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2020年4月

「美しさに不安なしだったが」フアナ

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残念ですね。優先出走権が取れなかった。外枠から外々で正攻法で、最後少し強い風もあったがヨレて、多分この時期の良馬場は馬格がある程度必要なのに418キロの馬体重、強い競馬をしたけれど僅差3着、ほんとに母によく似たフアナ、なんとか出走させてやりたかったですが。幸運は落ちてないでしょうなぁ。写真は新馬戦です。アドマイヤビルゴに食い下がってる、結果論だけれど振り返るとここに使わなきゃひょっとしたらオークスはって。。

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「ゆっくりと昔語り始めます⑦」ロンググレイス

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彼女のレースで一番憶えているのは、84年秋の天皇賞です。たしか3着でした。もう少しでミスターシービーを差すかってところまで来た感じのレースでした。鞍上田原騎手の直線での間合いの取り方に、ハッとさせられた想い出があります。レースがシービーの鮮やかな差し切りでしたのであまり注目はされませんがホント見事な立ち回りでした。

80年代当時牝馬は牡馬に敵いませんでした。理由は長距離指向のレース体系にあったと思います。そのためダービー、菊花賞、16ハロンの春秋の天皇賞を目標に馬が作られました。血統もそれに応じた血統の馬が多かった。坂路、ウッドがないトレセンで馴致、仕上げ、レースのサイクルをこなし、レースを使いながら目標に向かって体力を徐々に向上させ目標にむかう方式がメインの80年代まででは、体調の変化の大きい牝馬が持続力が必要な長距離では後手を踏んでしまうのは当たり前、その分牝馬は不利となっていました。

ロンググレイスもテスコボーイの大成功で数多く輸入されたテスコボーイの父プリンスリーギフトの産駒でイタリアダービー馬のゲイルーザック、母方は欧州クラシック血統の日本的組み合わせと言っていい母系であり、ダービー以上の距離を意識して、いわば牡馬を期待して配合したんだろうな的な血統でした。

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現在牝馬が強い理由は何かと言えば、まず距離体系が中距離中心になったこと。距離のバリエーションが、牝馬限定のレースが増えてレースが選べるようになった。いわば持続力より素質の部分に頼ることが多いとも言っていいスピードやキレの方に重きが置けるようになった。トレセン、外厩の施設の充実により、体調が昔より短期間で作りやすくなり、牝馬独特の体調が不調な期間に無理にレース、持続した調教を課さなくても良くなった。

だけとロンググレイスのいた時代は80年代、84年絶対無理なはずの秋の天皇賞、望みはレースの距離が前年の16ハロンから初めて10ハロンの中距離になった事だけれど、当時牝馬限定G1馬なんて現在が1段階下の評価なら、80年代までは2段階以上下の評価であった時代、それなのにあのレース、レースが直線で動き始めてから三つ数えて動き出した騎乗に応える能力、いまでもあの熱さを憶えています。

「空に憧れる人たちのために」コントレイルContrail(皐月賞1着、写真はホープフルSより)

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皐月賞はコントレイル1着、サリオスが良いデキだったので、レーンだしまたかっていう感じだったけれど、なんとなくホッとしてしまったし、強かったと。

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新馬とホープフルSを見たけれど、新馬は、ディープの大物候補っていう新聞の文句で、それに応える楽勝、よくある風景だったと。ホープフルSは、パドックで手足の強さが自分には感じられて、ちょうど体は小さいがカデナがこんな感じの手足の強さだったかと感じていたのを憶えていると。

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そうなると早熟かなと思っていたけれど、結果は快勝、ただ3着のガロアクリークもホープフルSに出ており、差はあまり変わらないような感じもし、結局は早熟な馬たちがまだ生き残っているだけかもしれず、加えてアーモンドアイがダービー後の安田記念に出てくるので、そこで勝たせて話題を作りたいとこのご時世いつもより想いが強いはずであり、当然のように極薄の軽い馬場を作ってくるはずなので、例年のようにダービー前に芝を刈ってくることがなかったり馬場管理のタイミングを変えてきたりするはずなので、オークスは多分芝丈が長いままだろうし、ダービーも例年のコンデションでない可能性は大なので、そうなると力が要る馬場が残っていて、後発組がそれを活かしてしまうと、ダービーでは一波乱あるかもしれないと。

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競馬週間誌を買ったけれど、写真の人数も減らされて、確実に撮らなければならないとの思いがその画像に見て取れて、改めて事態がひっ迫しているのを感じた次第。

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福永洋一騎手のハードバージで勝った皐月賞が祐一騎手が今回勝ったことで少しでもクローズアップされるのは嬉しいこと。是非探して見てください。これが福永洋一だっていう騎乗です。

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短波放送と言っていた時代、お昼休みになると大川さんと渡辺正人さんの長岡アナ司会の対談コーナーが毎週日曜にあり、それによると、皐月賞で負かした2着3着馬は並ぶと抜かせない粘り強い馬であったのだけれど、追い抜くときのその馬との間隔とか騎乗の姿勢とかで少し驚かせるように追い抜くことによって、差し返しをさせない乗り方をしたと皐月賞3連勝の元祖フリー騎手の渡辺正人さんが語っておられたのをいまでも憶えています。変な話かもしれませんがこういう生々しさを感じる話はいまはそれほど聞こえなくなった、関係者の意見と言ってもそれなりに加工がしてある感じがするのが残念と言えば残念だと。

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写真はホープフルSの返し馬などです。

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「マスクをしよう」バイマイサイド(準オープン惨敗)

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期待していて1番人気、でも初めてレースでマスクを外して。確かに前走ムーア騎手から進言はあったかもしれないけれど、周りを気にする馬、しかもずっとマスクをつけてきて好走してきているのに、それなのに取ってくるとは、追走の時のフォームが変だった。良く見えた追切ではマスクをしていたし、やはりレースだけ変えるのはいけないと感じて、話は違うけれど持ち馬で同じステイゴールド産駒のスティッフェリオもマスクを外したら首のアクションが小さくなって最後の止まり方が大きくなった。

12月のレースは接戦の2着、世界的に有名な外国人騎手は、日本の騎手と追い合ってそれで負けたんで、日本の騎手に自分が負けるわけないから負け惜しみでマスクの性にして言ってただけで、それを真に受けているのが情けない発送前だった。

マスクをしよう、みんな言ってる、人だけでなく馬だっていつもしてるマスクがなければ不安なはず。それがご時世なの。騎手でなく馬の方を見てね。すっかりステイゴールドのことわからない厩舎になったんだから。とにかく無事で。お願いします。

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「新しい時代に新しい勇気を」デアリングタクトDaring Tact(桜花賞制覇、写真はエルフィンS1着より)

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ひょっとしたら、この2月の京都競馬場が最後になってしまうのかと。事態が収まっても競馬場は開場できるんだろうかと。馬券を売らず、食堂、イベントを中止し、椅子席に間隔、開門前の徹夜組の排除などで午前中だけでも開場してほしい気はするけれど。それも無理でしょう。台風の季節が来る前になんとか収束してほしいというか、収束させるのに協力?も可笑しいか、自分のことだから。

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さて、後ろ向きのことばかりでも仕方がないので、たまたまデアリングタクトのエルフィンSの写真を見ていたら、このまま出したら彼女の凄さも感じられると思い再度構成しなおして。

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テレビ観戦しかできない時にこういう存在が出てキレてくれたことは大変うれしいことだし、それを競馬場で見ていたってことは今まで以上に大事なことのように感じられるし。

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なにしろまずこのエルフィンSで返し馬の時に、他の馬とさほど速さは変わらないのに、このストライドの狭さでそれなりに遜色なく走れてしまっているのはというのが凄いかなと。

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パドックの写真とか他でも自分が感じているエピファネイア産駒の特徴があって、それは多分シンボリクリスエスからのものでそのためにシンボリクリスエスは産駒の傾向ができたかなと思うのだけれど。

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それが彼女は幾分マシなので良馬場でもいわゆるアーモンドアイが走っているような蹄も隠れないような刈り込まれた馬場では無理だろうけれど、それ以外の良馬場ならそれなりに能力が落ちないかなと感じていて、なにかは言いませんが何しろ凄い結果論ですから。でも結果論を積み上げて馬を買うと結構余り物で重賞を勝てたりするんですけれど。

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桜花賞の時は、こういう馬場なら負けないのかもと思っていて途中で外に出した時に勝ったなって思って。

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エルフィンSの記憶は、あんまり楽にゴールしたというか楽に離して流して走ったもんで、ゴール前でもうレースが終わったと思って、ゴールしたところで目線を切ってしまうほどで、ゴールが事後感満載だったということ。凄いなって画像見ながらというか後ろの景色見ながら、普通の大楽勝ならこんなゴールくらいのところで終わった感が漂ってそれを感じてもう撮るのを止めたりしないのになって。

 

「ゆっくりと昔語り始めます⑥」ステイゴールド

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98年のジャパンカップの時の写真です。当時助手だった池江調教師が若いなと今から思えばそう思いますが。私自身のステイゴールドの写真は少ないです、全てパドック写真、好走した時は現場では見てません。ドバイを勝ったときは正直テレビ中継でこんなに感動するかっていうくらい感動したのを憶えています。血統が名門でしたから、最初のころナカナカ勝てなくてその後もボチボチで、なんとなくいいとこのボンボンがフラフラしてるイメージが自分には長くありました。

このころナカナカ競馬場に行けなかった。残業はすべてカットなのに休日出勤は当たり前、休日野放図に私用にコピー機を使いまくる輩、時間中に公用車で買い物に行く輩、時間外になっても仕事が時間内にもないのに居続けてに家に帰らない輩、そのころ湖北の裕福な自治体にはこんな奴ばっかりでそれに同調しなかった私は変わり者扱いされてはおりました。この2年後に我が家には約15年の介護生活がやってくることになります。あほらして神様はいまでも大嫌いです。

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さて、ステイゴールドをじっくり見ることができなかった私にとって、社台系のクラブのカタログにステイゴールド産駒が載っていて直感的に良いものを感じても確信的なものが生まれずナカナカ手を出すことができずに、その内に産駒たちの活躍で価格も人気も上がって来て獲りにくくなり、ようやく13年に東京サラブレッドでレッドアルティスタ、次の年にサンデーで良いなと感じているのに余っていたという幸運でワンブレスアウェイ、キャロットでシュペルミエールと、その後もステイゴールド産駒は直感で良いなと感じれば必ずと言っていいほど走ってくれる存在になってくれて、みじめだった人生に少しは花の美しさを見せてくれる存在になりました。

なので私がもし一口馬主系で成功したいならと尋ねられたら、運やセンスを信じないのなら良い血統の馬を買い続ける物量作戦がと答え、そうでないなら自分に合った種牡馬の産駒を信じて買ってみることとと答えるだろうと今は感じています。なので現在ステイゴールド的な存在を探している真っ最中ではあります。

 

 

「ゆっくりと昔語り始めます⑤」ノースフライト

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マイラーズカップ、安田記念、マイルチャンピオンシップを同一年に勝っていて、特に安田記念は国際レースとして、今とは比較にならないほど欧州から一流馬が来ていてそれに完勝していいてる内容は、今存在していたら、たとえナリタブライアンが三冠と有馬記念を制していても年度代表馬の対象として議論にはなったでしょう。欧州ならひょっとしたら彼女の方が年度代表馬に選ばれていたかもしれません。自分にはこちらの方がパフォーマンスが上に見えました。

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マイルで着差をつけて勝ち続けることの大変さにまだ時代が気づかなかった不幸がまだこの時代存在していたのです。いまの政権が嫌いな知事が先立ってやると、こんな非常事態でも対抗心や敵対心をあらわにして、まず感染のパニックを起こして嫌ってる相手に恥をかかせて、それからでないと非常事態なのになにも行おうとしない、敵対心を優先してそれでよいと思えてしまってる。何人死のうが構わないの態度が見隠れする。そんな今日と同じような感覚が普通に蔓延していました、勝手に三冠馬が偉いんだがはびこって、他は有効でも全く気付かない、全否定してもかまわないのが現状がありました。たしか誰も年度代表馬の投票で彼女に入れなかったと思います。

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