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いまでも№1「シンボリルドルフ」

「あなたが輝きをなくすのなら、どんな三冠の輝きさえ道を照らすことはないでしょう。」シンボリルドルフSymboli Rudolf

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Symboli Rudolf(85JC)

サボって見たネットのニュースの一覧でルドルフの訃報を知りました。急に涙がなんだかでてきて、いまどき自分は平和な奴だな思って自分に呆れて感心しても、涙は止まりませんでした。

もし、3才時、菊花賞から中1週でJCに挑まなかったら、彼はクリフジの連勝記録に前年の三冠馬を春の天皇賞で負かしてならびかけていたことになります。(無敗の五冠馬達成という記録も同時に生まれたのです。)

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(84菊花賞)

もし、未遂だったけれど毎年実験台のように3才の夏にアーリントン、4才夏にヨーロッパ、5才春にアメリカ、ヨーロッパを急ぎ足で目指そうとし、そのことを競走馬人生のメインにしてなかったら、ジックリ調整されて、それぞれの大レースを現在の名馬のように万全の体調で挑めたでしょうから、彼の国内での成績やパフォーマンスはより充実し圧倒的なモノになり、今でも絶対的な史上最強馬と呼ばれ、それに異を唱えるものはいなかったことになっていることだけは間違いがないでしょう。

本当の彼を誰も知らないし、競走馬成績ですら語れない、それでも歴史的な名馬、史上最強馬それがシンボリルドルフなのです。

当時私は20代前半、手取りは8万円、東京までの新幹線は往復で2万円、フィルム代に現像代。。。それでも、彼を見ておかなくては一生後悔すると思い何度も彼を見に出かけました。

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(85天皇賞春)

今となっては親に殴られそうになって反対され泣く泣く取りやめた85年JCの公開調教に行けなかったのが残念に思うけれど。。。いつでも人間よりも競争に勝つことに意志が強い彼に圧倒されてばかりでした。

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(85日経賞)

スノーフェアリーが前年2010年エリザベス女王杯で見せたワープするような末脚は、彼の菊花賞の時の末脚を思い出させてくれました。弱い相手に派手にまくって勝った前年のミスターシービーの菊花賞の方を愚かな人は凄いと言うけれど、ラチにしがみついてレンズを覗いていて、信じられない位置から一気に突き抜けた空前絶後の末脚の凄みは、その勢いに押されて、私は立っていた脚立の上から落ちそうになったのを憶えています。(彼の世代は、他の世代の最強馬と接戦、時には完勝をする世代でありレベルは高かったはずです。それに完調までいかない体調で完勝以上を繰り返していました。)

シンボリ牧場関係者が話していたのを伺ったことがあるのですが、ルドルフの産駒達にも現在のように、未勝利クラスでも一走ごとに外厩でリフレッシュできる環境が当然のように与えられたならば、精神的に鋭敏すぎて何事にも反応過多になる性質のため、原則的に勝ち上がるまで厩舎に閉じこめられリフレッシュする場所が与えられない80年終わり頃の体制の中で、気むずかさばかりが目立った彼の産駒達は、もっと可能性をひろげ、結果を残したでしょう。そして彼の栄光がこんなに早く過去のものとなることはなかったでしょう。それがとても残念です。

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(85有馬記念)

彼を思い出し、現在を振り返るとき、まるで今の競馬は輝きが全くないように思えてしまう。それがルドルフの輝き、いまでも眩しすぎるくらいです。

書くのも嫌ですが。

ありがとうございました。

シンボリルドルフ。

キスをおくる。

「あるがままのあなたはいま輝いているほかのどんなものたちより眩しかった。」シンボリルドルフSymboli Rudolf(2010年11月28日)

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Symboli Rudolf

カンカン場に現れるだろうと思ってそれが見られる場所でルドルフが出てくるのを待っていた。カンカン場にでのルドルフは、懐かしい力強い踏み込みと前脚の早い動きで暗闇の中に現れて。。

いつもと違う場所、人混みに、歓声に興奮して、馬っ気をだしていた。そのまま時間がきてその姿でパドックへ。。。

だけど茶番はそこまでだった。半周もしないうちに、その興奮は消えて、真っ直ぐ歩きながら、その中で余裕をもつ彼の動作に戻っていった。

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現役馬を上回る踏み込み、前脚の捌き、首の動き、それでいながら、周囲のどんなものにも驚き、注意しながら、G1レース並みに集まった観衆のカメラの凄い音の中、真っ直ぐに歩いた。正午秋の陽が一時的に観客の上着を脱がせるほどに強まっていても、その陽の強さに負けない強さを彼は持っていた。

彼はJCのパドックをつまらないものにした。29才だという。トウカイテイオーに少しシルエットが似ていると感じたが、父子だからしょうがないと思うものの、そいうえばテイオーも20才を超えているのだと。。。

この馬の現役時代を私は7度見た。。。

そのころの筋肉のこの上ないちょうどモンジューが持っている最上の柔らかさと強さのうち、柔らかさはやはりずっと減ってしまってはいたけれど。

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84年のJCで連勝が止まったとき、観客さえ黙らせるほどの悲しみの感情表現に圧倒されてしまった。。。「彼は歴史的な名馬、お金的に次の有馬は無理だけれど、今からお金を工面して5才のレースは全て見よう。そうしないと絶対に一生後悔する。」と思った。。。

だから今日、府中に来た。。そしてこの言葉をしまうところをなくした。。。。

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「よみがえれルドルフ!」シンボリルドルフ(85年有馬記念より)

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Symboli Rudolf

85年有馬記念での返し馬のルドルフのキャンターは胸を突き抜けていくような痛みをともなった少し異次元の(私にとってはですが)迫力のもので。。。。

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楽しみにして出来上がった写真を見てみると力感は全くないものの、大きいフォームで走っていることがわかり。。

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手足を伸ばす力も強いなら、を引きつけてくる力も強いサンデー産駒より強くて速いことが一目瞭然で。。

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レースは2冠馬ミホシンザンに5馬身しかつけられないものだったから彼は完調でなかったと言っても誰も文句言われないほどの強さを彼はもって存在していて。。。

完調でなくてもこれだけこちらに何かを与えてくれたのがいまでも印象に残っていて。。。

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いまでもこのキャンターに匹敵するほどのものは見たこともなく。。。真っ直ぐに力感無く走っていける返し馬と言う点では日本馬ではディープインパクトくらいだろうけれど。

「いまだからこそルドルフ」

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(85年春の天皇賞)

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天皇賞の写真を見ているといつも思うのですが、現在はCコースで行われるのですが、このころは春の天皇賞はAコース(4角生け垣に柵なし)で行われていました。

だけれど通るコースは、内が痛んでいるためにCコース使用と同じところを通るのです。だから馬場が荒れてきた福島開催同様外を回る分時計は3分20秒以上が多かった。

現在のコースは80年代のそれと約80㍍弱くらいは短いことになるし、馬場が改修されて2から3秒早くなっている分をあわせるとざっと8秒近く、短縮されてもおかしくないけれど、そうはなっていないのです。

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(85年JC)

そうなるとそんなにトップの力は変わっていないのでないかと思うのですが。。。確かに2才のレースなんて、魅力的な馬が何頭も1レースに存在しているし、準オープンだと欠点を見つけるのが難しい感じを受けて今の全体のレベルは非常に高いのは私にとってはとても嬉しいことなんですが、かといって昔のトップの馬が弱かったことはないと思うのですが。(育成の進歩により順応力は数段今が上ですが)

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(85年有馬記念)

個人的には、ルドルフに受けた衝撃を次に感じさせてくれたのはアグネスタキオンでした。ディープインパクトは、少しだけ薄いのですがそれがありました。。。今のところその予感が全く正しいわけで。。。(なお、シンボリルドルフのカテゴリーがありますので興味のある方はそちらもご覧ください。)

輝きの中の翳り 85年有馬記念 シンボリルドルフ Symboli Rudolf

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86年のルドルフの長期海外遠征が既成事実となり、国内ラストラン、海外遠征壮行レース的な意味を85年の有馬記念が持ちました。記念入場券には、慣例である前年度のゴール前の写真でなく、前年の勝ち馬であるルドルフの顔写真が使われており、窓口で受取った時に感激したことを憶えています。

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対戦していないのは3才でこの年の皐月、菊花の二冠のミホシンザン。ひょっとしたらって穴党の火曜日や水曜日のマスコミが騒いだだけで、有力な2着候補ではあっても勝ち負けまではいかないというのが大方の見方でした。

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(話ははずれますが)  ミホシンザン

84年の春は、東京等にも大雪、長く冬の影響でで芝の生育が5月でも遅れた状態で4月中山開催は最悪馬場になりました。ルドルフはその馬場の大外を通って2分1秒1。94年ナリタブライアンが破るまで皐月賞レコードでした。古馬オープンが2分5秒1、勝ち馬古馬№1のホリスキー。4秒差。春の中山開催で古馬のベストは3月のオープンの2分2秒3。2分1秒台を出せたのは、ルドルフとそのライバルのビゼンニシキだけ、つまり古馬オープン(現在なら馬のレベルが上り、準オープン戦くらいが妥当かもしれませんが、準オープンのレベルとしても)を1秒以上上回るタイムで走っていることになります。

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85年に稍重を2分2秒1で走ったミホシンザンも相当早く皐月賞のパフォーマンスでは歴代上位だと思います。でも84年に比べるとそれでも1秒以上遅い。もし現在のように悪い馬場に仮柵をして実質コースを短くして今の高速馬場で84年の皐月賞をやったなら、1分56秒台前半が出ても不思議はないことになります。そんな馬が2頭いたんです。

そして2頭とも子供も孫もG1に勝ちました。

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85年有馬記念当日は小雨交じりでホント寒い日でした。ルドルフは普通の出来でした。いつもならもう少し凄みがパドックでは伝わってきていたのですが、別に悪いところはないけれど、普通としか感じられませんでした。

しかし、返し馬のキャンターは素晴らしかった。直線の坂を下ってくるのでスピードがでていて当たり前とはいえ、早い、乱れない、のキャンターの迫力は身体に痛い感じがするものでした。

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レースは少頭数で逃げ馬がいないため、途中からルドルフが馬なりで引っ張ってそのまま直線だけをやはり最後の国内であることを意識してかビッシリ伸ばされましたがミホシンザンとの差は5馬身しか離れませんでした。

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何度も、着差を掲示板で確かめました。これは何かがおかしいと思いました。あとで仲間と話していた時も、5馬身しか離せなかったことに違和感をもったとの意見が大半でした。その方が自然に聞こえました。

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いまこんなことを言ったらその名馬のファンに袋叩きにあいますが、強い二冠馬を相手に大楽勝してるんですから。でも大楽勝の部類にみんなが入れられないと感じるほどルドルフは強かったと全員が感じていたことになります。

いまとなっては、天皇賞、JCのあとの、この3連戦独特(レースの並び方、この間隔での調整)の疲れが原因であることは説明がつきます。でもそれよりきついローテーションで前年度有馬記念を圧勝しており、その時には、それが何故かはまだわかりませんでした。

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海外遠征はまず3月末サンタアニタ遠征に決まりましたが、やはり3連戦の疲れが抜けないうちに準備をしたせいか少し熱を持ったまま(噂)の渡米になり、あちらの動物検疫所で他の家畜類と同じように檻の中で3日間を過ごして、すっかり出来は落ち、脚には熱が出て、稽古不足で体型さえ整わない状態になり、それでも滞在1ヶ月弱くらいで出走させ、故障を発生し勝負にならず着外に敗れます。

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いまとなっては情報不足のまま関係者が美味しい誘致の話に全く安易に乗ってしまったことが原因でしょうが、関係者はスピードシンボリの遠征をはじめ、海外経験もあり、勝てる相手は判断できるはずです。当時シンボリ専属のような岡部騎手になんとかG1をとらせてあげたいとの思い等、3才、4才時に海外遠征の企画だけで終わったために募りに募った数々の夢の重さが、最後の最後に馬の状態を軽んじて、関係者に先を急がせてしまったように思えます。

ルドルフは帰国後、JCをぶっつけで狙うためシンボリ牧場で調教を積まれていたようですが再度の不安発生で引退となりました。

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(91年シンボリスタリオンにて)

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やっとやり返した! 大楽勝 85年ジャパンカップ シンボリルドルフ Symboli Rudolf

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「やっとやり返した。。。。」雨の中でしんみりしました。

関西の広報コーナーが大阪の本町にあった80年頃、関係者用資料が1冊100円で売られていました。それには、当時JCが始まるまで外国馬との対戦の主な舞台となった国際競走のワシントンDCインターナショナルへの遠征記録も含まれていました。

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1ヶ月以上いわば1頭の状態で国際厩舎で過ごし、直前にやっとヨーロッパの馬や米国馬が入ってきてレースが行われて、なぜか道悪が多くて 結果は始めからわかっていたような大差の着外。資料は、環境の変化と検疫の厳しさを克服できなかったことを弱さと後進国であるいう共通語(潜在意識)で綴らざる負えない状態でした。

スピードシンボリの5着を強調しなければならないほどの成績。それほど世界は遠いのかと、自分たちの目の前の馬はそんなにダメなのかと思わなければならない現実は、ディープが示しくれたように馬券を買わなくても多くの人が熱狂できるスポーツとしての競馬の側面を奪っていたのです。

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現在の海外遠征から考えると、こんな遠征のやり方なら今でもきっと結果はさほど良い方には変わらないのかもしれません。たとえば香港国際競争へ数頭で遠征しても、ちょっと国際厩舎の環境が悪かったから体調が整わず等々、少しの不具合で1秒近く負けたなんてざらにあります。環境の変化、不満足な調教環境、初体験の洋芝のコース等のオンパレードでは大敗も仕方がないのかなと思います。

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上:ゴールドアンドアイボリー下:セントヒラリオン

第5回に来日した外国馬は、この5回までの来日馬の中では実績は最低レベルでした。だたイギリス2頭は、バランスの良い馬体、雨の中で光る毛艶、パドックで声が出てしまうほどでした。

その1頭ゴールドアンドアイボリーはミルリーフ産駒でいわば各地を転戦する国際ホースの先駆けというべき馬でした。大きなレース以外は全く情報がないその頃の日本では先入観でダメとしてしまいがちなだけでした。

もう一頭のセントヒラリオンは、3才で走り出しが遅いためにクラシックに乗らなかった馬で、裏街道をひたすら上って来た馬でした。たしか72キロでレースをして大差で楽勝したなんて記録も持っていました。種牡馬となりG1レースの勝ち馬もだしていますので、馬体の見事さは持ち合わせていて当然でした。

ザフィルバートは、NZから来た中で、中くらい実績の馬でしたが、これも出来は良く結果は今までの南半球の馬と同じくらいはでるだろうと思いました。この3頭が相手だろうと思いました。

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ルドルフの方は、「直前の水曜日に東京入りし、木曜の公開調教で追い切り、馬なりの調教、一杯に追った併走のウィンザーノットに大差先着を許すものの、それは無理をさせず順調さを優先したもの、誰がみても万全の状態だ。」と打合せたように各紙から報じられたように、前走の枯れかけた馬体に瑞々しさがもどっており、これならまず間違いは起きないだろうと感じられました。

当日の短波放送で、解説の大川慶次郎さんが、「久しぶりに雨が降って、仮柵を取った内側は、芝生の状態が良くて、他の箇所よりも軽くて、脚抜けが良い、いわばグッドの状態になっており、馬が非常に走りやすいので気持ちいいから、はじめから走る気をだしてグイグイ走ってしまう。けれど道悪には変わりがないから、途中から疲労が脚に来て、ひどい止まり方をする傾向が今日は続いている。だからJCもこうなったら波乱ですよ。」と言っていました。

案の定レースの勝負は、3コーナーの下りから早めに始まりました。イギリス2頭がジワリと気持ち良くいきかけた仕掛けにルドルフが応じて勝負が始まりました。

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大川さんの予想どうり、直線の坂で2頭は止まってしまいました。そのレースが終わってからロッキータイガー、ザフィルバートがやってきて漁夫の利を得ました。その前にルドルフが遊びながら走っていたのだけは超えられませんでしたが。

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道悪で、しかも、相手に脚を上げさせて勝ってしまう。いままでと全く逆のレースをルドルフがしました。場所は日本だからワシントンDCの真逆をすれば、日本馬がレベルが低くないことを証明できる。カツラギエースの三冠馬対決、強豪にらみ合いのスキを突いた逃げ切りでなくて、堂々と勝ってそれを証明してほしい。思いが叶いました。

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「やっとやり返した。。。。」表彰式が始まるまで、少しボーッとしていました。ルドルフの馬上で岡部騎手の「6」のサインには力がありました。ウイナーズサークルを囲んだみんなが歓声を上げました。

白い手が光っているようでした。

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モーツァルト:交響曲第40番

感想:
小澤が感涙した感動のステージ。いい音でよみがえってとても嬉しいです。

おすすめポイント:
あたらしい小澤のモーツァルトを是非。

モーツァルト:交響曲第40番

アーティスト:水戸室内管弦楽団 小澤征爾

モーツァルト:交響曲第40番

悲鳴という信頼 85年天皇賞秋 シンボリルドルフ Symboli Rudolf

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(元祖!あっと驚く、ギャロップダイナ!ルドルフ2着)

海外遠征(キングジョージ等)の前哨戦とした宝塚記念(6月第1週)の際、「こんな状態で使う気か?」と跛行しているルドルフの姿をみて周囲の不満の声に「跛行していても勝てるから。」 と追い切りを強行し、出走しようとしましたが、追い切り後さらに跛行がひどくなり、出走回避、遠征断念、長期休養入りとなり、年内は無理だろうという観測が主流となりました。

ところが10月のはじめ頃、ガソリンスタンドで読んだスポーツ紙にはどうも急仕上げにはなるけれど、牧場で追い切りかけたら、動いたから秋の天皇賞に出走するとのこと。信じられなくて、何度も数行の記事を読み返しました。

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当日「ルドルフの単勝を20万」と買おうとした女性に窓口のおばちゃんが「ほんとに良いの?」と確かめていました。出てくれば勝つと信じられていたのですが。。。

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ウィンザーノット

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ニホンピロウィナー

天皇賞にあわせて他の馬がパドックで究極の仕上を見せる中、ルドルフは普通以下、いつものような推進力がない歩き方に見えました。東京2000の大外枠からでは、これはヒョッとして負ける可能性があるかもしれないなと思いました。

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急仕上げで少ししぼんだような馬体、いつもより少し白っぽい感じのする疲労を感じる毛艶、まさにそれはJCで何でもない日本の馬に苦戦したり、後塵を拝している外国一流馬たちの姿そのものでした。この状態でしかも外枠の不利を克服して結果がでるようなら海外G1クラスと対等と考えて良いかもしれないと思いました。

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直線で先頭に立ち、当時の2000の日本レコードホルダーのウィンザーノット、名マイラーにしてもしルドルフさえいなければこの年の年度代表馬であったニホンピロウイナーとの長い死闘にケリをつけて全てを上回る実力を証明したことにホッとして感動しようとしたところへ大外からギャロップダイナが飛んできました。

「えーーーー!」歓声でなく波乱のどよめきでなく、突然目の前で交通事故でも起こったような悲鳴がスタンドを支配していました。2着。。。

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そういえば引き上げてくるギャロップダイナの駆ける音を聞いたと思います。スタンドはそれくらい静かになっていました。

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ただギャロップダイナがこの3頭を追い抜く際に大外から急に内側に斜行しながら追い抜いたため、ニホンピロ、ウィンザー2頭にはまともに不利なり、ルドルフを含め3頭とも走りが固くなって、ギャロップをまっすぐ走らせた時以上に着差が開いたことが結果として残念に思います。

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表彰式がはじまるころ、ゴール前では酔っぱらいが虎並みの大声で掲示板を見ながら叫んでおり、馬名を叫んでは「よくやった!立派だ云々。。」と叫び、騎手の名前を呼んではまた繰り返しで。。。改めて酒の怖さを思い知った次第で、20万単勝を買った人への同情もわきませんでした。

ブラームス:交響曲第4番

感想:
聞いていて途中で夢中になりました。

おすすめポイント:
灼熱のブラームス。小澤征爾とサイトウキネンの渾身の演奏!

ブラームス:交響曲第4番

ブラームス:交響曲第4番

永遠の輝き85年天皇賞春 シンボリルドルフ Symboli Rudolf

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「菊花賞のように3コーナーからスパートをかける方法なら、ルドルフもやっつけられる。」シービーを信じる人は口々に言いました。当時新聞もそう書いていたと思います。

そのことが私には煩わしかった。私はルドルフが好きでしたし、前年の有馬、JCで優劣は決まっているはずでしたから。

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ルドルフのこの日のパドックは圧巻でした。後脚を踏み込む時に風を切る音が聞こえてきていたと思います。菊花賞の時の柔らかさに鋭敏さが加わって、勝負はパドックで終わっていました。

この天皇賞が一番良い出来だったと思います。

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本馬場入場の際、このころはスタンド前で輪乗りがあったのですが、他の馬がレースに緊張して大変になって隊列が乱れているのも知らん顔。ルドルフだけが、厩務員さんとジャレてふざけていました。以下がそれです。隊列が乱れているので岡部騎手は機嫌が悪いのですが馬は関係なしに遊んでいる。これこそルドルフ。

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レースは、あっけなく終わりましたが、馬自身には意外と厳しいレースだったと思います。行き過ぎたシービー賛歌にルドルフの関係者は私以上に余程煩わしいと思っていたのでしょう。3コーナーでシービーが仕掛けた際にわざと行きました。

直線で追い出せば楽に勝てたでしょうし、馬はそう認識していたでしょうから、人間側の都合であとで誰にも文句を言わせないためにも同じところからスパートしたことは案外と馬に負担をかけたのではないかと思います。

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直線でグンと伸びてくる身体に応える迫力は今も忘れません。レース後はあまりの強さにみんなが笑っていたのが印象的な日でした。

「もう史上最強でかまへんわ!」ゴール前にいたシービーファンの友達が、脚立の上から私に笑いながら叫んでいました。

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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」+第3番

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」+第3番

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」+第3番

歩いて勝った 85年日経賞 シンボリルドルフ

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なんとのどかなレース。無敗の三冠馬が登場するにもかかわらず、パドックはやっと周回がはじまるころ一杯になる普通のレース並み。

出走馬の中には今調子が良いから何とかルドルフの持ったままの5馬身差くらいにはこれると胸をはるものまで出てくる始末で。勝つつもりなんて全くなし。誰かのラジオの競馬放送が単勝1.0倍を告げていてもだれも驚いてなくて。いつまでも長閑な日曜日のままでした。

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ちょうどレースが始まる頃、同じ日に行われた関西のサンケイ大阪杯にミスターシービーが出て負けたとかを場内実況で知ったときにスタンドが盛り上がった位で後は、また静かでした。

レースは全くの完璧、まさに「歩いて勝った」とはこのこと。新宿で新しいレンズを買い使ってみたけれど後で、出来上がってきたら、ピンぼけが多くてガッカリした方をレースよりいまでも覚えています。

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ルドルフが中山で抜群に強かったことは知られているけれど要因の一つは、中山を使うときは休養明けだとか、JCの後は有馬記念へとか等随分前から予定が組めていたことが原因の一つと思います。

あとの使い方は目茶苦茶。結果的にほぼ完璧だっただけで。無敗の三冠馬だって、最初はダービーの後、高松宮杯からアーリントンミリオン(米)それでジャパンカップと使うと公言していて本気で菊はどうでも良かったはずですが、宮杯の前に休まず調教やり過ぎて、馬が跛行したんで、それならって変えただけで。

まわりが弱いならまだしも、ビゼンニシキが孫までG1勝てたように、調べてみれば相当に世代的にはレベルが高い。その中で無茶苦茶やって成績がほぼ完璧、圧勝の連続だから、ホント凄いと思います。

日曜日の静寂 84年ジャパンカップ シンボリルドルフ Symboli Rudolf

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いまだに、不思議なんです。なんであの時にあんなことをしたんだろうって。

ルドルフは、11月第2週の菊花賞に勝ちますが、栗東トレセンに牧場から1週前入厩。菊花賞で無敗の三冠馬達成後、美浦トレセン野平厩舎へ帰厩。次の週の木曜に追い切って、JCの会場である東京競馬場へ、いわば外国馬より遅く入厩。体調が崩れ、東京入厩後、下痢便がでていたそうです。

菊花賞からJCへは今でも3才馬にはきついローテーションですが、この時代は3才馬参戦は実質的に想定されておらず、11月第2週の菊花賞から中1週でJCが組まれていました。

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中1週で参戦するだけでも大変なのになぜこのようにわざと負荷をかけたのでしょうか。後でわかるのですがルドルフが一番体調の悪いとされた秋の天皇賞の際には、当日輸送なんです。つまりこれが無茶だってことは、はじめからわかっていたことになるんです。

私には、わざと外国馬が背負う輸送の不利益などルドルフにどんな馬よりわざと負荷をかけておいてそれでもレースに勝つことで、能力をためして見ようとしたとしか考えられないのです。

カツラギエースに逃げ切られ想定していなかった日本馬に負けてしまっては何も言えない。。。関係者がもう亡くなってしまったため等々この件ついては謎だらけです。

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なにしろコスモバルクの長距離遠征よりも、オグリキャップの連闘よりも遙かにきついことを課して、日本馬が一回もJCで勝てない時代に、勝てると思って疑わなかったし、現実に体調を崩しながら後一歩のところまできてしまったのですから。

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2着争いではあったけれど、BCターフで1番人気のマジェスティーズプリンス、確かヨーロッパのレートで120Pという当時の高レートを持っていたベッドタイムと競り合って全くひけをとらなかった。しかも、マジェスティーズプリンスもベッドタイムも凄く状態は良かったのです。後のJCの外国馬で見られないほど。。。

当時日本のサラブレッドのレベルは現在と比べて低かったと思います。しかし、海外のサラブレッドのレベルは昔の方が少しだけだけれど高かったかもしれないと思います。

この後のバブル、円高により日本に大きく買われてレベルが下がった分だってあるはずで、賞金の低さ等、90年代になって訪れたヨーロッパ馬の低迷期がありましたから、それを脱してきてるとはいえ80年代と比べるとまだ低いのではと思います。

日本にいながらにして、世界レベルを知るためには、自分たちも疲れるだけ疲れさせた状態にして競争をさせる方法が一番合理的だったのかもしれませんが。

結果は勝てませんでした。

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レースは、日本馬が勝ったもののJC制覇を熱望されたミスターシービーが惨敗しましたので彼がスタンド前を引き上げる時の鞍上の吉永騎手へのヤジの大きさ、言葉の最悪の汚さは普通なら嫌な思い出としてそれが一番に残るのですが、その後に引き上げて来たルドルフの迫力が、そんな小さいことを思い出とする必要を作らせてくれませんでした。

負けた悲しみ、焦燥感が馬体に一杯になってあふれ出したオーラが全ての人を沈黙させました。

彼が走りすぎていったスタンドには、静寂の波がおこりました。

馬の悲しみが、馬券に外れた怒りを超越してしまった瞬間は、これが最初で最後だと思います。

その中にいた私は、「これは歴史的な名馬。とりあえず今はお金がないから次の有馬記念は無理だけど、来年全てルドルフのレースは必ず観戦しよう。そうしないと一生後悔する。」とカメラをデイパックに入れ、脚立を片付けながら思いました。

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