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2020年8月

「私の淀40年物語」ホリスキー(1982年菊花賞)

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目の前で見られなかったマルゼンスキー、マイルならトウショウボーイに負けるわけないと、当時のラジオ短波の昼休みのフリートークで、大川慶次郎さんと渡辺正人(騎手)がともに言っておられました。その産駒のホリスキーが秋に本格化して、ハギノカムイオー他の春のメンバーを完全に撃破する。ホリスキーの菊花賞は凄い競馬でした。

 

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少しマルゼンスキーの片りんを見せてもらった感じもしたし、レンズを覗いていて、大きなレースなのに、レンズの中に1頭しかいない、しかも3000のレースなのに、ゴールへ向かう推進力が少しも衰えるどころか加速しているように見える。大迫力に圧倒されました。

 

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「私の淀40年物語」アズマハンター(京都新聞杯より)

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私が競馬写真に目覚めるキッカケはこの写真だったのかもしれません。アズマハンターは皐月賞馬、当時ケンタッキーダービーを何年も連続してボールドルーラー系が勝つので、ボールドルーラー系(セクレタリアトもボールドルーラー系)全世界的に流行り日本にもやってきたうち一番競争成績が良かったダストコマンダーの産駒でした。

鞍上の顔が切れていますが武邦彦騎手です。その当時若い私たちが一眼レフを下げて馬を追いかけるのを怪訝そうな表情を浮かべてみておられたのを覚えています。秋の光の中で、物憂げな人と馬、一瞬だからできるなにか、ここから始まってしまったのですわ。

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「私の淀40年物語」ワカテンザン(1982年京都新聞杯より)

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テンポイントのファンというか、当時関西だとそれしか選択肢がなかったんで、テレビでしか見たことないテンポイントの影を、姉オキワカの子供のワカテンザンに求めていました。

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気の強い馬で、ガーっと走る感じで、仕掛けところが難しかったんじゃないのかなって今となっては思います。父は2歳戦とはいえ、ミルリーフを負かしたマイスワロー、オタクにはもってこいの馬でした。皐月賞、ダービーで2着、その後期待されましたがちょっと勝負弱い感じが続きました。

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下2枚は菊花賞です。

「私の淀40年物語」ハギノカムイオー(1982年京都新聞杯)

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82年1月京都でデビューし逃げての3連勝で、セリで2億に迫る価格での話題が確信に変わりましたが、皐月賞は惨敗、その後は中距離の先行馬として活躍しました。11月に行われていた時代の菊花賞の直前のトライアルは京都新聞杯、ここを逃げずに先行して差し切ったんで、競馬場でもにわかにファンの菊花賞への期待が高まっていたのを覚えています。

「私の淀40年物語」1982年モンテプリンス(天皇賞春)

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モンテプリンスは、父は欧州長距離系のシーホーク、前年の秋の天皇賞3200を僅差で負けて、春に万全を期してきました。ホントの横綱相撲で勝ち切って、この後宝塚記念にも勝ちます。

道悪が下手な馬でした。衝撃だったNHK杯、当時はダービートライアルでした。楽にぶっちぎって勝ちました。だけどダービーは2着、秋の菊花賞も2着、勝負弱さが印象的な面もありました。

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2着になるアンバーシャダイの加藤騎手の「ゆっくり3コーナーの下りをいかないと最後脚が上がるって聞いていたけれどそうでもなかったな」っていう真実なのか負け惜しみなのかのコメントが今でも印象に残っています。私にとっては初めて淀で見る天皇賞でした。

「私の淀40年物語」1981年サルノキング「これぞ化け物」

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さてもう一つ1981年で、サルノキングです。京都3歳S(現在は2歳S、このころは数え年)1400での末脚は信じられない域を超えていました。最後方からもう来ないよなってあと200で確信できる位置からの差し切りの大楽勝、負かした相手が名馬のヤマノシラギク、大きな馬がまるで飛び続けているように動く感じでした。ディープインパクトの若駒Sを凄いという人もいるけれど、ちょっと何段もレベルが違う感じがします。

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だからこそのスプリングSでのスローでの最後方待機であったと。アイドルと化したハギノカムイオーの逃げを後方間に合わない位置から楽々差し切って「マダマダ」ってカッコつけられることってそんなにありませんから、この快感を確実に味わえるからの最後方待機であると。当時テレビ観戦でしたがサルノキングが大外からあざ笑うかのように差し切ってしまうレースを想像して道中ワクワクしてましたから、(故障していたんですが)直線で伸びないショックは相当なものでした。

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丁度その何年か前、サーアイヴァーでピゴットが同じように周りからみたらムチャに控えて、直線で猛然と追い込むレースをワザとして、それで少ししか勝たないんで、それは公正さを含めていけないんじゃないのかって大きな批判になったそうですが「サーアイヴァーだから」っていう答えピゴットは平然としていったそうです。サーアイヴァーに乗ったらその凄い末脚を味わいたくなる。そういう存在だったそうです。サルノキングもそうだったのではないでしょうか。スプリングSで馬主が変わる前に少し無理してレースを使ったことがスプリングSの時の脚元とかなにかに影響をしていたと私は思っています。

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「私の淀40年物語」1981年のキングスポイント

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82年に行く前にもう一つ、キングスポイントのことを。名馬テンポイントの全弟として注目されましたが、なにしろ父コントライトは血統こそ良いものの欧州での成績は芳しくなくて、今から思えばコンスタントに成績を出せるわけはなく、よく祖父のネヴァーセイダイに似たテンポイントができたなってところがホントのところでした。

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キングスポイントもあまりスタイルが良くなくて、当時の私でもこれはイカンのでないかと思っていたら、1勝どまり、障害に入るって聞いても、ほんとに大丈夫かっていう思いがありました。だから障害ではじめ連戦連勝で突き進んだ時は嬉しかった。

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写真は81年冬の大雨の日の障害戦、多分障害デビューから3連勝目だと思います。まだちょっと飛越がおぼつかない時があって、凄い道中を不安になりながら観戦していました。

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この当時の中山大障害は、勝つと斤量が2キロだったか増やされて、凄く重くなってなかなか連勝できないシステムになっていました。強くなれば重すぎる斤量と戦わねばならないのは障害でも平場でも同じでした。テンポイントと同じ11勝の勝ち星、そして競争中止、もはや語られないのが残念です。

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モノクロですいません。当時学生だった私、ISO400のフィルムを買う金がないとモノクロフィルムになってしまうのが現実でした。だからフィルム代、現像代がかからないデジタル一眼はホントにありがたいです。

「私の淀40年物語」1981年ミナガワマンナ(菊花賞)

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このころ面白くなくて、関東馬は思い切り強いし、81年の菊花賞はサンエイソロンの1強だし、ほかの馬もなんかピリッとしない馬ばかりだし、この菊花賞が面白くなかったら、というか面白くないだろうからここで競馬なんて世の中に認められてないものスパっとやめとこと下宿で競馬本を紐でくくっていた思い出があります。

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後でわかるんですが、サンエイソロン鞍上の小島騎手が日常トレードマークにしていたサングラスには度が入っており、レースではまだよいコンタクトがないので裸眼で騎乗するために、11月の夕暮れの曇りがちな日のレースで、はっきり見えない内側を突いてくるわけがなく、サンエイソロンの得意の内側急襲が物理的にできない、それで外を回す、それをシンザンの血が菊の香りで目覚めていて、先行していたミナガワマンナにまんまとやられた。4コーナーで見ていて、ぐっとミナガワマンナがレースの流れに乗って、その後を慌てふためいてサンエイソロンが追いかけていく。向こうのゴール前で歓声が聞こえる。また競馬場に来ようと思った瞬間でした。

「私の淀40年物語」1981年サンエイソロン(三冠トライアルレース全制覇)

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三冠レースの三つのトライアルレースをすべて勝ったサンエイソロン、いまでは語られませんが、実際見ていたものにとってクラシックロードでも強さは格別なものでした。

 

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淀での菊花賞のトライアルレースの京都新聞杯では、内側をズバッとついてきて、あっという間にセーフティリードという、もう菊花賞間違いなしと誰もが言ってしまう強さでした。

 

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このころの淀のスタンドは現在よりもっと最前列より馬場の方が高い位置にあり、最前列のラチによじ登って座って撮らないと、外ラチが邪魔になる作りであり、このことがやがて写真オタクが脚立をもってあちこち動き回ることにつながっていきます。いまとなってはホントにすいませんですが。(このレース写真はその外ラチを乗り越えて座り込んで撮りました。今なら確実捕まります。)

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