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ニホンピロウイナーの子供達、フラワーパーク、ヤマニンゼファーそして未完の優駿たち

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(96年3月フラワーパーク)

大好きだったニホンピロウィナーが日本の固有の牝系を持ちながら短距離を中心に一流レベルの馬を出し続けたことは特筆されると思います。

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(93年マイラーズC、ヤマニンゼファー)

代表産駒は、フラワーパークとヤマニンゼファーでしょう。

フラワーパークは、96年に高松宮記念、スプリンターズSを勝ち、

ヤマニンゼファーは、92年93年の安田記念、そして93年秋の天皇賞を勝ちました。

ニホンピロウィナーを語るとき母方に3×3で配合されたハイペリオンの影響が早熟でありながら古馬になってのさらなる驚くべき成長にあるとされましたが、子供達もそれを受け継いだ馬が多かったように思います。

ただ3才戦の荒波に翻弄されて、完成される前に消えていった馬たちもいました。

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(上90年阪神3才、下91年きさらぎ賞)

ニホンピロアンデスは、90年阪神3才をイブキマイカグラの2着となり期待されましたが、その次の道悪のきさらぎ賞で翻弄され終わってしまいました。

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(95年10月オパールS)

特に惜しかったのは、ニホンピロスタディです。95年3才で夏の北海道で混合のオープンに勝ち、エイシンワシントンも出走した10月のオパールSを逃げ切りで完勝し、暮れに行われたスプリンターズSでも4着となりますが、翌年故障し、秋に復活しましたが競争中に故障して終わってしまいました。

最初の故障の時、レースを教える目的とかの口実で無名の鞍上が好位からの競馬を無理からに押さえて10月以後するようになりました。

競馬を教えると言っていましたが。。

母父はファバージでしたから、どちらかといえば一本調子の血統でしたし、この後も早熟でなくジワジワ成長する父の影響を考えれば、直ぐに結果を得たいとする人間側の血統無視の身勝手な騎乗といえると思います。それでも一流馬の成績を収めていたのですから相当強かったのではと思います。

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坂路など多様指定来ていたなかで調教もダートのBコースばかりのワンパターンで行われて、個性を認めない方針でした。それが最初の故障の遠因をそして復帰後の不調、不運を呼び込みました。

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(96年3月)

ハッとするほど父に似ていて、血統通りのスピード馬でしたので、いまでもとても残念です。

(安田記念2着のトーワダーリンは、安田記念のページでお願いします。)

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