2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »

2020年3月

「ひょっとして君は打ち勝つ未来を持っているのかな」スティッフェリオ(テレビ観戦の日経賞は3着)

20022019_02_17_img_9999_31

発病はしていないがウィルスは持っているとして行動しないという行動をしなければならない昨今、私も含め、このいつもは凡人の群れにひょっとしたら、この国の近未来がかかっていると思うと、なにか大きなものをいつもより感じてしまうけれど。「禁止じゃなくて自粛だから」って行動してる人をテレビで見ていると、きっと誹謗中傷を拡散している人の姿も大差なくこうなんだろうって思って、普通の姿、普通の顔やファッションでの身振り手振りをこの機会に憶えておこうとは思うけれど。

さて、2月にグリーンウッドへ見学に行った際、さぞ激戦の疲労困憊から抜けていないんだろうなと思っていたらフレッシュな状態であり、グリーンウッドに来る前の10日間ほどの吉澤ステーブルでのトレッドミルなどでのリフレッシュ期間が上手くいったんだろうなと感じて。

家に帰ってから11月に見た時との画像を比較してみると全然違うとも言え、前回、馬は立派になって関心はするものの、こんな感じだったかとどこか思っていたので、やはり極薄馬場と言うか部分的に内側をラグビーの競技場よりまだ短くしてしまった高速馬場での秋の天皇賞の疲労と言うかこの馬のフォームが異常な馬場で壊れてしまった部分があるのかなと思った。

その後の2走は、なぜか馬体重が増え続けて、たとえG1と言えど負け方も大きくなり、斤量泣きする中級オープン馬で今後は落ち込む日常的な運命を持つことに、この馬もなってしまうのかなと。なにしろG1は無理でも、もうあと重賞2勝くらいして種牡馬枠の隅っこにでも入れれば、少し低い体高と少し長めの背中、中くらいの馬体と現在の活躍馬にない要素をたくさんもっているので必ず活躍できる可能性が大きいので、実質調教不足で惨敗したAJCも含め、残念だなと思っていました。なので、2月のリフレッシュした馬体には少なからず嬉しかったと。

20022019_02_17_img_9999_91

今回は調教もビッシリ、馬体重も440キロ台、マスクをしてマスクを外した時より少しリズムが柔らかくなった走りで僅差好走、直線強い向かい風で1周目も最後も勝ったミッキースワローに風よけにされての3着、でも勝馬2着馬とは1キロの斤量差、で1馬身程度の勝負、初めて2200以上の距離で長い脚を使って自分で勝負しての僅差負け、まだまだ可能性が十分にある走り。まだ出来には余裕があるし。次も期待できると感じられるのが嬉しいと。。ホントは宝塚記念だったかもしれないけれど、距離もこなせたし、状況からか次走は天皇賞だとか。距離が距離だけについて回ってワンテンポ早目に動いてあとは野となれ山となれって感じでしょうか。

自分としては久しぶりに出てきた京都で武騎手騎乗で負けたけれど、その時の返し馬のフォームが忘れられないと。なんとも言えないクビの楽な感じで静かで自由でそれでいて躍動感ある動き、一切無駄な締め付けをやっていないのにとても感動して。こんな馬だったんだって思えて、それでここまで来て。。空いてないかなぁ。。。写真は19年小倉大賞典。

 

「ゆっくりと昔語り始めます④」ミスターシービー

83kysmcb024

うがった考えを言うならば、彼のファンというか彼を贔屓したマスコミなどが彼の価値を見誤ったことが一番彼にとって不幸な事だったと思うし、いまだにそれを直せないというか未だに次の年の三冠馬ルドルフと比べて負けまいとして空論を繰り返すマスコミ関係者がいることは、自分的には直せないんなら早く消えてほしいと思う時があります。

まず、4月中山、5月東京、11月京都と闘って三冠馬となったのはミスターシービーが初めてでありこれは凄い価値があります、(仕方がないとはいえシンザンは皐月賞が東京、ディープは10月の菊花賞、オルフェは東京の皐月賞で10月の菊花賞です。一番長く施行されたパターンでの三冠馬は実は2頭だけなんです。)三冠が重要視されてからはシンザンに次いで2頭目の三冠馬だし、しかもトウショウボーイ産駒であり、父内国産の馬が偉大過ぎる記録を達成したことに意義や価値が凄くあるんです。これを必要以上に傷つけてしまったことが非常に残念だと。

83kmcb19

確かに豪快にまくったように見えた菊花賞を凄く強いという人もいるけれど、次のレースで有馬記念を勝つリードホーユーの方が、かぶりつきで見ていたものからすると最後バテているのにフォーム的にも馬的にも迫力がありました。ただ長期休養明けで、その時代レースを使って仕上げる時代だったので、まだ休養明け2戦目で明らかな仕上がり不足であり、その分幸運であったと思いますがそれが三冠レースなんです。菊花賞時他のメンバーは後に準オープンさえ勝てなかったようなメンバーだったと記憶していますので、次の年2000mの秋の天皇賞を勝てるだけの能力があればどうやっても負けなかったレースだったと思いますし、そんなこと関係者ならだれでもわかるんで、まくって勝ったことを伝説のように強調しなくても良いのが当たり前なんですが。

次の年にルドルフが出てきたこと、これにルドルフが中1週のJC、そして有馬と続けて完全に負けた、まだまだシービー礼賛で儲けたいとするマスコミが自分勝手にシービーの価値を歪めちゃった、昔はマスコミが焚きつけると関係者はもうそれに踊るしかなかったんです。いまなら12ハロン以上は合わないなら、宝塚、秋の天皇賞に照準を合わせるけれど、それをできなくしてしまった。春の天皇賞、まくっていけばルドルフだって負かせるって言って贔屓のマスコミはばからなかった。今でいう関係者がそう言ってるっていう理由をつけて。(いまでもあるでしょ、明らかに違うのに、関係者がそう言ってるって言って、それが正論だっていう関係者とかクラブ関係者とか、それのモットえぐいやつ。たしかJCなど惨敗したレースはあとで体調面の不安があったってシービー贔屓の評論家は言っていて馬鹿かとの思いがいまだにありますが。)それでマスコミが焚きつけたようにマクってそれで競走馬として終わってしまった。何走も合わない距離を走らされて消耗しすぎたのか、種牡馬としてもあれだけの秋の天皇賞のパフォーマンスがありながら良い産駒を残せなかった。

83kmcb181

加えて、この時からいわゆる場所取りが始まりました。ここまでは、最前列や良いところで見たいんなら、そこに離れずに居続けなければなりませんでしたが、シートを張って場所取りをシービーファンがやり始めてしまった、今以上に異常な風景でした。シービーを好きなら、なにをやっても良い雰囲気をマスコミが焚きつけて作り上げていたのがこの現象を生んだんです。場所取りまでしてシービーを応援したっていうのは善行でとても良いことだったんです、迷惑を未来永劫凄いかけても。

いま新型コロナで競馬が無観客になって、気温が低いとか天候が悪いとかになると特にガラス張りスタンド内が何千人でごった返す中山、阪神の競馬場での観客を入れての競馬再開は春には無理でしょう、それよりは風通しの良い東京、京都での再開になる可能性は高いと。

京都、東京開催で再開した時の一番の問題点の一つは場所取りのために、人のいる場所が狭められ、パドックでもスタンドでも屋外なのに必要以上に密集していわゆるパンデミックをおこしやすい(ちょうどイラン的な)空間を作ってしまうこと。場所取りを放置したおかげで競馬自体が危なくなっていることは確か、いまこそ1983以前の競馬場に戻しましょう。本当のシービーの名誉のために。

「ゆっくりと昔語り始めます③」オグリキャップ

App2813

中央2戦目、毎日杯の写真です。辛勝です。やっと勝ったイメージでした。現場にいたファンは私を含め3人です。女の人が「キャップ!!」と叫んでいました。まだ「オグリ!!」ではなかったんです。

競馬っていうのは面白いもんで、勝った後の方がファンが増えます。勝った後生まれるファンの方がそこまでのファンより多い現実はいまでも続いていると思います。当然ラストランの有馬記念を勝った後の方がそこまでのファンよりも多いはずです。だからその人たちが同じ夢があると思って競馬場にその後やって来て競馬ブームが起こったと思います。

個人的に言えばこの有馬記念の感動的な勝利で有馬記念の地位が今の暮れの大一番的な存在としてやっと確立したと感じています。

「ゆっくりと昔語り始めます②」ミホノブルボン

App3276

さて、マラソンの厚底シューズの特徴は、本番での優位性もさることながら、このシューズにより練習することで故障する率が格段に減ったことが特徴であり、それ故に使用率が爆発的に上がっていると専門家の人がテレビで言っていて、なるほどと思うと同時に、競馬で考えるとこの現象って坂路ができたことにあるのかなと思いました。

逍遥馬道と言われた時代から故障がちの馬を仕上げるのに使われ、特に前脚に負荷がかからない効果が特徴で、坂路に整備されてから、最初の時期にこの坂路をフルに使って、現れたのがミホノブルボンでした。

92kysmb3

すでに社台系のスタリオンの産駒の全盛時代の幕開けを迎えている時期に、父が世界的名馬ミルリーフっていうのが最大の売り文句という前時代的な種牡馬の産駒であり、それを坂路を使って鍛えるだけ鍛え上げてレースを制していく姿はまさに爽快なものがありました。

ちょっと縦長の写真を使いながら昔語りはもう少し続きます。

「ゆっくりと昔語り始めます①」エアグルーヴ(チューリップ賞より)

96tyuag5

さて、ブログも容量が少なくなって、約40年分の自分史をいつ終わるかと思っていたら、このウィルス騒ぎ、本当はダービーの後と思ったけれど、ボチボチフェードアウトの準備を始めようかなと。移転先をなんとなく決めて次の40年も頑張らねばと60歳を手前に思っている次第です。なのでこの機会にボチボチ昔語りでもしとこうかなと。

96tyuag3

変な話ですが毎週のように競馬場に行くようになっても、チューリップ賞だけは変に縁がないというか。オペラファンでもある私は、この3月第1週には、ここ10年くらいは必ず地元のびわ湖ホールにおり、競馬を離れているのです。

チューリップ賞で一番憶えているのは、エアグルーヴのの時でしょうか、ペリエ騎手騎乗で圧勝でした。直線ですべてを交わしていく時の「ケタタマシイ」というか一歩の音が大きい力強さは、トニービンをジャパンカップで見た時、彼の返し馬の際聞いた独特の音に似ていました。

96tyuag7

いまや名血の本流の一つであるエアグルーヴ、産駒にもきつい気性の馬が目立ちますが、母がダイナカールで、カッカとした気性でしたから、彼女のキツイ感じの気性は当時、心配でなく頷けたものでした。

96tyuag4

競馬のレベルが上がると、一流の種牡馬の特徴を持つだけではダメで、母系の良さも加わらないとナカナカ頂点までは行けないよとは、いつも牧場関係者に聞く言葉ですが、エアグルーヴはそれがこの時代に備わっていたんですね。

« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »