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2008年7月

「シンザンのこどもたち」ミホシンザン、ミナガワマンナ、グレートタイタン、ハシコトブキ

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(87年天皇賞春)

シンザンは見たことがありませんので、子供達から想像する

以外ありませんでした。

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(85年菊花賞)

3才時には何でもない馬でも、成長して強くなっている馬も

多かったような気がします。

(85年有馬記念)

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ミホシンザンは、名馬の項で紹介していますが85年皐月賞

菊花賞,87年天皇賞春を勝ちました。シンザンの晩年に

なってから最高傑作が出てきたのが、シンザンの唯一の

不運でしょうか。もう5年早ければ良い繁殖がもっと集まった

のでしょうが。その点が残念です。

(↓81年菊花賞、その下83年天皇賞春ミナガワマンナ)

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ミナガワマンナは、81年菊花賞を勝ち、シンザンに初めての

クラシックタイトルをもたらします。長距離だとついていけて

しかも直線で伸びる典型的なステイヤーでした。

(↓80年天皇賞春)

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グレートタイタンは、80年ころ活躍して数々の重賞を勝ち

ました。もの凄い末脚の持ち主でした。シンザンの夢を

見させてくれた一頭でした。

(↓81年当時、その下80年日経新春杯)

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ハシコトブキは、ジワジワ強くなって、5才時に重賞を勝って

います。母父メイズイです。68年の2冠馬です。角張った

馬体でした。シンザン産駒、及び母父シンザンの産駒を

走らせていたシンザンクラブの所有馬であり、勝負服は

シンザンの勝負服と同じものです。

「陽は昇り、陽は沈み」オペックホース80年ダービー勝馬

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(80年菊花賞 鞍上は郷原洋行騎手)

日本のクラシック牝系に、母父がハイペリオン系のテューダーペリオッド、それにアリシドン系のリマンドという超クラシック血統のオペックホースは、クラシックの最高峰ダービーで名馬モンテプリンスを負かして、それでこの馬の持っていた周囲に発散していた輝きを使い切っってしまったかたちになりました。

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(80年10月菊花賞の試走のオープン)

従来のテスコボーイ系、パーソロンなどに加えノーザンテースト等のノーザンダンサー系の馬、仕上がりの早い、小回りコースの上手で瞬発力のある血統の馬たちが進出してきて、レース自体が厳しくなっていきましたから。。。

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(81年マイラーズカップ)

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(81年宝塚記念、赤い勝負服、6番はカツラノハイセイコ)

そのために試走と本番を質的に分けることが難しくなり、本番と試走を分けて走りたいクラシックタイプの馬が住みにくくなります、そして勝てなくなります。

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(82年天皇賞春)

また今のように直前輸送でなく、関東への遠征は滞在して何戦か戦うスタイルでしたので、関西馬は不利な環境であるのにどちらかといえば、東京や中山での成績が関西での成績を上回っているという、当時の全国どこの競馬場でも関東絶対優位のなかでは変な存在でしたから、結局は東京の天皇賞を目標にして、仕上げていたら評価は変わっていたのかもしれません。

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(83年日経新春杯)

無事是名馬といえる存在であるにもかかわらず、ダービーで負かした相手がモンテプリンスであったことから、負け続ける悲哀を勝手に抱え込まされていたのが残念です。

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とっても格好の良い色気のある馬でした。

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(84年降雪の影響でダート変更になった日経新春杯)

「胸騒ぎの結末は?」ノースガスト80年菊花賞勝馬

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(80年菊花賞)

ミルリーフ産駒のヤマニンケイを見に行った79年11月の白菊賞のパドックで角張った馬体で格好は悪いが、活気があってなにかを感じさせてくれる馬がいました。ノースガストです。

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(79年白菊賞)

未勝利をやっと勝って出てきたところで、エリート相手に勝てるわけがないと思っていたら、内から差しきってしまいました。

続く阪神3才Sを2着してオープン馬になってしまいます。そのあと体制がととのわずダービーにやっと間に合わす感じで10着になりました。

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(80年神戸新聞杯)

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(3番が一番人気のタカノカチドキ)

北海道で何戦かし、後で名馬になるホウヨウボーイに0.1差で負けたりもして、夏を過ごし、秋の神戸新聞杯では圧倒的な一番人気のタカノカチドキを負かして勝ち、菊花賞の有力馬になりますが、モンテプリンスという不動の本命がおり、優位は絶対であろうと思われ、いわば穴馬的な語られ方しかしませんでした。

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(80年菊花賞、9番モンテプリンス、13番タカノカチドキ)

また、菊花賞直前まで勝負服が登録されておらず、常に仮服で出走しており、そんな馬が勝つのかと揶揄されたりもしました。

結果は、なにかおまじないでもしたか、それとも誰かが時間を止めて順位を入れ替えたのかというような感じでモンテプリンスを差しきってしまい勝利します。

現在の京都のスタンドに大改装されて初めての大レースの勝利が彼でした。

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鞍上は田島良保です。これ以降、仕事人といわれようになりました。

私は当然唖然としていました。何しろ予感は本物でしたから。。。。。

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(81年大阪杯)

ただ、モンテプリンスを負かしたエネルギーは、ノースガストの全てを奪ってしまいました。

この後、翌年春に復帰しますが振わず故障がちで、82年宝塚記念を最後に引退してしまいます。

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(82年宝塚記念)

この馬もハイペリオン系です。

「名馬の面影を求めて」タニノアルビオン(タニノムーティェ)、ヤマニンケイ(ミルリーフ)

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夏なので、大昔を掘り下げるくらいしかできませんが。。。

私が写真を撮り始めた理由はは、80年当時競馬雑誌が

月刊の優駿と今より数段充実していない週間競馬ブックが

あったくらいで、馬個体の資料はほとんどない状態で、撮ら

ないと馬好きとして、気持ちが維持できないこと、もう一つは、

写真によってその父や祖父である世界的名馬と創造の中で

出会いたいと思っていたことの2点が大きな理由です。

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タニノアルビオンは、1970年の春の2冠馬タニノムーティェ

の産駒です。今で言えば、準オープンあたりをウロチョロして

いた馬ですが、ムーティェにとっては代表産駒の一頭です。

「ムーティェ街道」、「アローエクスプレスを負かした馬」、

寺山修司が感動した馬、など伝説はたくさんある名馬でした

ので、その名馬を見たこともない私は、彼にたくさん夢を

乗せて見ていました。

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もう一頭は、ミルリーフ産駒のヤマニンケイです。今世紀の

最強馬の一頭であるミルリーフの産駒として登場し、秋の

新馬戦を快勝して、圧倒的な支持を受けて2戦目に出走して

きました。写真は79年秋のものだと思います。

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角張った馬体の多い当時としては、流線型のスタイルが、

まだパドックに陣取りだして数ヶ月の私をわくわくさせたもの

です。このレースは僅差で、後に菊花賞に勝つノースガスト

に負けます。その後期待されたのですが何故か勝てずに

終わっています。種牡馬になりましたが振るいませんで

した。

アグネスディー「偉大なるはじまり」80年日経新春杯にて

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彼女を撮っていたことに驚きました。最初HPを作ろうと思い昔からのネガをスキャンし始めたため、動きのない写真、ましてやファミリーカメラで撮ったパドックのものは、容量の関係ではじめから無視していたのですが、ブログにしてみるとギリギリ耐えられるため、題材を増やすために、スキャンし直していたのです。

細いなぁと感じた記憶があり、どこかで見ているのだろうとは思っていましたが写真を撮った記憶はありませんでした。

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80年阪神で行われた正月競馬、日経新春杯のときのものです。そんなに寒くない日であったことは憶えています。

彼女の子供のフローラ、孫のフライト、タキオンも阪神で見ており、3代を同じ競馬場でみたことになります。

今見るとムダ肉のない筋肉質な馬体にみえます。

「テイオー以外のルドルフ産駒」アイルトンシンボリ、ジャムシード、キョウワホウセキ

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トウカイテイオー(別に掲載)以外でルドルフ産駒というと

成績ならアイルトンシンボリ、話題性ならジャムシードと

いうことになるでしょう。(↓93年天皇賞春)

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アイルトンシンボリは、ルドルフのためにヨーロッパから

勝ってきた繁殖のブルーエスケープの子供で、当時は

大変珍しいヌレエフ産駒でした。

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(94年京都大賞典)

シンボリ牧場で伺ったところ、あまりにも良い馬ができて

しまったため、入れ込みすぎて、ダービーから逆算した

調教をしてしまったため、最初の口向きをつくるところで

後から考えれば時間が十分でなく、そのために左まわり

が少し不向きになってしまったとのこと、ヌレエフの系統が

東京で成績が上がっている現実をみれば、本当に残念

です。それでも大レースでも好戦し、95年秋の天皇賞で

勝ちかけますが、直線で前の馬にふらふらされ続けて、

僅差の3着に敗れています。

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(93年天皇賞春)

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当時、シンボリ牧場で、ルドルフ産駒は一軍と二軍があり

1軍とされたジャムシードはフランスに何頭かでわたり、

準重賞で勝ち星をあげ、G3で好戦しました。日本に帰って

からは、モッサリ速い足がない感じのタイプでしたが、馬は

良かった感じがしました。

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(92年忘れな草賞)

もう一頭、クラシックに一番近かったのはキョウワホウセキ

でした。オークストライアルに勝って、本番では直線突き抜

ける感じで上がってきましたがそこで失速し3着でした。

東京新聞杯も勝っています。

「未完のままの夢」キタノコマヨシ

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凱旋門賞を勝ったラインゴールドを出すなど一流の種牡馬

成績をヨーロッパで残した後、日本でテスコボーイが

ブレイクした影響でその父のプリンスリーギフトの系統の

大人買いにより輸入されたファバージの産駒で、彼は大きな

馬体でしかもバランスが良く、誰もが頷くほどの馬でしたが、

大成できませんでした。

78年産ですので81年ダービー組ですが、ダービーでは

逃げて最下位に沈んでいます。

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一本調子の馬で息を抜くとか、そういった感じの馬でなく、

自分の速さに任せて何でも解決しようとする感じがしま

した。

一番憶えているのは、オープンに出てきて、落馬、逸走

して、かなりのスピードで逃げてしまったため、捕まらずに

競馬場を2週してしまった事件をおこしてしまったことで

しょうか。

今のようにマイル路線が充実していたら歴史に名を残した

かもしれませんが。。なぜか武邦彦騎手がとても似合って

いました。

写真は多分3才正月競馬くらいで2勝目をあげたところだと

思います。

「ひっそりと咲いていた」マイライフスタイル

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サンデーの全妹、として期待されたのですが、新馬を

勝ったのみでした。新馬を勝っただけでも凄いことかも

しれませんが。。

サンデーサイレンスが黒い馬なのにたいして、この馬

は栗毛で流星もあり、少し派手な感じを受けますが、

弱々しい部分があって、それが華やかさを打ち消して

お釣りがくるほどでした。

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馬名を「私には私の人生がある」と勝手に訳して、

ちょっと応援していました。

サンデー系の馬で栗毛に鮮やかな流星の馬も多い

ですが、牝系に由来するだけでなく、妹がそうである

ようにサンデー自体の中にもこういう因子が眠って

いて、時々それが孫達に出ているのかもしれません。

(写真は95年忘れな草賞)

「2頭の個性的な天皇賞馬」80年春の天皇賞にて プリティキャスト、ニチドウタロー

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私が初めて写真をとった大きなレースは80年の春の天皇賞でした。京都がスタンド改修のため阪神で行われた天皇賞でした。一眼ででなく、まだ実家のカメラを持ち出してのものでした。

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プリティキャストは、アメリカの名牝のタイプキャストに吉田牧場の自前の種牡馬のカバーラップ2世をかけた血統です。

彼女の父は、競走馬の絶対数が少ない時代ので外国から馬を買ってきて走らせた一頭だと思いますが、血統的に多分ハイペリオンの成長力を強く持っていたので、平凡な競争成績でも種牡馬として成功したのだと思います、彼女がレースに出てきて、出遅れないとですが、大逃げを打つのでレースがそれだけで非日常的になり、とても楽しみだった思い出があります。

80年の秋の天皇賞で超強力なメンバーを相手に大逃げを打って、勝ってしまいます。当時牝馬が9年おきに秋の天皇賞を勝っていたので、そのレースで本命だった

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(79年12月)

シルクスキーに、この9年伝説が語られたのですが、その呪文にかかっていたのは彼女のほうだったというわけです。

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ニチドウタローは、2歳時に少し次元の違うレースをして名馬の予感さえ感じさせる馬でした。しかしその余韻のうちに故障してクラシックを棒にふり、年を越してようやく出てきた復帰戦では落馬になりなんだか不運をこのまま背負い込んで終わってしまう印象があったのですが、次走、80年春の天皇賞の10日前のオープンに出てきてレコードで勝ち復活し、変則的な連闘で天皇賞を勝ってしまいます。

とにかく気性の荒い馬で、いつでもカッカカッカしている感じでした。

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(80年4月19日オープン)

彼の父、エルセンタウロは、南米の名馬であり、社台が輸入して供用した馬です。このころから社台の南半球好きは始まったのかもしれませんが。。。

95年ジャパンカップ公開調教「分岐点の証人その3」カーリング、デーンウィン、サンドピットなど

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カーリングは、フランスオークス、ヴェルメイユ賞を勝って強さはフランス版メジロラモーヌと宣伝されていましたが、全くレースでは馬場が合わずに大きな着順になってしまいました。ローエングリンなどを彼女の子供達を見ていると活発な馬が多いですし、毛艶も冴えないタイプはいないようですので、毛艶がドンヨリしていて、走るフォームもあまり首を使わない感じが公開調教の時の印象でしたので、それだけ輸送でのストレスがかかっていたかもしれませんが。。とにかく社台が買ったのでお披露目で無理から走らせて駄目だった感じで終わりました。

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このころだったと思いますが、オーストラリアからの直行便がなくなり、一度シンガポールだったか香港だったかはハッキリしませんが、経由しないと日本にやってこれない状況になりました。

デーンウィンは、95年までに好走した豪州の馬と同様に2000㍍クラスの大きなレースを勝ちまくって、日本にやってきました。加えて血統的にもJCで勝ち負けをしてもおかしくなかったのですが良いところ無く敗れます。

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もう一頭、オセアニアから参戦したストーニーベイは、最下位に敗れます。このころ以降、オセアニアからの馬の善戦どころか、参加すら無くなってしまいます。

直通便があるかどうか。ないのなら時間はどれだけ長くかかってしまうかは、日本馬の海外遠征した際の現在はキーワードですし、あれだけ強いテイクオーバーターゲットですら、運んできた即のレースは2着でしたから輸送でのちょっとしたエクスキューズは大変なファクターの一つであることは確かだと思います。。

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このころ洋芝オーバーシードによる常緑化も含めた馬場改修も一定の方向性がでていたころかと思います。

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少し重くなった馬場で、アメリカからきたサンドピットアワドも期待されたほどは活躍できませんでした。

2頭とも形の良い馬体で好みでしたが。。。

95年ジャパンカップ公開調教「分岐点の証人その2」ランドLando、エルナンドHernando

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ジャパンカップを勝つことになるランドは、リーディングジョッキーのマイケル・ロバーツが進言して連れてきた馬でした。

固い馬場があっているタイプだとのことでした。追い切りを見ているととてもフットワークが軽くて、膝下も欧州の馬にしては短いですし、歩き方も軽やかで、何かを感じました。

いまから思えば日本の馬に似た気配の出し方をする馬だったと思います。

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成績上の固い馬場が得意なタイプだけでなく、そういう理屈でない感覚でジャパンカップに合いそうな馬を表現した最初の例だと思います。レースにとっては大きな出来事でしたし、海外のトップの騎手の騎乗機会が国内で増えた成果でもありました。

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エルナンドは、JCを勝ちたかったのだろうと思いますが、勝てませんでした。主力のアスムッセンを鞍上に94年95年と2度挑みましたが。。。3着でした。

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93年フランスダービー勝ち、94年凱旋門賞2着等の成績、ドバイも勝った名馬スラマニ、08年のイギリスオークス馬のルックヒアーの父となった成績と、こちらの方が欧州では、競争成績も種牡馬成績も上であると思いますが。。。

小さいけれど筋肉の収縮が素晴らしい強さのある馬でした。

95年ジャパンカップ公開調教「分岐点の証人」その1、ピュアグレイン

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95年のジャパンカップは、いろんな意味で分岐点となったレースだと思います。レースがローカルのお祭り的なエキシビション色を含むものから、ジャパンカップを勝つことの意義と、それにたいしての真剣さをやっと人間側、特に来日した側が自覚し始めましたから。

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ピュアグレインは、今までのジャパンカップの負の遺産ともいえる物見遊山的な関係者のために、レースで故障してしまったと。

彼女は、アイルランド、ヨークシャーオークスの勝ち馬として来日し、イギリスの旬のG1牝馬が見られると期待していました。

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馬はとても綺麗な馬でしたが、どうも調教が変です。英国の馬は固い馬場を出来るだけ避けて、芝が厚い外側で走らせるのですが、内側を走らせていました。引き上げてきても近づいてくる人を調教助手が手で追い払っていました。

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写真を現像してみると、通行証がジャンパーにシッカリあり、着替えていないことがわかる。。。ということは、飲み歩いて時間ぎりぎりにやってきて、ブーツ履くのがやっとで、調教も気分が悪いから、馬場の固さなんかどうでも良くって。。。

長旅をしたあとのレース前の調教がこれでは。。。

名牝が故障して警鐘が鳴りました。次の年マイケルスタウト厩舎は違う調教でジャパンカップを勝ちます。

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