写真が出てきたので飾れます。いつのレースかも忘れましたが、調べてみると51戦したとのこと。夏の小倉にも勝ち鞍があります。全く印象はないけれど、掲示板にはよく来ている感じの馬であったことは憶えています。メジロマックイーンの2着に入ったこともあり、たしかマックインーンが出るレースでは好走するため、マックインーンが好きなんじゃないのかと言って笑っている人が周りのもウンといた馬を擬人化していた時代のヒロインです。
父はディクタス母父ノーザンテーストはサッカーボーイなどと同じ配合で、ステイゴールドの母方の配合でもあります。ステイゴールド産駒オルフェーブルは、母父メジロマックイーン。イクノディクタスを見ているとなんだかなんか不思議な力がありそうな気が。。。
(96年3月フラワーパーク)
大好きだったニホンピロウィナーが日本の固有の牝系を持ちながら短距離を中心に一流レベルの馬を出し続けたことは特筆されると思います。
(93年マイラーズC、ヤマニンゼファー)
代表産駒は、フラワーパークとヤマニンゼファーでしょう。
フラワーパークは、96年に高松宮記念、スプリンターズSを勝ち、
ヤマニンゼファーは、92年93年の安田記念、そして93年秋の天皇賞を勝ちました。
ニホンピロウィナーを語るとき母方に3×3で配合されたハイペリオンの影響が早熟でありながら古馬になってのさらなる驚くべき成長にあるとされましたが、子供達もそれを受け継いだ馬が多かったように思います。
ただ3才戦の荒波に翻弄されて、完成される前に消えていった馬たちもいました。
(上90年阪神3才、下91年きさらぎ賞)
ニホンピロアンデスは、90年阪神3才をイブキマイカグラの2着となり期待されましたが、その次の道悪のきさらぎ賞で翻弄され終わってしまいました。
(95年10月オパールS)
特に惜しかったのは、ニホンピロスタディです。95年3才で夏の北海道で混合のオープンに勝ち、エイシンワシントンも出走した10月のオパールSを逃げ切りで完勝し、暮れに行われたスプリンターズSでも4着となりますが、翌年故障し、秋に復活しましたが競争中に故障して終わってしまいました。
最初の故障の時、レースを教える目的とかの口実で無名の鞍上が好位からの競馬を無理からに押さえて10月以後するようになりました。
競馬を教えると言っていましたが。。
母父はファバージでしたから、どちらかといえば一本調子の血統でしたし、この後も早熟でなくジワジワ成長する父の影響を考えれば、直ぐに結果を得たいとする人間側の血統無視の身勝手な騎乗といえると思います。それでも一流馬の成績を収めていたのですから相当強かったのではと思います。
坂路など多様指定来ていたなかで調教もダートのBコースばかりのワンパターンで行われて、個性を認めない方針でした。それが最初の故障の遠因をそして復帰後の不調、不運を呼び込みました。
(96年3月)
ハッとするほど父に似ていて、血統通りのスピード馬でしたので、いまでもとても残念です。
(安田記念2着のトーワダーリンは、安田記念のページでお願いします。)
(94年マイルCS)
ナリタブライアンの三冠馬に湧いた94年もう一頭三冠馬がいました。ノースフライトです。
(安田記念↑)
まず、京都牝馬特別で圧勝し、中京で行われたマイラーズCも同じく圧勝します。マイラーズCは今と違い、その歴代勝馬からも分かるように大きなレースの一つでした。そして、5月に行われ、まだシーズンの始まらないヨーロッパから一流馬が、トライアルの京王杯から参戦した安田記念に割と劇的さを感じさせずに勝ちます。
(マイルCS↓2着はサクラバクシンオー)
休養をはさみ、スワンSでは、サクラバクシンオーの1分20秒を切るレコードタイム(キンシャサキセキが破るまで破られなかった)に2着と敗れるものの、距離が伸びたマイルCSでは見事に逆転して94年の主要なマイルのレースを全て圧勝してしまう驚異的な結果を残しました。
たとえ、圧倒的な差を後続につけてクラシックを勝ちまくる三冠馬が出現しても、ヨーロッパなら、年度代表馬の議論は大いに盛り上がり、彼女に半数近い票が入ったでしょう。それはマイル戦より長距離の方が、混合戦より同世代のレースの方が差が大きく着いてしまう場合があることを分かっているからです。
そしてそれはスポーツとして競馬が存在している証でもあります。
誰ももいませんでした。何の議論も起こりませんでした。もし何かの分岐点を上げるときが来たとき、誰もがこのことを見つけると思います。
94年牝馬の王者は、ヒシアマゾンでしたが、彼女はマル外でクラシックに出られず、女王杯の場が強さを再確認する場になりました。同世代の牡馬ナリタブライアンと比較されることもあったので、彼が先に菊花賞を圧倒的に勝ちましたから、その再現を彼女もやるものと思われましたが、ゴール前は大接戦でした。ヒシアマゾンは、この後有馬記念2着、次の年のJC2着となります。大きくて強い馬でした。
(チョウカイのみ95年京都記念)
チョウカイキャロルは、ブライアンズタイムの初年度の産駒となります。母の父はミスプロで、今でなら大変なファッショナブルな血統ですが、 その当時は短距離の母父にロベルト系種牡馬ですから、ヘンテコな血統だなと思いました。
オークスを勝って、ここでも接戦を演じ、その後も2400位ならそんなに牡馬に負い目がない馬でした。流星に明るい肌の色と派手に見えるはずなのですが、随分地味な感じのする馬でした。
オグリローマンは、オグリキャップの妹です。笠松からやってきて、最初苦戦しましたが、チューリップ賞で田原騎手騎乗で大きく変身しました。
本番の桜花賞は、武騎手で1着。でもそれで物語は終わりました。桜花賞を勝つために走った感すらありました。
(女王杯はこのころは3才限定で施行。)
(91阪神JF)
ニシノフラワーは、91年2才時から、速さ強さを見せて、新装なって本格的な洋芝が主となった阪神競馬場で最初の阪神JFの勝ち馬となります。
92年には桜花賞を勝ち、牝馬三冠路線を歩みますが、母父ダンジグでは少し長い距離ではスタミナが足りず惜敗しますが、暮れのスプリンターズSに勝ち、93年春にはマイラーズCでヤマニンゼファーに完勝してハッキリマイル以下が適していると示します。しかしその後何故か勝てませんでした。
改装当時の阪神競馬場は、洋芝の比率が高く、時計がかかりました。マイラーズCも1分36秒台で圧勝しています。こういう馬場にむいていた面もあったのだと思います。
(93年スワンS)
黒くて細い馬で、スピードの固まりといった感じの馬でした。血統も憧れていた馬が血統表に集結している感じでした。
(91年阪神JF)
シンコウラブリイは、91年のJFでニシノフラワーの3着に入り、その後マイル中心に使われます。NHKマイルがない時代の春のマイル戦ニュージーランドTに勝ち、秋にはエリザベス女王杯に出られたにもかかわらず、連闘でマイルCSに挑戦して2着になります。
このレース、カメラを持たずに仕事帰りに見ていたのですが、カンカン場に引き上げていた後、馬が相当うるさくて荒れていたのですが、馬服を着せられるとそのテンションが一気に下がり、サッサと馬道に自分から向かっていったのが印象的でした。
彼女は天性か調教かは分からないですが、感情をオンオフを3才の秋の時期に完璧にできる馬でした。
(93年スワンS)
93年もマイル中心に使われ、秋にはスワンS、マイルCSをともに完勝します。彼女はカーリアン産駒の日本での可能性の大きさを示してくれました。
(桜花賞)
93年1月、正月京都の新馬戦は、血統馬がそろった注目のレースになりました。トニービンの初年度の産駒で、母父がノーザンダンサーという血統の牝馬が見られることを理由にして私もでかけました。
(新馬戦)
パドックの最初の1周目で彼女を見たとき、何かが自分の中に生まれてくるのを感じました。
(新馬戦1月9日:この新馬だけ橋本騎手)
出来も毛艶も悪くて、周りのオヤジたちは、印を付けている新聞を殺意をもって悪く言っていたけれど、そんな中でも生まれてきたものが消えることはありませんでした。
だけれど今日は、素晴らしい出来のカーリアンの産駒のプリンセスメールに負けるだろうことも予想できて、桜花賞には間に合わないだろうことも想像できてしまい、パドックで一人焦っていました。
(桜花賞:脚立から落ちながら撮影した一枚です。)
折り返しの2000の新馬戦を男馬のオープンクラスででさえ出せないタイムで圧勝して、いきなりトライアルのチューリップ賞にに使いますがそれを難なく勝ち、私の心配は杞憂になります。
桜花賞では、前哨戦無敵の強力な先行馬だったヤマヒサローレルの先手先手を奪う武騎手の騎乗で桜花賞を制し、オークスでは、トニービンの産駒らしく圧勝でした。
(桜花賞ウイニングラン)
ぶっつけで挑んだ牝馬三冠のかかった秋の女王杯は、ホクトベガ、ノースフライトという名馬に敗れて3着。
その後の牡馬との闘いでは、良いところがありませんでしたが最初に抱いた彼女が持っていた何かは、彼女の子供達に受け継がれていったようにいまでも感じています。
(94年天皇賞春:阪神で)
ウイニングチケット、名前を聞いただけで、振り向いてしまい、そして豪快なレースっぷりを見ていると、何かを感じてしまう馬を中心にして、93年春のクラシックは幕を開けました。
(93年高松宮杯:京都で↑、↓)
(94年天皇賞春)
皐月賞を勝ったのは、ナリタタイシンでした。ナリタタイシンは暮れのラジオたんぱ賞を勝って、クラシックに勝った最初の馬だと思いますが、トライアルの弥生賞で、きれいなレースをして負けたので、思い切った追い込みにして見事に、皐月賞とそれからの未来を手に入れました。
(93年菊花賞)
ウイニングチケットは、柴田政人騎手に初めてのダービーをもたらしますが、やはりなんと言っても父トニービンの存在が大きかった印象でした。
初年度産駒からのクラシックでのブレークは、日本にあう血統で海外の大きなレースを勝ってきた馬が何をもたらすか、ウイニングチケットのダービー制覇やジャパンカップ好走で示すことになり、円高をフルに使って、ヨーロッパの水準が確実に下がってしまうのが目に見えるほど、種牡馬や外国馬が買われることになりました。
(93年菊花賞)
春のシーズンでは、2冠とも2着と枠順やコース取りなど、力負けでない負け方をしたビワハヤヒデは、菊花賞を圧勝します。
この馬は実は関西馬なのですが、関東のレースが多くて、騎手も岡部騎手なのでそんな印象が全くない馬でした。
93年有馬記念は2着でしたが、1冠で年度代表馬に選ばれています。
(94年天皇賞春:阪神で)
その当時血統表をみるとどうしても2000以上は無理の様な気がしましたが、94年には春の天皇賞、宝塚記念を勝ちました。
三冠馬ナリタブライアンの兄なので、オールマイティーに距離をこなせるのは血統的なものであると後でわかり再認識をしているころには、もう競馬場からビワハヤヒデも他の2頭も去っていました。
3頭とも強烈な印象を与えた馬でしたので、その姿を彷彿とさせるくらいの産駒が出てくるものと当然思いましたが、それすらかなわない状況は、競い合うのに燃え尽きていってしまう部分が多かったと思わざるおえないのですが。。。
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