)

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ローズステークスでマックスビューティの圧勝をみて、2年連続の牝馬三冠は間違いないだろうと感じました。とにかくここまで仕事の関係とかでマックスビューティを見れませんでしたので、必死のパッチでローズステークスを見に行ったのを覚えています。

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大きな感じがする馬で、その馬に田原騎手が楽そうに、リズムを取って乗っていて、一頭だけ違うなっていう感じがする馬でした。

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エリザベス女王杯は最後の最後でタレンティドガールにやられた感じで、そういう逆転が起こるのがこのころの11月の淀の魅力というか魔力なんですが、三冠見たかったなとは今でも思います。

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上2枚ローズS、下2枚エリザベス女王杯です。

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「私の淀40年物語」ミホシンザン(1987年天皇賞春1着)

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4歳時を故障の影響かさえなかったミホシンザンですが、5歳になって連勝してきて、楽に天皇賞を勝つだろうなと思って見ていて、内に切れ込んで、突き放した時はやっぱりと思ってカメラを向けたのですが、レースは大外からニシノライデンが一気に来ていて、接戦になりました。

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結局ニシノライデンは、直線で斜行したために、失格となり、(今のように降着失格がないので単なる失格)その接戦の記録が残ってないのが残念ですが、本命馬が勝つゴール前のざわつき方でなく、いったいどうなるんだっていう声を聞きながらもカメラはミホシンザンに向けていた記憶はいまでも残っています。

ニシノライデンはルドルフ世代であり、改めて他の世代のトップと接戦できる能力に、その世代で突き抜けていたルドルフの凄さを思い知った瞬間でもありました。

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ミホシンザンが皐月賞、菊花賞、天皇賞春、ミナガワマンナが菊花賞と、シンザン産駒の大レースでの勝利は4勝のうち3勝までが京都であり、栗東に集約される前に、京都競馬場の武田厩舎で過ごしていたシンザンと淀の相性は良かったのかもしれないなと思います。

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シンザンが取れなかった中山での皐月賞(シンザンは東京で施行の皐月賞を勝利)、春の天皇賞(シンザンは春は出走せず秋の天皇賞3200を勝利)をミホシンザンが制覇することにより、日本の牡馬の根幹のレースを産駒ぐるみで全て勝ってしまったことは珍しい記録かもしれません。

「私の淀40年物語」メジロデュレン(1986年菊花賞1着)

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さて、86年菊花賞です。勝ち馬のメジロデュレンの成績を調べると5月に初勝利、そこから5勝目が菊花賞。2着は暮れに有馬記念に勝つダービー馬ダイナガリバーというのですからレベルは高かったと。

父はフィデオン、うろ覚えですが野平雄二騎手がフランスに移住して、日本人馬主が共同で馬を買って、野平騎手騎乗で走らせて、海外の大きなレースに、という志の元の一頭で輸入され、種牡馬となり、メジロデュレンを出したと。

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メジロデュレン自体はステイヤーと呼ぶにふさわしいのかもしれません。ペースがきつくなった12ハロン以上では強さが感じられる馬でした。メジロマックイーンの兄でもあります。

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それにしても雨の中を、今のように場所取りして、パドックでもレースでも直前にやってきてしれっと最前列で撮っている輩と違い、ずっと待ち続けてのパドックもレースも写真撮影、偉いなぁ。

 

「私の淀40年物語」メジロラモーヌ(86年、唯一の牝馬三冠馬)

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牝馬三冠馬と言っても、内回りの2000の秋華賞が三冠目になってからは多く、2400のエリザベス女王杯が三冠目の時はメジロラモーヌ一頭しかいないといういわば、旧スタイルで唯一の三冠達成のレースを見れたことは凄く大きかったのですが、写真は失敗しています。

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三冠をうまく撮ってやろうという心が大きすぎてこうなったのは今でも自分の教訓です。2400の三冠目はとても魅力があったので、今となっても秋華賞での三冠目にはなぜか納得がいきません。欧州のように三冠目はセントレジャーしかないように、牝馬三冠も三冠目は菊花賞で語られるべきかもしれません。

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メジロラモーヌの印象はただただ強かったしか今でも覚えていません。いまならマイルからの牝馬路線で君臨していたと思います。

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「私の淀40年物語」スダホーク(85年、86年)

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スダホークはシーホークという長距離血統種牡馬の産駒で、ダービー、菊花賞と2着で、その時の騎手が関西の田原騎手という関係もあってか、特に冬の関西の中長距離の重賞に、当時としては大きなレースかトライアルレース以外に関東馬が走ることはなかったのですが、関西にやってきて田原騎手鞍上で。86年87年に勝ちまくりました。

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当時関西のレベルはものすごく低くて現在のダートの指定交流戦での中央と地方の差くらいの感じがありました。なので、弱いとわかっていても良く通う地方の競馬場の馬を交流グレードで必死に応援する感覚はよくわかります。強いなやだな強いなやだなと繰り返して浮かんでくるのがこの馬に対しての印象でした。

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上が86年1番人気での春の天皇賞、下2枚が2着になる85年菊花賞、右後脚のバンデージはずっとしていたようです。

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「私の淀40年物語」クシロキング(1986年天皇賞春)

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86年は、冬の関西の重賞に前年ダービー、菊花賞で2着のスダホークが、適距離と当時のあまりの関西のレベルの低さを狙って、関東から来て勝ったりして、春になって2000のサンケイ大阪杯で負けて、1番人気で天皇賞に出てきました。前年の2冠馬ミホシンザンは故障、ほかの馬たちも小粒な感じがする馬、実力はあるけれど故障がちの何とも病的な感じのする馬やクシロキングのように明らかに2000くらいに適性があると思われる馬で、その中でやればスダホークが強いのはわかるけれど、世代2番手が明らかな馬だし、モンテプリンス、アンバーシャダイ、シンボリルドルフと見てきた春の天皇賞なので、なんだかスダホークが勝っても気の抜ける天皇賞だなと思ってみていました。

以前にカツラギエースという2000くらいでは強いけれど、3000超えるとどう乗っても惨敗する存在の印象が強かったからかクシロキングをその存在と重ねて見ていて、クシロキングが勝った時は自分の感性が壊れるくらいになって、長い間カーッとなっていた思い出があります。

1頭1頭個性は違うし、それぞれにこなせる距離や条件があるし、ともっとつぶさに馬を見ていかないとダメだなと、思い返すと現時点では思いますが、その時はダンダン若造が部署を任されて仕事に勝手に比重をおいて仕事ができれば鼻が高くなる頃でしたから、あんまりそれは思いませんでした。

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レース後、競馬場で顔見知りになった同年齢の人が枠連万馬券になった特券を見せてくれました。「これで今年はトントンになった」の言葉にここまでどれだけ負けていたんだろうと、レースと同じくらいの衝撃があったのを覚えています。

クシロキングのレース写真はありません。馬場一杯になってのレースでそれがゴールに向かって集約してくる。どこを撮っていいのかわからないレースでした。80年代に入って天皇賞の勝ち抜け制度はなくなり、何度でも出走できるようになりました。上の3番が86年、下の10番が87年です。

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