「私の淀40年物語」アンバーシャダイ(1983年天皇賞春)
前年82年春の天皇賞でモンテプリンスに負けたアンバーシャダイが出走してきて、横綱相撲かと思ったら、同じく前年の菊花賞馬ホリスキーに追い込まれ接戦になる迫力のあるレースでした。この時代関東馬が強すぎる時代で、この2頭も関東馬、情報のない時代、関西は関西だけの情報でしたから、強すぎる関東馬ほど威圧感のあったものはありません。
ただこのホリスキーが王者であるアンバーシャダイに迫ったという強い印象が次の年の波乱の導線になります。
アンバーシャダイは、メジロライアン、孫がメジロブライト、メジロドーベルと三代にわたるG1制覇と種牡馬としても成功してそれなりの有効な影響力もあるはずなのですが、このころの中長距離中心からマイルから中距離中心に日本の競馬がシフトして、良質な影響力を保てなくなり、忘れられた感じの存在になってしまっています。
このころの関東馬が強さは、イメージだけだと高校野球の1回戦で私立の強豪校と公立の弱小高校が試合をして大差がつく感じの開きがイメージ的にあって、しかも福永騎手の落馬以来信頼できる騎手も不在であり、関西では競馬の人気がグッと落ち込んでいました。
なんとかしようと思ったのか横で引き揚げてくるアンバーシャダイに向かって紙テープを投げていたニイチャンがいたのをいまでも鮮明に覚えています。いまなら警備員に連れていかれますが、馬にも届かず、誰も怒りもせず賛同もせずで、シラけたなかをテープを片付ててました。あれからもう37年なんですねぇ。ハゲるはずです。