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2020年12月

「私の淀40年物語」スダホーク(85年、86年)

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スダホークはシーホークという長距離血統種牡馬の産駒で、ダービー、菊花賞と2着で、その時の騎手が関西の田原騎手という関係もあってか、特に冬の関西の中長距離の重賞に、当時としては大きなレースかトライアルレース以外に関東馬が走ることはなかったのですが、関西にやってきて田原騎手鞍上で。86年87年に勝ちまくりました。

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当時関西のレベルはものすごく低くて現在のダートの指定交流戦での中央と地方の差くらいの感じがありました。なので、弱いとわかっていても良く通う地方の競馬場の馬を交流グレードで必死に応援する感覚はよくわかります。強いなやだな強いなやだなと繰り返して浮かんでくるのがこの馬に対しての印象でした。

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上が86年1番人気での春の天皇賞、下2枚が2着になる85年菊花賞、右後脚のバンデージはずっとしていたようです。

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「私の淀40年物語」クシロキング(1986年天皇賞春)

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86年は、冬の関西の重賞に前年ダービー、菊花賞で2着のスダホークが、適距離と当時のあまりの関西のレベルの低さを狙って、関東から来て勝ったりして、春になって2000のサンケイ大阪杯で負けて、1番人気で天皇賞に出てきました。前年の2冠馬ミホシンザンは故障、ほかの馬たちも小粒な感じがする馬、実力はあるけれど故障がちの何とも病的な感じのする馬やクシロキングのように明らかに2000くらいに適性があると思われる馬で、その中でやればスダホークが強いのはわかるけれど、世代2番手が明らかな馬だし、モンテプリンス、アンバーシャダイ、シンボリルドルフと見てきた春の天皇賞なので、なんだかスダホークが勝っても気の抜ける天皇賞だなと思ってみていました。

以前にカツラギエースという2000くらいでは強いけれど、3000超えるとどう乗っても惨敗する存在の印象が強かったからかクシロキングをその存在と重ねて見ていて、クシロキングが勝った時は自分の感性が壊れるくらいになって、長い間カーッとなっていた思い出があります。

1頭1頭個性は違うし、それぞれにこなせる距離や条件があるし、ともっとつぶさに馬を見ていかないとダメだなと、思い返すと現時点では思いますが、その時はダンダン若造が部署を任されて仕事に勝手に比重をおいて仕事ができれば鼻が高くなる頃でしたから、あんまりそれは思いませんでした。

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レース後、競馬場で顔見知りになった同年齢の人が枠連万馬券になった特券を見せてくれました。「これで今年はトントンになった」の言葉にここまでどれだけ負けていたんだろうと、レースと同じくらいの衝撃があったのを覚えています。

クシロキングのレース写真はありません。馬場一杯になってのレースでそれがゴールに向かって集約してくる。どこを撮っていいのかわからないレースでした。80年代に入って天皇賞の勝ち抜け制度はなくなり、何度でも出走できるようになりました。上の3番が86年、下の10番が87年です。

「私の淀40年物語」リワードウイング(1985年エリザベス女王杯勝ち馬)

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写真はローズステークスのものです。エリザベス女王杯は当時3歳牝馬三冠の最後のレースで2400で11月第一週に行われていました。リワードウイングはグリーングラス産駒、グリーングラス自体は500キロあって、最後の菊花賞でトウショウボーイ、テンポイントに勝ちました。多分トウショウボーイが今存在したら、今年2020年秋の天皇賞は1秒近く前を走っていたかもしれません、でも勝てはしないかも。マルゼンスキーが出走してるでしょうから。なのでそれを長距離とはいえ負かしたグリーングラスは強かったし、実物を見たかったのですが、当時高校生の田舎者には叶いませんでした。

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リワードウイングは比較的小さい馬でしたし毛色が栗毛で奇麗な馬でした。母系が凄い長距離血統の馬で、こういう血統にハイペリオン系のインターメゾからグリーングラスを通じて長距離を速く走るスピードが伝わっていてと、欧州重厚血統が目の前で走っているを見ているのは当時何とも言えない快感でもありました。

「私の淀40年物語」ヤマノシラギク(1985年京都大賞典勝ち馬)

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まだこの時代牝馬の古馬路線もありません。その中で中距離を全国10場制覇してまで走りまくったタフな馬でした。なかなか勝てなかったけれど、常に好走する馬でした。京都大賞典を2回、小倉大賞典を1回勝っています。牝馬路線が確立していたら伝説的な活躍を見せたのかもしれません。

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紹介年度は2度目の京都大賞典を勝った85年に、写真は81年、82年、白黒が83年のものです。

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「私の淀40年物語」ミホシンザン(1985年菊花賞)

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さすがにルドルフの項の後は考えてしまいます。85年皐月賞を勝ち、ダービーは故障、そして菊花賞を勝ったのがミホシンザンでした。シンザンの産駒では2頭目のクラシックホースです。

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故障する前までは道悪以外は負けない馬でした。「剛」を感じる馬でしたが、奇麗な馬でもありました。当時始まったばかりの調教見学に当てって、カーナビなどない時代の真っ暗な午前3時ころを栗東に向かって車を走らせていた思い出もあります。

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(当時の栗東Dコース(ダート)でのミホシンザンの追切)

写真を見てみるとこの光の色こそが菊花賞だと。馬体が黄金に輝いて、今が一番の時と馬体が言っているようでした。そして3000mの死力を尽くしたレース。菊花賞は、私の中でこのころ一番であり特別なレースでした.

 

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