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2020年7月

「10ポイントの見出しで」スティッフェリオ(引退)

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10ポイントの見出しで出るような馬になってほしいがテンポイントの命名の理由、10ポイントの見出しではあまりに小さくて、それでよいのかって思っていたけれど、スポニチのサイトに景気の良い見出しの下に小さく「引退」の報。良かったとまではいかないもののじわっとしたものがあります。こういうことだったのかって、あなたがテンポイントだったのかって。

進路は乗馬であるとか、仕方ないです、ディープ系がキンカメ系に大きく差をつけられて、残すところはこの兄弟以外というか濃くならないバステッドのクロスを試していないことなんですが、このまま試さずに終わるのも少しね。あの捲るような脚を持つ産駒が意外と簡単にできたかもしれないので。ほんとここからの無事を祈ります。

「幸せでしたよ。ありがとう。だからくれぐれもお大事に」スティッフェリオ(引退)

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(小倉大賞典)

放牧先で屈腱炎が見つかり、広範囲だそうで引退となりました。仕方ないですね。よく走ってくれました。最後の10月の淀でもしかすると会えると思っていましたが、何しろバステッドを3代目にもって日本で成功していたのはディープインパクトの次がこの馬のはずで、ディープがいわゆる馬体にしては大きな爪を持っていたのににたいして、この馬はそれなりの大きさだったのでその分瞬発力がなかったけれど。

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(オールカマー)

だけれどいまのところ成功していない母父ディープインパクト、母父ディープ産駒にこの馬を交配すると、例えば古くはルドルフとジャパンカップで競り合って負けなかったベッドタイムもバステッドの孫だし、欧州重厚系で日本の芝に相性が良くて、しかも世界も走れる血統もできるかもしれない血脈を他より薄くしないで済むことができるはすで、自分の持ち馬でありながら、馬体の形も含めて、もう一押しあれば種牡馬になれて競争生活よりも良い未来が待っているものと思っていただけに、なんとかならないかと思いますが。。。それが残念ですね。(バステッドの血が濃くならないが薄くならないクロスでの可能性は結構あると思うんですが)

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(1歳11月)

初めて参加したツアーは、長い15年の介護生活が終わった次の年、それで目移りして訳も分からず牧草地を焦って動きまわっていたところを、ヌッと横切っていって「大きな馬だな」と感じたけれど、数字はそれほどでなくて、それなりにそれで可能性を感じて。そこからズッと幸せでしたよ。だからありがとう。くれぐれもお大事に。

 

 

「私の淀40年物語」1980年菊花賞(ノースガスト)

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新しいスタンドができて、1980年の淀は11月12月と開催がありました。モチノキがパドックに残って、ファンの暴動が相次いだため、馬道とスタンドの境に透明のフェンスができて、初めての大きなレースが菊花賞、凄い人でした。

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この前まで田舎の高校生だった私、人ごみのパドックに行くのが怖くて、ゴール前のスタンドで待ち続けた思い出があります。このころ場内発売分が全体の半分くらいあった時代、そのためレースのインターバルは50分と長く、結構長い間待っていて、晴天だったのでのどが渇いた思い出があります。

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良馬場だったので、道悪以外はパフォーマンスが圧倒的なモンテプリンスが絶対本命で、レースも堂々としたレースで、ゴール前まで来た感じでした。ところが望遠レンズの向こうで誰か大きな手が順番を入れ替えたみたいにノースガストが大逆転して1着、驚きと興奮が一緒に襲ってきて、菊花賞の凄さに圧倒されました。

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ノースガストは菊花賞まで仮服で走っていて、菊花賞が初めて勝負服を着てのレースでした。このレースの1年前、人気薄だけれど活気がある彼を見て阪神のパドックで心が動かされて、レースは評判馬を蹴散らしての1着、実際に競馬場でインスピレーションを感じたのはその時が初めてでした。そして巡って菊花賞制覇、私の競馬ライフの始まりに彼がいました。

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「私の淀40年物語」そのプレヴュー

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40年前はやたら記念入場券が出ており、取り壊される現在のスタンドができた時は、その開催は毎週出ていたと思います。今もパドックにあって、次のパドックにはなくなってしまうモチノキは、その1代前のスタンドの時から現在の場所にあったわけでなく、もっと北側多分、シンザンゲートからスタンドへ上がっていく階段付近にあって、当初取り払うはずが、京都といえばパドックのモチノキは必須であるとの声があちこちから起こって、今の位置になりました。

40年昔は、今より礼儀、礼節に個人が厳しい時代でそれをやりながらも個人の主張はハッキリする時代で右から左まで様々な価値観がありました。現在は、これだけの危機が迫っていても礼節は緩く、逆に個人は主張しないことが望ましい、主張はなにかに押し込めて誰かの強さを感じる言葉や感覚で自分を着飾っている感じ、主張が決して外に出てこないから何も動かない、だからモチノキ1本にしたってなんの議論も起こらない、押し込めている空間でお金が発生するのを競っているうちに時間が経過してしまう、昔競馬場にいると覚えた感覚が世間に充満していて、なんとなく競馬場にいた方が今ではその空気が薄いような気がする。それが40年なのかもしれないと。

グダグダ言いながら多分40本くらいこればかりと愛馬の話でこのブログは続くと思います。多分不要な記事を削除して、それで容量満了となるはずです。もうしばらくよろしくお願いします。

写真は、40年前の入場券を張ったスクラップブックです。

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