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叙情的駄作集

「ゆっくりと昔語り始めます⑫」シンボリルドルフ

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今になって思うのは、ダービーを使うときは夏に海外遠征、菊花賞を使うときには中1週でジャパンカップ、春の天皇賞を使うときには、7月のキングジョージと公言して、すべて遠征条件とか、体調とかが整わずに止めてしまって、結局ある程度余裕残しで戦ったレースをほとんど楽勝はしたものの完調ではなく、レースで本当にどれくらいの強さだったかを示せなかったのは、最強馬議論をその後低レベルなものに、例えばG1を何勝したとか等にしてしまわなかったかが今となっては気がかりすぎる点です。

完調ではなかった4歳秋に、ジャパンカップと有馬記念を圧勝していて、そのパフォーマンスをもって他の馬は名馬と呼ばれるレベルのことをやっていて、ルドルフを何度も見れたことは幸運だったけれど、本当にどれだけ強かったか知りたいと。

「うちの馬は今絶好調、だからルドルフの持ったままの5馬身差くらいまで来れる」ってレース前に有名な調教師が公然と胸を張った馬が前年の三冠馬ミスターシービーにほかのレースで肉薄している結果からも、言葉でなくほんとはどれだけ強かったか、レースで見たかったが本音です。それが競馬人生の中で一番残念なこと。

ディープの孫がやっとG1を制した2020年、ルドルフは2頭の孫がG1勝ち馬に、これから種付け技術も上がり繁殖にも恵まれているディープ系が追い抜くのは当り前でしょうが、意外と走っていない三冠馬の孫の世代でもいわば頭一つ抜けている結果が続いていて、惜しむらくは、今のトレセン近くのトレセン機能付きの外厩との往復がもっと自由にできるほどの量と質がその時代にあったら、故障が多く気難しいといわれた産駒の中からも種牡馬になる産駒が生まれてきて、その後大きく根を張っていたかもしれません。そんな時代が見たかったです。

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写真は85年春の天皇賞の時のもの、当時は馬場入場してスタンド前をグルっと1周する形、前の馬が暴れ隊列が乱れて、鞍上の岡部騎手は少し怒り気味、だけどルドルフは厩務員さんをからかって遊んでる、だから厩務員さんは笑っている、三冠馬対決と世間は騒ぎ、相手のシービーを応援するマスコミが多いためかシービーファンが自分たちに優先権があるかのようにパドックにシートを張って場所取りをして、それまでの見たいならジッと待ち続ける競馬ファンの鉄則が崩れた日、絶対の強さのルドルフは遊んでました。

※これで縦型写真を使った昔語りは終わりです。次は40年通い続けた京都競馬場の40年自分史を展開します。

 

「Troy4×4」ヴィクタールドラムVictor Ludorum

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フランス2000ギニーを日本の稍重よりは少し重い重馬場くらいの馬場条件で1分34秒4で勝ったヴィクタールドラム、前年の凱旋門賞で見ていました。どこまで写真を持っているのかわかりませんが、歩いといてよかったと思えるこの頃ではあります。

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血統をみると、母系は重厚というか、1980年代前半にかけてクラシック血統の一翼だったペティンゴの系統が並んでいます。その中でもトロイ、200回英ダービーを圧勝、愛ダービー、キングジョージに勝ち、このレースを3連勝することは当時のイギリスでは最強馬のトレンドでしたが、そのレベルをトロイも達成しています。のちに誘拐された名馬シャーガーもペティンゴの産駒であり、現在から振り返ると影は薄れてしまいますが、3歳春のパフォーマンスは歴史に残るものでした。

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ヴィクタールドラムはそのトロイの4×4を持っています。多分こういう馬たくさんいるでしょうから、何とも言えないのでしょうし、馬は気性が機嫌が最高の悪い時のレイデオロみたいな気性だったのでどうなるかはわかりませんが、距離が持ってしまう印象が本当になれば、この写真の元が十分取れるなと。ウフフ

 

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「ゆっくりと昔語り始めます⑪」タマモクロス

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タマモクロスです。偉大な存在です。オルフェーヴルとジェンティルドンナが叩き合ったジャパンカップ。横にはデートで初めて競馬場に来た20歳前後の彼女がいました。ファンファーレに合わせて湧き上がるスポーツ紙などをたたきながらの手拍子と歓声、あまりの激しさに彼氏に「これっていつからこうなってるの」って尋ねました。彼氏が「いまツイッターっていうのができて、それで調べたやつがいて、タマモクロスの勝った宝塚記念の時にはハッキリ今の形でやっていたらしい」と答えていました。そう思わず拍手をして応援したくなる存在それがタマモクロスでした。

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地方からやってきてエリートの中央馬を負かすオグリキャップの物語も見事だけれど、当時低レベルの関西で負け続けていた馬が勝つたび強くなって、一番内をついて伸びてきて遂には天皇賞に勝ち、宝塚記念では当時中距離では現役最強間違いなしの関東馬ニッポーテイオーを外から差して負かしてしまう。その予感をもってのレース前の歓声、そしてレース後の計り知れない充足感は凄いものがありました。

一つの競馬のレースに過ぎないのにこのレースは、競馬場に来て競馬が好きでも、誰かに見下される時代に、それを1年前まで低レベルの関西馬の底にいた馬が日本の競馬の上限を飛び越えてしまった事実は人の心に新しい競馬を誕生させたのです。だからこの後ファンファーレにあわせて起こる歓声は定着したのだと思います。

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日本の競馬は売り上げが賞金になり、売り上げが高ければ、当然馬の値段も高くて構わない構造です。そのためには、競馬場にやってきた人が再びやってくること、そして競馬自体に感動して、馬券も含めた競馬を繰り返し楽しむことで成り立っています。ほかのギャンブルスポーツと比べ落ち込む幅が少なくて、そしてずっと高水準の賞金レベルを維持できるためには、競馬ファンが生まれ続けていることが重要なのです。それに一番寄与しているのは、偉大な種牡馬でもなければ天才騎手でもなく、この歓声であることは間違いないのです。この宝塚記念までに認知されるほどになる歓声をやり始めたやつも偉いけれど、それを永遠のものにしたタマモクロスこそ日本で一番のスーパーホースなのです。

追伸、昔語りの次は、淀40年物語となります。

「ゆっくりと昔語り始めます⑩」カツラギエース

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ジャパンカップを最初に勝った日本馬、それがカツラギエースです。菊花賞のトライアルを圧勝し菊花賞を惨敗したので中距離馬としての印象が強いですが、4歳春に2500mだった鳴尾記念で僅差の勝負をしてましたのである程度乗り方次第では12ハロンはこなせる感じでした、その事実を情報として他の関係者とくに関東の関係者や報道が知っていたかは疑問です、簡単に映像をチェックできる時代ではなかったですから、今のようにネットが発達し、映像も見られる時代だったら、果たしてあのジャパンカップでの逃げがあれほど無視されることになったかはいまだに疑問です。

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テレビではあるもののその鳴尾記念でカツラギエースの距離適性や実力を上方修正した私にとって、ものすごく下手な競馬をして秋の天皇賞を負けて、その後でてきたジャパンカップで勝つかどうかはわからないけれど、先行を宣言している形のカツラギエースがミスターシービーにジャパンカップで負けるとは思えませんでした。次の有馬記念でルドルフに完敗したものの同世代のミスターシービーには実力差といえる差をつけており、この世代の12ハロンでの最強馬は事実上はカツラギエース、実力は彼かリードホーユーだったのかなと思います。

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いつも思うんですが、この時代非常に関西馬はレベルが低かったですし、血統レベルも関東に劣ってましたし、社台ファームが千葉にまだ牧場があった関係もあってか、当時としては最新の血統は関東に集中していたような感がありますが、そんな状況でも傑出した馬はちゃんと出てきて、それなりに現在でも通用するんじゃないかと思えるレベルなんです。たしかに全体のレベルを上げるには傑出した種牡馬の存在とか、種付けを200頭以上可能にする技術とか、調教施設とかが必要であるのは同意しますが、傑出した馬はどんな状況でもでてくるそれを大事にしなきゃいけないというのが自分がいままで競馬を見てきての実感です。

 

「ゆっくりと昔語り始めます⑧」ヒカリデュール

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さて縦型写真で昔語りをするテーマで8回目です。多分タマモクロス、カツラギエース、シンボリルドルフで終わりかなと思いますが。8回目は1982年秋、凄い輝きを放ったヒカリデュールです。

 この年代ではまだトレセンには調教コースとしてダートと芝しかなく、トレセン以外にトレセン機能を備えた休養施設(外厩)はほとんど皆無でした。現役馬の骨折などの長期休養を必要とする故障も多く、厩舎の馬房が一杯にならない状態だったんです。円高による外国のトレーニングセールから馬を連れてくる時代もまだ本格的に到来しておらず、そのため地方の活躍馬を連れてくることは理にかなった方法でした。いまより地方との差もありませんでしたから、軽い芝血統の馬は十分通用しました。

 ヒカリデュールの記憶を呼び戻すと、まず最初の9月の朝日チャレンジカップをメジロカーラを差し切って勝利、黒くて大きな馬で末脚が凄い馬だなが印象でした。友達がオッズ40倍のぞろ目の枠連を5000円賭けていて20万獲ったのを今でも覚えていますが。続く10月末の秋の天皇賞、当時3200mを追い込んでメジロティターンの2着、そして11月末の第2回ジャパンカップ、今から振り返って外国馬JC史上最高のメンバーでのレース、関東の有力馬が惨敗の不名誉から逃避を理由に出走しない中を末脚勝負で2馬身差5着、掲示板をみて凄く誇りに思ったことを覚えています。続く有馬記念では最後方近くから直線だけでごぼう抜きにしてJC逃避組を差し切って、正直者が報われる勝利、本当に酔いしれました。

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 この第2回JCなどを追いかけた藤野広一郎さんの本の中に初めて欧州からやってきた外国馬関係者の仕事に関西の関係者が「非常に丁寧な仕事で感心しました」と感想を漏らしています。日本の出走馬は当時5頭、関西馬3頭は全て地方出身馬、関東からは2頭で1頭は関東本流とは少し距離を置いていて欧州競馬に知見のあるシンボリ牧場所有で野平厩舎のスイートネイティヴでしたから、「非常に丁寧な仕事」の精神は関西だけに持ち帰えられたことになります。

 この当時は関東絶対有利でした。だから逆に負けるのを嫌がった。ちょうど栗東にはこのころ坂路の前身の逍遥馬道コースができていたころでした。第2回の精神とチャレンジスピリットがやがて現在の関西優勢を築いていくことになります。

「単なる偶然だと思いたい話」ステイゴールド系のクロスノーズバンド

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なぜか、木村厩舎のステイゴールド系、シュペルミエール、シェドゥーヴル、そしてオーソリティとクロスノーズバントをしたすべてが骨折か屈腱炎になっていると。(このうちキャロットの2頭は持ち馬です。。)シュペルミエールがデビュー後数戦した3歳7月のレースにはクロスノーズバンドを付けていて、それから4戦後の4歳3月に屈腱炎、シェドゥーヴルは、2歳10月には天栄でクロスノーズバンドをつけていて12月のデビュー勝ち後、1年休養の骨折。オーソリティが2戦目の2歳9月からつけていて、3戦後の3歳5月初めに骨折(軽いそうで安心、でも青葉賞の勝ちタイムはダービーを争うのに十分過ぎるタイム)偶然かな。なんでか関西でもつけている馬はステイフーリッシュとかいるけれどそうでないし、でもなんでか関西のクロスノーズバンドのつけ方のほうがきつくならないようにつけている感じはするし。

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写真は菊花賞シュペルミエールです。

欧州でクロスノーズバンドのつけ方を見ていると、パドックを出る前つまりレースの10分前につけてレース後すぐ外す例も多く見かけるし、レースの40分前くらいにつけるときもほんと10分以上かけてつけているし、日本のシステムではこのタイミングで多分着けられないってタイミングでつけているし、無理っていう感じの馬具なんだけれど。フランケルとか強い馬もつけているから良かろうと思うは理由として正当かもしれないけれど、あまりにも故障する確率が高いんじゃないの。馬中心にするなら厩舎的につけないはずだけれど。

ちなみに今週のニュースでアーモンドアイが調教でクロスノーズバンドを付けて随分首が高い写真が出ていたけれど。。。

「ゆっくりと昔語り始めます⑦」ロンググレイス

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彼女のレースで一番憶えているのは、84年秋の天皇賞です。たしか3着でした。もう少しでミスターシービーを差すかってところまで来た感じのレースでした。鞍上田原騎手の直線での間合いの取り方に、ハッとさせられた想い出があります。レースがシービーの鮮やかな差し切りでしたのであまり注目はされませんがホント見事な立ち回りでした。

80年代当時牝馬は牡馬に敵いませんでした。理由は長距離指向のレース体系にあったと思います。そのためダービー、菊花賞、16ハロンの春秋の天皇賞を目標に馬が作られました。血統もそれに応じた血統の馬が多かった。坂路、ウッドがないトレセンで馴致、仕上げ、レースのサイクルをこなし、レースを使いながら目標に向かって体力を徐々に向上させ目標にむかう方式がメインの80年代まででは、体調の変化の大きい牝馬が持続力が必要な長距離では後手を踏んでしまうのは当たり前、その分牝馬は不利となっていました。

ロンググレイスもテスコボーイの大成功で数多く輸入されたテスコボーイの父プリンスリーギフトの産駒でイタリアダービー馬のゲイルーザック、母方は欧州クラシック血統の日本的組み合わせと言っていい母系であり、ダービー以上の距離を意識して、いわば牡馬を期待して配合したんだろうな的な血統でした。

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現在牝馬が強い理由は何かと言えば、まず距離体系が中距離中心になったこと。距離のバリエーションが、牝馬限定のレースが増えてレースが選べるようになった。いわば持続力より素質の部分に頼ることが多いとも言っていいスピードやキレの方に重きが置けるようになった。トレセン、外厩の施設の充実により、体調が昔より短期間で作りやすくなり、牝馬独特の体調が不調な期間に無理にレース、持続した調教を課さなくても良くなった。

だけとロンググレイスのいた時代は80年代、84年絶対無理なはずの秋の天皇賞、望みはレースの距離が前年の16ハロンから初めて10ハロンの中距離になった事だけれど、当時牝馬限定G1馬なんて現在が1段階下の評価なら、80年代までは2段階以上下の評価であった時代、それなのにあのレース、レースが直線で動き始めてから三つ数えて動き出した騎乗に応える能力、いまでもあの熱さを憶えています。

「ゆっくりと昔語り始めます⑥」ステイゴールド

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98年のジャパンカップの時の写真です。当時助手だった池江調教師が若いなと今から思えばそう思いますが。私自身のステイゴールドの写真は少ないです、全てパドック写真、好走した時は現場では見てません。ドバイを勝ったときは正直テレビ中継でこんなに感動するかっていうくらい感動したのを憶えています。血統が名門でしたから、最初のころナカナカ勝てなくてその後もボチボチで、なんとなくいいとこのボンボンがフラフラしてるイメージが自分には長くありました。

このころナカナカ競馬場に行けなかった。残業はすべてカットなのに休日出勤は当たり前、休日野放図に私用にコピー機を使いまくる輩、時間中に公用車で買い物に行く輩、時間外になっても仕事が時間内にもないのに居続けてに家に帰らない輩、そのころ湖北の裕福な自治体にはこんな奴ばっかりでそれに同調しなかった私は変わり者扱いされてはおりました。この2年後に我が家には約15年の介護生活がやってくることになります。あほらして神様はいまでも大嫌いです。

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さて、ステイゴールドをじっくり見ることができなかった私にとって、社台系のクラブのカタログにステイゴールド産駒が載っていて直感的に良いものを感じても確信的なものが生まれずナカナカ手を出すことができずに、その内に産駒たちの活躍で価格も人気も上がって来て獲りにくくなり、ようやく13年に東京サラブレッドでレッドアルティスタ、次の年にサンデーで良いなと感じているのに余っていたという幸運でワンブレスアウェイ、キャロットでシュペルミエールと、その後もステイゴールド産駒は直感で良いなと感じれば必ずと言っていいほど走ってくれる存在になってくれて、みじめだった人生に少しは花の美しさを見せてくれる存在になりました。

なので私がもし一口馬主系で成功したいならと尋ねられたら、運やセンスを信じないのなら良い血統の馬を買い続ける物量作戦がと答え、そうでないなら自分に合った種牡馬の産駒を信じて買ってみることとと答えるだろうと今は感じています。なので現在ステイゴールド的な存在を探している真っ最中ではあります。

 

 

「ゆっくりと昔語り始めます⑤」ノースフライト

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マイラーズカップ、安田記念、マイルチャンピオンシップを同一年に勝っていて、特に安田記念は国際レースとして、今とは比較にならないほど欧州から一流馬が来ていてそれに完勝していいてる内容は、今存在していたら、たとえナリタブライアンが三冠と有馬記念を制していても年度代表馬の対象として議論にはなったでしょう。欧州ならひょっとしたら彼女の方が年度代表馬に選ばれていたかもしれません。自分にはこちらの方がパフォーマンスが上に見えました。

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マイルで着差をつけて勝ち続けることの大変さにまだ時代が気づかなかった不幸がまだこの時代存在していたのです。いまの政権が嫌いな知事が先立ってやると、こんな非常事態でも対抗心や敵対心をあらわにして、まず感染のパニックを起こして嫌ってる相手に恥をかかせて、それからでないと非常事態なのになにも行おうとしない、敵対心を優先してそれでよいと思えてしまってる。何人死のうが構わないの態度が見隠れする。そんな今日と同じような感覚が普通に蔓延していました、勝手に三冠馬が偉いんだがはびこって、他は有効でも全く気付かない、全否定してもかまわないのが現状がありました。たしか誰も年度代表馬の投票で彼女に入れなかったと思います。

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「ゆっくりと昔語り始めます④」ミスターシービー

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うがった考えを言うならば、彼のファンというか彼を贔屓したマスコミなどが彼の価値を見誤ったことが一番彼にとって不幸な事だったと思うし、いまだにそれを直せないというか未だに次の年の三冠馬ルドルフと比べて負けまいとして空論を繰り返すマスコミ関係者がいることは、自分的には直せないんなら早く消えてほしいと思う時があります。

まず、4月中山、5月東京、11月京都と闘って三冠馬となったのはミスターシービーが初めてでありこれは凄い価値があります、(仕方がないとはいえシンザンは皐月賞が東京、ディープは10月の菊花賞、オルフェは東京の皐月賞で10月の菊花賞です。一番長く施行されたパターンでの三冠馬は実は2頭だけなんです。)三冠が重要視されてからはシンザンに次いで2頭目の三冠馬だし、しかもトウショウボーイ産駒であり、父内国産の馬が偉大過ぎる記録を達成したことに意義や価値が凄くあるんです。これを必要以上に傷つけてしまったことが非常に残念だと。

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確かに豪快にまくったように見えた菊花賞を凄く強いという人もいるけれど、次のレースで有馬記念を勝つリードホーユーの方が、かぶりつきで見ていたものからすると最後バテているのにフォーム的にも馬的にも迫力がありました。ただ長期休養明けで、その時代レースを使って仕上げる時代だったので、まだ休養明け2戦目で明らかな仕上がり不足であり、その分幸運であったと思いますがそれが三冠レースなんです。菊花賞時他のメンバーは後に準オープンさえ勝てなかったようなメンバーだったと記憶していますので、次の年2000mの秋の天皇賞を勝てるだけの能力があればどうやっても負けなかったレースだったと思いますし、そんなこと関係者ならだれでもわかるんで、まくって勝ったことを伝説のように強調しなくても良いのが当たり前なんですが。

次の年にルドルフが出てきたこと、これにルドルフが中1週のJC、そして有馬と続けて完全に負けた、まだまだシービー礼賛で儲けたいとするマスコミが自分勝手にシービーの価値を歪めちゃった、昔はマスコミが焚きつけると関係者はもうそれに踊るしかなかったんです。いまなら12ハロン以上は合わないなら、宝塚、秋の天皇賞に照準を合わせるけれど、それをできなくしてしまった。春の天皇賞、まくっていけばルドルフだって負かせるって言って贔屓のマスコミはばからなかった。今でいう関係者がそう言ってるっていう理由をつけて。(いまでもあるでしょ、明らかに違うのに、関係者がそう言ってるって言って、それが正論だっていう関係者とかクラブ関係者とか、それのモットえぐいやつ。たしかJCなど惨敗したレースはあとで体調面の不安があったってシービー贔屓の評論家は言っていて馬鹿かとの思いがいまだにありますが。)それでマスコミが焚きつけたようにマクってそれで競走馬として終わってしまった。何走も合わない距離を走らされて消耗しすぎたのか、種牡馬としてもあれだけの秋の天皇賞のパフォーマンスがありながら良い産駒を残せなかった。

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加えて、この時からいわゆる場所取りが始まりました。ここまでは、最前列や良いところで見たいんなら、そこに離れずに居続けなければなりませんでしたが、シートを張って場所取りをシービーファンがやり始めてしまった、今以上に異常な風景でした。シービーを好きなら、なにをやっても良い雰囲気をマスコミが焚きつけて作り上げていたのがこの現象を生んだんです。場所取りまでしてシービーを応援したっていうのは善行でとても良いことだったんです、迷惑を未来永劫凄いかけても。

いま新型コロナで競馬が無観客になって、気温が低いとか天候が悪いとかになると特にガラス張りスタンド内が何千人でごった返す中山、阪神の競馬場での観客を入れての競馬再開は春には無理でしょう、それよりは風通しの良い東京、京都での再開になる可能性は高いと。

京都、東京開催で再開した時の一番の問題点の一つは場所取りのために、人のいる場所が狭められ、パドックでもスタンドでも屋外なのに必要以上に密集していわゆるパンデミックをおこしやすい(ちょうどイラン的な)空間を作ってしまうこと。場所取りを放置したおかげで競馬自体が危なくなっていることは確か、いまこそ1983以前の競馬場に戻しましょう。本当のシービーの名誉のために。

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