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「ゆっくりと昔語り始めます⑦」ロンググレイス

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彼女のレースで一番憶えているのは、84年秋の天皇賞です。たしか3着でした。もう少しでミスターシービーを差すかってところまで来た感じのレースでした。鞍上田原騎手の直線での間合いの取り方に、ハッとさせられた想い出があります。レースがシービーの鮮やかな差し切りでしたのであまり注目はされませんがホント見事な立ち回りでした。

80年代当時牝馬は牡馬に敵いませんでした。理由は長距離指向のレース体系にあったと思います。そのためダービー、菊花賞、16ハロンの春秋の天皇賞を目標に馬が作られました。血統もそれに応じた血統の馬が多かった。坂路、ウッドがないトレセンで馴致、仕上げ、レースのサイクルをこなし、レースを使いながら目標に向かって体力を徐々に向上させ目標にむかう方式がメインの80年代まででは、体調の変化の大きい牝馬が持続力が必要な長距離では後手を踏んでしまうのは当たり前、その分牝馬は不利となっていました。

ロンググレイスもテスコボーイの大成功で数多く輸入されたテスコボーイの父プリンスリーギフトの産駒でイタリアダービー馬のゲイルーザック、母方は欧州クラシック血統の日本的組み合わせと言っていい母系であり、ダービー以上の距離を意識して、いわば牡馬を期待して配合したんだろうな的な血統でした。

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現在牝馬が強い理由は何かと言えば、まず距離体系が中距離中心になったこと。距離のバリエーションが、牝馬限定のレースが増えてレースが選べるようになった。いわば持続力より素質の部分に頼ることが多いとも言っていいスピードやキレの方に重きが置けるようになった。トレセン、外厩の施設の充実により、体調が昔より短期間で作りやすくなり、牝馬独特の体調が不調な期間に無理にレース、持続した調教を課さなくても良くなった。

だけとロンググレイスのいた時代は80年代、84年絶対無理なはずの秋の天皇賞、望みはレースの距離が前年の16ハロンから初めて10ハロンの中距離になった事だけれど、当時牝馬限定G1馬なんて現在が1段階下の評価なら、80年代までは2段階以上下の評価であった時代、それなのにあのレース、レースが直線で動き始めてから三つ数えて動き出した騎乗に応える能力、いまでもあの熱さを憶えています。

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