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95年ジャパンカップ公開調教「分岐点の証人その3」カーリング、デーンウィン、サンドピットなど

Kr4

Kr3_2 Kr2 

Kr5

カーリングは、フランスオークス、ヴェルメイユ賞を勝って強さはフランス版メジロラモーヌと宣伝されていましたが、全くレースでは馬場が合わずに大きな着順になってしまいました。ローエングリンなどを彼女の子供達を見ていると活発な馬が多いですし、毛艶も冴えないタイプはいないようですので、毛艶がドンヨリしていて、走るフォームもあまり首を使わない感じが公開調教の時の印象でしたので、それだけ輸送でのストレスがかかっていたかもしれませんが。。とにかく社台が買ったのでお披露目で無理から走らせて駄目だった感じで終わりました。

Dw1

Dw2

このころだったと思いますが、オーストラリアからの直行便がなくなり、一度シンガポールだったか香港だったかはハッキリしませんが、経由しないと日本にやってこれない状況になりました。

デーンウィンは、95年までに好走した豪州の馬と同様に2000㍍クラスの大きなレースを勝ちまくって、日本にやってきました。加えて血統的にもJCで勝ち負けをしてもおかしくなかったのですが良いところ無く敗れます。

App4459

Stb2

Stb1

もう一頭、オセアニアから参戦したストーニーベイは、最下位に敗れます。このころ以降、オセアニアからの馬の善戦どころか、参加すら無くなってしまいます。

直通便があるかどうか。ないのなら時間はどれだけ長くかかってしまうかは、日本馬の海外遠征した際の現在はキーワードですし、あれだけ強いテイクオーバーターゲットですら、運んできた即のレースは2着でしたから輸送でのちょっとしたエクスキューズは大変なファクターの一つであることは確かだと思います。。

Sand3

Sand1

App4462_2

このころ洋芝オーバーシードによる常緑化も含めた馬場改修も一定の方向性がでていたころかと思います。

Aw2

App4466

少し重くなった馬場で、アメリカからきたサンドピットアワドも期待されたほどは活躍できませんでした。

2頭とも形の良い馬体で好みでしたが。。。

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