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95年ジャパンカップ公開調教「分岐点の証人」その1、ピュアグレイン

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95年のジャパンカップは、いろんな意味で分岐点となったレースだと思います。レースがローカルのお祭り的なエキシビション色を含むものから、ジャパンカップを勝つことの意義と、それにたいしての真剣さをやっと人間側、特に来日した側が自覚し始めましたから。

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ピュアグレインは、今までのジャパンカップの負の遺産ともいえる物見遊山的な関係者のために、レースで故障してしまったと。

彼女は、アイルランド、ヨークシャーオークスの勝ち馬として来日し、イギリスの旬のG1牝馬が見られると期待していました。

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馬はとても綺麗な馬でしたが、どうも調教が変です。英国の馬は固い馬場を出来るだけ避けて、芝が厚い外側で走らせるのですが、内側を走らせていました。引き上げてきても近づいてくる人を調教助手が手で追い払っていました。

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写真を現像してみると、通行証がジャンパーにシッカリあり、着替えていないことがわかる。。。ということは、飲み歩いて時間ぎりぎりにやってきて、ブーツ履くのがやっとで、調教も気分が悪いから、馬場の固さなんかどうでも良くって。。。

長旅をしたあとのレース前の調教がこれでは。。。

名牝が故障して警鐘が鳴りました。次の年マイケルスタウト厩舎は違う調教でジャパンカップを勝ちます。

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