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私の淀40年物語

「私の淀40年物語」アンバーシャダイ(1983年天皇賞春)

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前年82年春の天皇賞でモンテプリンスに負けたアンバーシャダイが出走してきて、横綱相撲かと思ったら、同じく前年の菊花賞馬ホリスキーに追い込まれ接戦になる迫力のあるレースでした。この時代関東馬が強すぎる時代で、この2頭も関東馬、情報のない時代、関西は関西だけの情報でしたから、強すぎる関東馬ほど威圧感のあったものはありません。

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ただこのホリスキーが王者であるアンバーシャダイに迫ったという強い印象が次の年の波乱の導線になります。

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アンバーシャダイは、メジロライアン、孫がメジロブライト、メジロドーベルと三代にわたるG1制覇と種牡馬としても成功してそれなりの有効な影響力もあるはずなのですが、このころの中長距離中心からマイルから中距離中心に日本の競馬がシフトして、良質な影響力を保てなくなり、忘れられた感じの存在になってしまっています。

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このころの関東馬が強さは、イメージだけだと高校野球の1回戦で私立の強豪校と公立の弱小高校が試合をして大差がつく感じの開きがイメージ的にあって、しかも福永騎手の落馬以来信頼できる騎手も不在であり、関西では競馬の人気がグッと落ち込んでいました。

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なんとかしようと思ったのか横で引き揚げてくるアンバーシャダイに向かって紙テープを投げていたニイチャンがいたのをいまでも鮮明に覚えています。いまなら警備員に連れていかれますが、馬にも届かず、誰も怒りもせず賛同もせずで、シラけたなかをテープを片付ててました。あれからもう37年なんですねぇ。ハゲるはずです。

「私の淀40年物語」1982年ニホンピロウイナー(デイリー杯3歳ステークス)

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当時は2歳が3歳、2歳戦の頂点は東西それぞれに12月にマイルの3歳Sがあって、それにはクラシックを狙う馬も間に合ってくるけれど、11月には7ハロンのデイリー杯では、まだ早熟な短距離馬が優勢な結果になることが多かったのです。

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短距離馬スティールハートを父に持つニホンピロウイナーもそうだと思われていました。

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ところが、そこからマイラーとして覚醒し、マイラーの分野を一気に作り上げて、最初の名馬として輝いてしまう。素晴らしい名馬を早くから淀で見ていられたのはとても幸運なことと思います。

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「私の淀40年物語」1982年ビクトリアクラウン(エリザベス女王杯)

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名古屋競馬が開場するとか、17日には地方重賞もあるので出かけてみようかと思ったりします。競馬場に通って30分に1回のレースを見て過ごすのはなによりの時間ですから。

1982年が長くなりました。ちょうどテンポイントが中学くらいの時期に出てきてっていう世代が競馬場に多くいて、下宿をしていた私は、競馬場に通って同じ思いの人と知り合い、楽しい時期でした。

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ビクトリアクラウンは今でいう2歳女王で、春のクラシックの絶対的存在でしたが故障、秋の1冠に間に合わせてきて、まさに力の違いを見せて勝ちました。テスコボーイの種牡馬での大成功で、テスコボーイの父プリンスリーギフトの産駒が多く日本にやってきました。その一番手がファバージであり彼女はその産駒です。産駒はきれいな馬体をした馬が多かったと思います。鞍上は当時タケホープでハイセイコーの敵役だった嶋田功騎手です。

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お金がない学生時代、缶コーヒーと今でもあるカレー味のホットドッグで我慢してパドックに張り付いて、馬体を見ては種牡馬の名前がなにかを当てる一人遊びをこのころよくやっていました。なのでファバージの産駒のラインはよく覚えています。

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ネットで調べながら書いているのですが女王杯の後、彼女の成績は振るいません。長距離の大レースに照準を絞って馬の成長は二の次で使ってくることが影響したようにも今からだと見えてしまいます。

2着はミスラディカル、騎手は音無騎手(現調教師)、音無厩舎の愛馬スティッフェリオがG1勝ったら、その当時の写真を祝勝会にもっていって、昔話に華を咲かせるのが最近までの小さな夢でした。

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「私の淀40年物語」1982年メジロカーラ(京都大賞典)

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ハリウッドターフクラブ賞として始まった京都大賞典は、不思議なことにこの10月の京都にずっとあり続けるレースです。菊花賞が11月実施の時は、ここを叩いて菊花賞へという牡馬も結構いました。

だけど当時としては、3歳牝馬がこの時期に、古馬を相手に勝ち切ってしまうことはあまりなかった。それをメジロカーラがやてのけました。メジロカーラは前走の9月実施の朝日チャレンジカップでヒカリデュールの2着、距離を伸ばしてきて勝ち切りました。

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パドックで前足を前掻きしながらあるく癖のある馬でした。当時3歳牝馬のビッグレースがエリザベス女王杯でしたので、そこでの勝利を確信していましたがビクトリアクラウンに負けました。斤量に敏感な馬で55キロ前後の0.5キロで着順が変わる馬でした。

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貴重なメジロアサマの産駒の一頭です。

「私の淀40年物語」ホリスキー(1982年菊花賞)

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目の前で見られなかったマルゼンスキー、マイルならトウショウボーイに負けるわけないと、当時のラジオ短波の昼休みのフリートークで、大川慶次郎さんと渡辺正人(騎手)がともに言っておられました。その産駒のホリスキーが秋に本格化して、ハギノカムイオー他の春のメンバーを完全に撃破する。ホリスキーの菊花賞は凄い競馬でした。

 

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少しマルゼンスキーの片りんを見せてもらった感じもしたし、レンズを覗いていて、大きなレースなのに、レンズの中に1頭しかいない、しかも3000のレースなのに、ゴールへ向かう推進力が少しも衰えるどころか加速しているように見える。大迫力に圧倒されました。

 

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「私の淀40年物語」アズマハンター(京都新聞杯より)

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私が競馬写真に目覚めるキッカケはこの写真だったのかもしれません。アズマハンターは皐月賞馬、当時ケンタッキーダービーを何年も連続してボールドルーラー系が勝つので、ボールドルーラー系(セクレタリアトもボールドルーラー系)全世界的に流行り日本にもやってきたうち一番競争成績が良かったダストコマンダーの産駒でした。

鞍上の顔が切れていますが武邦彦騎手です。その当時若い私たちが一眼レフを下げて馬を追いかけるのを怪訝そうな表情を浮かべてみておられたのを覚えています。秋の光の中で、物憂げな人と馬、一瞬だからできるなにか、ここから始まってしまったのですわ。

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「私の淀40年物語」ワカテンザン(1982年京都新聞杯より)

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テンポイントのファンというか、当時関西だとそれしか選択肢がなかったんで、テレビでしか見たことないテンポイントの影を、姉オキワカの子供のワカテンザンに求めていました。

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気の強い馬で、ガーっと走る感じで、仕掛けところが難しかったんじゃないのかなって今となっては思います。父は2歳戦とはいえ、ミルリーフを負かしたマイスワロー、オタクにはもってこいの馬でした。皐月賞、ダービーで2着、その後期待されましたがちょっと勝負弱い感じが続きました。

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下2枚は菊花賞です。

「私の淀40年物語」ハギノカムイオー(1982年京都新聞杯)

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82年1月京都でデビューし逃げての3連勝で、セリで2億に迫る価格での話題が確信に変わりましたが、皐月賞は惨敗、その後は中距離の先行馬として活躍しました。11月に行われていた時代の菊花賞の直前のトライアルは京都新聞杯、ここを逃げずに先行して差し切ったんで、競馬場でもにわかにファンの菊花賞への期待が高まっていたのを覚えています。

「私の淀40年物語」1982年モンテプリンス(天皇賞春)

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モンテプリンスは、父は欧州長距離系のシーホーク、前年の秋の天皇賞3200を僅差で負けて、春に万全を期してきました。ホントの横綱相撲で勝ち切って、この後宝塚記念にも勝ちます。

道悪が下手な馬でした。衝撃だったNHK杯、当時はダービートライアルでした。楽にぶっちぎって勝ちました。だけどダービーは2着、秋の菊花賞も2着、勝負弱さが印象的な面もありました。

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2着になるアンバーシャダイの加藤騎手の「ゆっくり3コーナーの下りをいかないと最後脚が上がるって聞いていたけれどそうでもなかったな」っていう真実なのか負け惜しみなのかのコメントが今でも印象に残っています。私にとっては初めて淀で見る天皇賞でした。

「私の淀40年物語」1981年サルノキング「これぞ化け物」

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さてもう一つ1981年で、サルノキングです。京都3歳S(現在は2歳S、このころは数え年)1400での末脚は信じられない域を超えていました。最後方からもう来ないよなってあと200で確信できる位置からの差し切りの大楽勝、負かした相手が名馬のヤマノシラギク、大きな馬がまるで飛び続けているように動く感じでした。ディープインパクトの若駒Sを凄いという人もいるけれど、ちょっと何段もレベルが違う感じがします。

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だからこそのスプリングSでのスローでの最後方待機であったと。アイドルと化したハギノカムイオーの逃げを後方間に合わない位置から楽々差し切って「マダマダ」ってカッコつけられることってそんなにありませんから、この快感を確実に味わえるからの最後方待機であると。当時テレビ観戦でしたがサルノキングが大外からあざ笑うかのように差し切ってしまうレースを想像して道中ワクワクしてましたから、(故障していたんですが)直線で伸びないショックは相当なものでした。

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丁度その何年か前、サーアイヴァーでピゴットが同じように周りからみたらムチャに控えて、直線で猛然と追い込むレースをワザとして、それで少ししか勝たないんで、それは公正さを含めていけないんじゃないのかって大きな批判になったそうですが「サーアイヴァーだから」っていう答えピゴットは平然としていったそうです。サーアイヴァーに乗ったらその凄い末脚を味わいたくなる。そういう存在だったそうです。サルノキングもそうだったのではないでしょうか。スプリングSで馬主が変わる前に少し無理してレースを使ったことがスプリングSの時の脚元とかなにかに影響をしていたと私は思っています。

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