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素晴らしき名馬たち

「伝説を止めなかった馬」カツラノハイセイコ

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80年代で関西がボロボロの低レベルであった時期に夢をくれた10頭もいない内の一頭が、カツラノハイセイコでした。

とにかくならんだら強い勝負根性は今思い返してみると血統からも来ているのがハッキリ分かります。

いまでは望んでも出来ない馬です。マイルで当時のマイル最強のニチドウアラシを負かしており、それでいてダービー、春の天皇賞勝ち馬だから相当レベルは高いです。

ただ小さな馬で全身全霊で走るので故障も多かった。

大きな故障から復活する際は、現在の坂路が逍遥道として存在していたのですが、そこを使って、時計を出さずに馬体を仕上げ、見事に復活しており、坂路整備のヒントとなっている側面も果たしています。

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その当時は、時代の英雄だったハイセイコーの子供としてもてはやされて、その全てがハイセイコーのものでしたので、その辺は嫌な感じで見ていました。

彼が死んだことでハイセイコーの起こした熱風も思い出すことがなくなると思うと少しシンミリしますね。

(写真は、マイラーズ、大阪杯がモノクロ、カラーは宝塚記念)

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「非主流ながら圧倒的カリスマ」ニチドウアラシ

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ニチドウアラシを中距離に専念させた時の強さは、現代であればスターホースとして十分通用した実力とカリスマ性を持っていました。

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父は社台が輸入したボールドアンドエイブルであり、快速馬ばかり出していたイメージもありましたが、アラシはそれらと違って凄みもありました。

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80年代のはじめにこれだけの馬がいたことが奇跡的であり、またそういう馬を何代めかに生み出せるのは父系のもっている不思議な力の一つだと思います。

中距離で負けるときは貯めすぎて切れ負ける等のいわば明らかな乗り間違いか、道悪かのどちらかであったので、まず中距離では無敵でした。

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(アイドルマリー)

見た回数は、ごく僅かですがキリッとした筋肉系の格好良い馬でした。

速さは産駒にも伝わってアイドルマリーを出しています。

「不器用だけど野暮じゃなく」カツアール

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ボールドルーラー系の馬が沢山輸入された70年代終わり、種牡馬ステューペンダスからはダービー馬ラッキールーラとカツアールがでます。

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カツアールは地方の一流馬でその後中央で活躍した馬です。

カツアールは、追い込みの脚質でしたが、粘りがあるわけでなく、切れ味が他よりも光るわけではないですが常に一生懸命追い込んできて、差し足を持続しながら相手をゴール前でくたばらせてしまう感じのレースをする馬でした。

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そのためにどれにか一頭は先着されてしまうレースが多くて、勝ったのは宝塚記念だけとなっています。スタイルもさすがに地方の強豪というごつさがあるのですが、その中に逆に軽さももっていて、今の馬に通じるような格好良さもあわせて持っていました。

写真は一番上が京都記念だったと思いますが、そのほかは81から83年の宝塚記念です。

「血統レッスン1としてのカツラノハイセイコ」79年ダービー馬

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ハイセイコーで中学生時代に競馬に興味をもちハイセイコーが母父が短距離馬であり、そのためか長距離では持たずに大柄で迫力のある彼が、なんでもない冴えない小柄な長距離血統といわれる馬に惨めな負け方を繰り返して、血統に気づかされ、気づいたときには、血統に、はまっていた感じで競馬が好きになってしまった私にとって、カツラノハイセイコは、実はあまり好きではなかったので冷静に血統表をみていられたのかもしれませんが、最初からその血統構成の奥深さを感じさせてくれる馬でした。

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父であるハイセイコーにしても距離のカベがあったにせよ2歳から連戦連勝できた馬が、古馬になっても宝塚記念大差勝ちとかすること自体が彼に流れているハイペリオン系の成長力の証でしたし、母父ジャブリンは当時の日本お得意の血統は良いけれど競争成績は二流以下の馬でしたが、なにしろ名馬タルヤーが父で20世紀の名牝の1頭のサンチャリオットが母という構成であり、クラシックとかここ一番では力を発揮する、とんでもない馬が出てきてもおかしくはない感じが血統表からは感じられて。。。

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サンチャリオットもハイペリオン産駒なので成長力および長距離で自分のペースで立ち回ったときのハイペリオン系のとんでもない強さも想像できて、そのころは関東の方が遙かに強い状況で他の馬がレベルが上がるにつれて辛くなってくるのがとくに春のクラシック路線では見ていてわかる状況であったなかで、そのハードルを意外と軽く越えていった感じがあり、これが血統の底力なのかなと思って当時見ていました。

そしてダービー勝ちまでいってしまいました。

ダービーの次の日、関西久しぶりの勝利と言うことで当時家庭用ビデオなどない時代なのでリプレイが見られる大阪本町のPRコーナーは、その時はじめて訪れたのですが大盛況でした。「もう一回みせましょうか。」終始笑顔の室長の最上さんに言われて何度もレースを見たのがいまでも思い出です。

写真はカラーが宝塚記念、モノクロがマイラーズC、大阪杯

「99戦連戦連焼」ヤマニンバリメラ80年日経新春杯

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調べてみるとこれがヤマニンバリメラの写真であるらしいと。。

80年の日経新春杯で場所は京都改装のため阪神で1月競馬が行われたときのものです。

目指せ100戦なんて垂れ幕までかかって応援されましたが99戦で故障してしまいました。

肌つやがあまり良い印象はないのですが、病的に疲れているとかそんな感じを受ける馬ではなく、とにかく力だけは追い込んでくる馬だったと記憶しています。

いまでもヤマニンと聞くとバリメラと条件反射で名前がでてくるのですが。。。。

彼はテンポイント最後のレースも走っています。

「陽は昇り、陽は沈み」オペックホース80年ダービー勝馬

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(80年菊花賞 鞍上は郷原洋行騎手)

日本のクラシック牝系に、母父がハイペリオン系のテューダーペリオッド、それにアリシドン系のリマンドという超クラシック血統のオペックホースは、クラシックの最高峰ダービーで名馬モンテプリンスを負かして、それでこの馬の持っていた周囲に発散していた輝きを使い切っってしまったかたちになりました。

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(80年10月菊花賞の試走のオープン)

従来のテスコボーイ系、パーソロンなどに加えノーザンテースト等のノーザンダンサー系の馬、仕上がりの早い、小回りコースの上手で瞬発力のある血統の馬たちが進出してきて、レース自体が厳しくなっていきましたから。。。

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(81年マイラーズカップ)

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(81年宝塚記念、赤い勝負服、6番はカツラノハイセイコ)

そのために試走と本番を質的に分けることが難しくなり、本番と試走を分けて走りたいクラシックタイプの馬が住みにくくなります、そして勝てなくなります。

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(82年天皇賞春)

また今のように直前輸送でなく、関東への遠征は滞在して何戦か戦うスタイルでしたので、関西馬は不利な環境であるのにどちらかといえば、東京や中山での成績が関西での成績を上回っているという、当時の全国どこの競馬場でも関東絶対優位のなかでは変な存在でしたから、結局は東京の天皇賞を目標にして、仕上げていたら評価は変わっていたのかもしれません。

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(83年日経新春杯)

無事是名馬といえる存在であるにもかかわらず、ダービーで負かした相手がモンテプリンスであったことから、負け続ける悲哀を勝手に抱え込まされていたのが残念です。

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とっても格好の良い色気のある馬でした。

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(84年降雪の影響でダート変更になった日経新春杯)

アグネスディー「偉大なるはじまり」80年日経新春杯にて

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彼女を撮っていたことに驚きました。最初HPを作ろうと思い昔からのネガをスキャンし始めたため、動きのない写真、ましてやファミリーカメラで撮ったパドックのものは、容量の関係ではじめから無視していたのですが、ブログにしてみるとギリギリ耐えられるため、題材を増やすために、スキャンし直していたのです。

細いなぁと感じた記憶があり、どこかで見ているのだろうとは思っていましたが写真を撮った記憶はありませんでした。

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80年阪神で行われた正月競馬、日経新春杯のときのものです。そんなに寒くない日であったことは憶えています。

彼女の子供のフローラ、孫のフライト、タキオンも阪神で見ており、3代を同じ競馬場でみたことになります。

今見るとムダ肉のない筋肉質な馬体にみえます。

「2頭の個性的な天皇賞馬」80年春の天皇賞にて プリティキャスト、ニチドウタロー

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私が初めて写真をとった大きなレースは80年の春の天皇賞でした。京都がスタンド改修のため阪神で行われた天皇賞でした。一眼ででなく、まだ実家のカメラを持ち出してのものでした。

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プリティキャストは、アメリカの名牝のタイプキャストに吉田牧場の自前の種牡馬のカバーラップ2世をかけた血統です。

彼女の父は、競走馬の絶対数が少ない時代ので外国から馬を買ってきて走らせた一頭だと思いますが、血統的に多分ハイペリオンの成長力を強く持っていたので、平凡な競争成績でも種牡馬として成功したのだと思います、彼女がレースに出てきて、出遅れないとですが、大逃げを打つのでレースがそれだけで非日常的になり、とても楽しみだった思い出があります。

80年の秋の天皇賞で超強力なメンバーを相手に大逃げを打って、勝ってしまいます。当時牝馬が9年おきに秋の天皇賞を勝っていたので、そのレースで本命だった

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(79年12月)

シルクスキーに、この9年伝説が語られたのですが、その呪文にかかっていたのは彼女のほうだったというわけです。

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ニチドウタローは、2歳時に少し次元の違うレースをして名馬の予感さえ感じさせる馬でした。しかしその余韻のうちに故障してクラシックを棒にふり、年を越してようやく出てきた復帰戦では落馬になりなんだか不運をこのまま背負い込んで終わってしまう印象があったのですが、次走、80年春の天皇賞の10日前のオープンに出てきてレコードで勝ち復活し、変則的な連闘で天皇賞を勝ってしまいます。

とにかく気性の荒い馬で、いつでもカッカカッカしている感じでした。

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(80年4月19日オープン)

彼の父、エルセンタウロは、南米の名馬であり、社台が輸入して供用した馬です。このころから社台の南半球好きは始まったのかもしれませんが。。。

テルテンリュウ 80年宝塚記念勝馬

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(80年春の天皇賞)

いまから30年程前、最強世代といえば、TTGの昭和51年世代と昭和47年の3強プラスイシノヒカル世代でした。どちらの世代も有馬記念を3度制しています。

47年(ダービー年)世代のダービー馬がロングエースであり、その産駒で唯一のG1馬が、テルテンリュウです。母父がガーサントですから、気性は荒かったの一言でした。

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(79年12月)

79年ダービーをカツラノハイセイコに競り負けて3着、その後菊花賞を目指しますが、不安から断念し、写真の12月始めの阪神開場30周年記念(オープン特別)に出てきました。結果は5着。

この後、春の天皇賞を狙いますが、京都改装のための阪神での天皇賞となり、追い込み切れず6着に敗れます。

80年は中京で2400での宝塚記念が行われ、ものすごい道悪の馬場を、スルスルと4コーナーで内を抜け出して1着。

勝った時は画面を見ていても泥んこで判別もつかないほどでした。カッカとしているものの、馬格があり、独特の品も持ちあわせていました。

リュウキコウ「直線一気」の栄光と挫折、76年阪神3才S勝馬

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リュウキコウは、76年阪神3才Sを直線一気の追い込みで勝って、外国産馬で圧勝で連勝を続けていたツクモオダマキ改めボールドエイカンから2才トップの座を奪います。

東の朝日杯ではマルゼンスキーが歴史的な勝利を収めますが、当時は持ち込み馬もクラシックにでられないため、マルゼンスキーはクラシックに出られず、2着だったヒシスピードと彼が春のクラシックの主役となります。

両方ともに父内国産馬でした。当時としては大変異例でした。

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リュウキコウの父はリュウファーロスで、自身には大きなレースの勝ちはないものの、兄に有馬、天皇賞秋の勝ち馬のリュウフォーレルがいます。小さい兄よりも馬格のあった弟の方が産駒も走り、主に馬主さんの持ち馬との配合で種牡馬として高い数字を上げていました。ヒンドスタンの産駒です。

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リュウキコウは、中京で行われていた、きさらぎ賞も直線一気で勝ち、主役級に躍り出ますが、その後振るいませんでした。多分この冬の時期が絶好調であり、クラシックの時期には下降していたのが原因だろうと思いますが、追い込み馬の不調は、他の脚質の馬より惨めな着順となりますので、弱い馬と認識されてしまい、3才秋には忘れられた存在となっていました。

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4才の秋に、春を十分に休養にあてたのが良かったのか、京都大賞典、目黒記念(年2回施行の秋)と連勝して、78年天皇賞秋に本命ででます。

究極の仕上げのように見えましたが、一頭の馬がゲートの扉をかんでしまいそこだけゲートが開かなくなって、スタート後にレースをやり直す「カンパイ」となり、すっかりガッカリした状態になってしまい、テンメイに敗れます。

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次の年79年春の天皇賞を狙いますが、京都改装のため旧の阪神競馬場、小回りで行われて、その上に21頭立てではさすがに追い込みきれずに6着と敗れます。

写真は80年秋のオープン戦のものと一番下が79年春の天皇賞のものです。リュウキコウの後ろがシービークロス、その後がテルテンリュウです。