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2020年9月

「私の淀40年物語」アンバーシャダイ(1983年天皇賞春)

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前年82年春の天皇賞でモンテプリンスに負けたアンバーシャダイが出走してきて、横綱相撲かと思ったら、同じく前年の菊花賞馬ホリスキーに追い込まれ接戦になる迫力のあるレースでした。この時代関東馬が強すぎる時代で、この2頭も関東馬、情報のない時代、関西は関西だけの情報でしたから、強すぎる関東馬ほど威圧感のあったものはありません。

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ただこのホリスキーが王者であるアンバーシャダイに迫ったという強い印象が次の年の波乱の導線になります。

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アンバーシャダイは、メジロライアン、孫がメジロブライト、メジロドーベルと三代にわたるG1制覇と種牡馬としても成功してそれなりの有効な影響力もあるはずなのですが、このころの中長距離中心からマイルから中距離中心に日本の競馬がシフトして、良質な影響力を保てなくなり、忘れられた感じの存在になってしまっています。

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このころの関東馬が強さは、イメージだけだと高校野球の1回戦で私立の強豪校と公立の弱小高校が試合をして大差がつく感じの開きがイメージ的にあって、しかも福永騎手の落馬以来信頼できる騎手も不在であり、関西では競馬の人気がグッと落ち込んでいました。

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なんとかしようと思ったのか横で引き揚げてくるアンバーシャダイに向かって紙テープを投げていたニイチャンがいたのをいまでも鮮明に覚えています。いまなら警備員に連れていかれますが、馬にも届かず、誰も怒りもせず賛同もせずで、シラけたなかをテープを片付ててました。あれからもう37年なんですねぇ。ハゲるはずです。

「私の淀40年物語」1983年オーバーレインボー(日経新春杯)

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オーバーレインボーです。今も続く馬名の字数制限のため、レインボーの前に「ザ」を入れなかった馬名です。なかなか勝てない馬という印象が今でもありますが、調べてみると地方競馬にもいっていて何戦もしていますので、体が丈夫だったために、回数出てきてちょっと負けるんでそれが印象に残っているのかなと。

写真は、日経新春杯です。1着オーバーレインボーの田島良保騎手と2着メジロカーラ田原成貴騎手の追いあいをご覧ください。

さてやっと83年です。とわいえ90年ころからは凄く薄くなるのでこのペースで行っても淀の新装までには終わるでしょうねぇ~。

「私の淀40年物語」1982年ニホンピロウイナー(デイリー杯3歳ステークス)

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当時は2歳が3歳、2歳戦の頂点は東西それぞれに12月にマイルの3歳Sがあって、それにはクラシックを狙う馬も間に合ってくるけれど、11月には7ハロンのデイリー杯では、まだ早熟な短距離馬が優勢な結果になることが多かったのです。

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短距離馬スティールハートを父に持つニホンピロウイナーもそうだと思われていました。

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ところが、そこからマイラーとして覚醒し、マイラーの分野を一気に作り上げて、最初の名馬として輝いてしまう。素晴らしい名馬を早くから淀で見ていられたのはとても幸運なことと思います。

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「アークトライアルが始まる前に」2020凱旋門賞について

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フランスギャロから2020凱旋門賞チケットホルダーに届いたメールでは、今年は5000人の入場制限があり、一般客は入場できないとのこと。どなたかほかの情報持っておられたら教えてください。(2日間パスを含め)払い戻しについては書かれてませんでした。

日本語発信がないので間違い覚悟で発信しております。

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写真は2019年凱旋門賞です。

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「私の淀40年物語」1982年ビクトリアクラウン(エリザベス女王杯)

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名古屋競馬が開場するとか、17日には地方重賞もあるので出かけてみようかと思ったりします。競馬場に通って30分に1回のレースを見て過ごすのはなによりの時間ですから。

1982年が長くなりました。ちょうどテンポイントが中学くらいの時期に出てきてっていう世代が競馬場に多くいて、下宿をしていた私は、競馬場に通って同じ思いの人と知り合い、楽しい時期でした。

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ビクトリアクラウンは今でいう2歳女王で、春のクラシックの絶対的存在でしたが故障、秋の1冠に間に合わせてきて、まさに力の違いを見せて勝ちました。テスコボーイの種牡馬での大成功で、テスコボーイの父プリンスリーギフトの産駒が多く日本にやってきました。その一番手がファバージであり彼女はその産駒です。産駒はきれいな馬体をした馬が多かったと思います。鞍上は当時タケホープでハイセイコーの敵役だった嶋田功騎手です。

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お金がない学生時代、缶コーヒーと今でもあるカレー味のホットドッグで我慢してパドックに張り付いて、馬体を見ては種牡馬の名前がなにかを当てる一人遊びをこのころよくやっていました。なのでファバージの産駒のラインはよく覚えています。

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ネットで調べながら書いているのですが女王杯の後、彼女の成績は振るいません。長距離の大レースに照準を絞って馬の成長は二の次で使ってくることが影響したようにも今からだと見えてしまいます。

2着はミスラディカル、騎手は音無騎手(現調教師)、音無厩舎の愛馬スティッフェリオがG1勝ったら、その当時の写真を祝勝会にもっていって、昔話に華を咲かせるのが最近までの小さな夢でした。

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「私の淀40年物語」1982年メジロカーラ(京都大賞典)

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ハリウッドターフクラブ賞として始まった京都大賞典は、不思議なことにこの10月の京都にずっとあり続けるレースです。菊花賞が11月実施の時は、ここを叩いて菊花賞へという牡馬も結構いました。

だけど当時としては、3歳牝馬がこの時期に、古馬を相手に勝ち切ってしまうことはあまりなかった。それをメジロカーラがやてのけました。メジロカーラは前走の9月実施の朝日チャレンジカップでヒカリデュールの2着、距離を伸ばしてきて勝ち切りました。

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パドックで前足を前掻きしながらあるく癖のある馬でした。当時3歳牝馬のビッグレースがエリザベス女王杯でしたので、そこでの勝利を確信していましたがビクトリアクラウンに負けました。斤量に敏感な馬で55キロ前後の0.5キロで着順が変わる馬でした。

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貴重なメジロアサマの産駒の一頭です。

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