2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月

テルテンリュウ 80年宝塚記念勝馬

App3773_4

(80年春の天皇賞)

いまから30年程前、最強世代といえば、TTGの昭和51年世代と昭和47年の3強プラスイシノヒカル世代でした。どちらの世代も有馬記念を3度制しています。

47年(ダービー年)世代のダービー馬がロングエースであり、その産駒で唯一のG1馬が、テルテンリュウです。母父がガーサントですから、気性は荒かったの一言でした。

App4451_3

App4447

(79年12月)

79年ダービーをカツラノハイセイコに競り負けて3着、その後菊花賞を目指しますが、不安から断念し、写真の12月始めの阪神開場30周年記念(オープン特別)に出てきました。結果は5着。

この後、春の天皇賞を狙いますが、京都改装のための阪神での天皇賞となり、追い込み切れず6着に敗れます。

80年は中京で2400での宝塚記念が行われ、ものすごい道悪の馬場を、スルスルと4コーナーで内を抜け出して1着。

勝った時は画面を見ていても泥んこで判別もつかないほどでした。カッカとしているものの、馬格があり、独特の品も持ちあわせていました。

95年桜花賞「夢に降った雨」ワンダーパフューム、ダンスパートナー、プライムステージ、ライデンリーダー、ユウキビバーチェ

95ouk04

95ouk03

App4500

雨が止まない日でした。帰りの電車でレープロを読み返していたところ、「桜花賞に行って来られたの?」と向かいの席のおばさんに声をかけられ、「ええ、そうですが。。」「今日の勝ち馬の厩務員は私の娘で。。。。。」

「直接、厩務員になられたの。。」「社台で2年ほど働いてから。。。。」。。。不思議な出会いでした。

App4430

App4431

(安藤勝己騎乗)

震災の影響で、京都開催になった95年桜花賞は、サンデー産駒の登場。そして地方からのライデンリーダー等、自然と心が動いてしまう馬が多かったような気がします。

1400のトライアルをライデンリーダーは電気ショックのような末脚を炸裂しさせて圧勝しましたが、この雨馬場への適性、レベルの高いメンバーで、自由奔放な走りができるかなど、マイナス面も多く、悪い予感が的中した形で4着と敗れました。テンポイントの姉の子供が彼女の父のワカオライデンで、テンポイントとの関連も当時としては若干報じられていました。

またテンポイント一族の最高勝利数が11勝であり、彼女はトライアルで無敗の11連勝でしたので、少し本番でこの因縁で危ないのでないかと訳の分からない理屈も当時思っていました。

App3473

App4422_2

  (6番チューリップ賞)

2着になるダンスパートナーは、出遅れては少し負けるレースをして、桜花賞に出てきて強いところを見せました。サンデーの初年度の産駒です。いつでも細く見えました。

馬体がたいしたことしたことないわりには、レースでのパフォーマンスがやたら高いのが当時としては不思議でした。この後オークスに勝ちます。

App4419

(チューリップ賞、京都で施行)

プライムステージは、夏の札幌3才Sを制するなど、2才戦で好成績をだして、サンデーサイレンスの広告塔の役目を果たすこととなりました。ダイナアクトレスの子供ですが、気が強いカッカカッカした馬だったことを憶えています。

App4428

App4415

(上11番桜花賞、下3枚チューリップ賞)

ユウキビバーチェは、トニービンの産駒でチューリップ賞でダンス、プライムを押さえて勝利しました。サンデーがまだ初年度でもあり、トニービンは、ブレークしていましたからこちらのほうにクラシックホースらしさを見つけていました。

ほんと先入観とは怖いものです。。。。。think

App4497

レースはワンダーパフュームが勝ちました。これが全く知らない馬でした。桜花賞の週の木曜あたりから、名前が急に上がり始めたのは憶えていますが。。。

カオスは黄金色。(95年から97年長距離路線)その3「名馬たちの黄昏」マヤノトップガン97年天皇賞

App4393

(マヤノトップガン)

96年に見せたサクラローレルの強さは、それまで何年か見たことのないもので、名馬の域に入ってしまった感がありました。97年天皇賞は負けようがない感じがしました。

App4256 97tssr0197tssr03

97tssr04_3

(サクラローレル)

前年、彼を軽視して写真を撮りそびれた私は、好き嫌いは別にして当然彼を中心にして追いかけました。フィルムの時代ですから、今のようにデジカメでとりあえず撮っておくことは、経費上出来ませんでしたから、何かを中心にして撮らざるおえないのです。

97tsms03

97tsms01

もう一頭の注目は、マーベラスサンデーでした。クラシックシーズンを全休した彼は、古馬になってから、連戦連勝で有馬記念ではサクラローレルに敗れたものの、その後もまだ上昇している感じでここに出てきました。

誰が見ても当時は中距離馬でしたので、可能性は感じないのですが、やたら陣営が強気だったことを憶えています。

App4402

App4394_2

パドックでマヤノトップガンは、前年ほど気合いが表に出ず私は少し勢いが落ちたのかなと感じたのですが。。。

当時競馬場は大変な混み方で、81年から脚立を持ち込んで写真を撮っていたのですがスタンドの人混みが波を打つように見える状態なので危なくて、人にいつか怪我をさせると思い、95年頃から自主的に降りることを決めました。

App4273

App4268_2 App4269 App4270

(ようやく右端にマヤノトップガンが。)

そのためパドックを見てからコースに移動すると、4コーナー付近くらいしか空きがなかったのでこのような写真になるのですが。。。。

カメラを覗いているとき時、マヤノトップガンは少しも現れませんでしたから。。。。

App4271 App4272

4コーナーを通り過ぎるときでさえ、彼はまだ後方に位置してポジションを上げることをしていなかったのです。

だけれど勝ちました。

ターフビジョンを見ながら、なんだか力が抜けていきました。

サクラローレルの強さは圧倒的で、どんなことがあっても動かない、何かの社会のしきたりみたいな感じがして、私の中で残っている若さがそれに抵抗していました。

それが解放されたのです。トップガンの末脚も見事でしたがそれは突発的なものでなく、1年前に惨敗した悔しさを持ちながら長い間旅をしてきた末に生まれてきた力によるものでした。ただただ涙でした。

誰もがその力の何かに感じていたのです。普段は歓声に包まれない4コーナーまで歓声で一杯になっていました。

カオスは黄金色。(95年から97年長距離路線)その2「ベストよりもベスト」サクラローレル96年天皇賞

App4382

App4241_2

App4245

(白帽がサクラローレル)

ナリタブライアンとマヤノトップガンのデッドヒートとなった前哨戦の阪神大賞典の再選だろうと思われた96年春の天皇賞は、サクラローレルが力で彼らを上回って、劇的だけれどアッサリ勝ってしまいます。

App4242

App4243_2

96tssr01

App4405

ブームの中、人が多くなり、大きなレースの人混みを自分が耐えられない感じになってきた状況の時代でした。

半分人混みに腹を立てて過ごさなければならない状況の私にとって、彼の末脚は一気にその気分をを解消するほどくらいに鮮やかなものでした。

App4249 App4250

App4247

App4413 App4411_2

(ナリタブライアン)

ナリタブライアンは、5月高松宮記念に出走して1200で驚きの4着になりますが、故障のため引退します。

97hd6

(阪神大賞典)

マヤノトップガンの田原騎手は、ブライアンを意識して、早く仕掛けたことを一年間思い続けることになります。

96tsmpg01 96tsmtg03 App4237 App4240 App4244

(マヤノトップガンは5着)

2頭の年度代表馬に勝ったサクラローレルは、有馬記念に勝って年度代表馬になります。

App4383

カオスは黄金色。(95年から97年長距離路線)その1「マヤノトップガン登場」95年菊花賞

App3587

(2着はトウカイパレス)

93年トニービン、94年ナリタブライアンによる三冠でブライアンズタイム、95年サンデーサイレンスと新種牡馬旋風の中、95年主役となるべき前年度三冠馬が故障でポテンシャルが失われて、特に長距離路線は混沌としていました。

その中で行われた95年菊花賞。一躍登場してきたのがマヤノトップガンです。(ブライアンズタイム産駒)

App3589 App3590 95kikumtg01

夏前にオープンを勝って休養後、2000のトライアルを連続2着のあと、スパッと菊花賞を勝ってしまいます。

95kikutytuyosi01

App4338

App4339_2

サンデー産駒でダービー馬のタヤスツヨシも出てきていましたがピリッとせず、春の勢いはありませんでした。

95kikuhors01

ホッカイルソーは、春から健闘してきてここでも3着。強い馬でしたが、勝つ感じはあまりしない馬でした。この馬は、バイアリーターク系です。

95kikudp01

App4337_2

一番人気は、ダンスパートナーでした。オークス制覇後フランスで3着のあとヴェルメイユ賞6着と僅差の勝負をしてきて、まだ摩訶不思議だったサンデーの魅力、武豊騎乗で、低レベルの混戦と思われたレースなので、話題先行型で人気が出てしまいました。

App3588

あまりにもあっけなく勝負がついたのでレベルの低いレースだと思ってあまり印象には残らなかったのですが後を思えば勝った馬が強かったのです。

この脚に2年後には感激して大泣きすることになります。

マヤノトップガンはこの後有馬記念をまんまと逃げ切って年度代表馬となります。

ランダム。。スタリオンレビュー

App0059_2

アグネスタキオン↑

App2581

クロフネ↑

App2587

ジャングルポケット↑

94mcsbo01

サクラバクシンオー↑

App3064_2 App3076_2

シンボリクリスエス↑

95rtdid2_2 95rtdid3_2

ダンスインザダーク↑

98kyssw4_3 99tsss03_3

スペシャルウイーク↑

App3074

アグネスデジタル↑

Sg1

ステイゴールド↑

App3050 App3077 Img_3900

ネオユニヴァース↑

Img_k3951 Img_k3952

キングカメハメハ↑

App3003

ゼンノロブロイ↑

App3059

イーグルカフェ↑

App2998

サクラプレジデント↑

一口馬主募集の季節が始まります。ザッとですが種牡馬

の競争時代等です。以外とキンカメとデジタルの輪郭が

似ているのが新発見でした。

美しき「完全試合」安田記念はウオッカ。

Img_6794

Img_6740

久しぶりのウオッカは目が輝いていました。何かが違いました。

Img_6645_2

レースでは、ハナを叩いて、先行馬をハイペースで追い抜かせてペースを落とさせず、内で我慢してキッチリ一番後に仕掛けての完勝、後200からはCM撮影かと思わせるような岩田騎手の大向こうを意識した騎乗に見事に踊ってみせた美しさ。

こういうアクションが出来るのが超一流の証。映画の中にいるようでした。

Img_6671

Img_6704_5

(アルマダ)

Img_6681 Img_6694

(グッドババ)

Img_6699

(ブリッシュラック)

Img_6587

(エイシンドーバー)

Img_6709

(スズカフェニックス)

香港からの3頭は、グッドババが、大きい割には、異質の軽さがあると思っていましたが少しその辺が感じられなかったのが残念。アルマダは、標準的な一流馬の感じでした。

Img_6790

秋にはブリーダーズカップにウオッカを。。。

リュウキコウ「直線一気」の栄光と挫折、76年阪神3才S勝馬

80op03

リュウキコウは、76年阪神3才Sを直線一気の追い込みで勝って、外国産馬で圧勝で連勝を続けていたツクモオダマキ改めボールドエイカンから2才トップの座を奪います。

東の朝日杯ではマルゼンスキーが歴史的な勝利を収めますが、当時は持ち込み馬もクラシックにでられないため、マルゼンスキーはクラシックに出られず、2着だったヒシスピードと彼が春のクラシックの主役となります。

両方ともに父内国産馬でした。当時としては大変異例でした。

App4365

リュウキコウの父はリュウファーロスで、自身には大きなレースの勝ちはないものの、兄に有馬、天皇賞秋の勝ち馬のリュウフォーレルがいます。小さい兄よりも馬格のあった弟の方が産駒も走り、主に馬主さんの持ち馬との配合で種牡馬として高い数字を上げていました。ヒンドスタンの産駒です。

80op02 App4367

リュウキコウは、中京で行われていた、きさらぎ賞も直線一気で勝ち、主役級に躍り出ますが、その後振るいませんでした。多分この冬の時期が絶好調であり、クラシックの時期には下降していたのが原因だろうと思いますが、追い込み馬の不調は、他の脚質の馬より惨めな着順となりますので、弱い馬と認識されてしまい、3才秋には忘れられた存在となっていました。

App4366

4才の秋に、春を十分に休養にあてたのが良かったのか、京都大賞典、目黒記念(年2回施行の秋)と連勝して、78年天皇賞秋に本命ででます。

究極の仕上げのように見えましたが、一頭の馬がゲートの扉をかんでしまいそこだけゲートが開かなくなって、スタート後にレースをやり直す「カンパイ」となり、すっかりガッカリした状態になってしまい、テンメイに敗れます。

App3775_2

次の年79年春の天皇賞を狙いますが、京都改装のため旧の阪神競馬場、小回りで行われて、その上に21頭立てではさすがに追い込みきれずに6着と敗れます。

写真は80年秋のオープン戦のものと一番下が79年春の天皇賞のものです。リュウキコウの後ろがシービークロス、その後がテルテンリュウです。

90年代マルガイの名脇役たち、ヒシマサル、ファンタジースズカ、エイシンワシントン、ヒシアゲボノ

App4380

92年春、ヒシマサル、ファンタジースズカの快進撃は、驚きでした。ヒシマサルはセクレタリアート、ファンタジースズカはサドラーズウエルズと名馬、名種牡馬を父に持つ字面をそのままの強さを見せてくれました。

App4381

外国産馬が規制されている当時でしたから出られるレースは裏街道的なレースばかりでしたが、極端に荒れた京都4才特別を大外一気でヒシマサルが差しきりました。ヒシマサルは、秋もJCまでは善戦を続けましたが後はさほどでもありませんでした。

App4378

App4376_2

App4375

App4379

ファンタジースズカは首が高い走法でした。薄い馬でどうして豪快な勝ち方が出来るのか疑問に思いましたが春以降はさほどでない成績になりました。

(↑92年京都4才特別、5月施行)

App4351

App4350

(95年オパールS)

エイシンワシントンは、とても速い馬だった印象があります。

有名なのは96年のスプリンターズSでの数㎝のハナ差負けでしょうが、この馬が出てくると必ず高速決着になる印象がありました。

App4369

(95年スワンS)

94年スワンSでは先行してサクラバクシンオーの日本で初めての1400での1分20秒切りにつきあっていたりします。

強いという印象とは逆に重賞は2勝とは意外な結果に調べてみて今更びっくりです。

App4341 App4342

(96年陽春S)

彼によりオジジアン産駒は短距離スピード系であるとの認識になっていまいました。

App4372 App4371 App4374

(95年スワンS)

ヒシアケボノは、95年スワンSに勝ち暮れのG1スプリンターズSに勝ちました。とても大きな馬でした。スワンSなどで見せた直線で一気に引き離す迫力は凄いものがありましたがなぜか古馬になってから振るいませんでした。

90年代は最初はバブル、それ以後は超円高と高い馬を導入しやすい時代でしたので、究極は90年後半のマルガイ名馬群でしょうが、90年代は素晴らしい馬が日本に入ってきてレースをしました。いろんなタイプの馬たちが実際に走ったことは、現在の競馬のレベルの向上に少なからず役立っていると思います。

ニホンピロウイナーの子供達、フラワーパーク、ヤマニンゼファーそして未完の優駿たち

App3303

App3302 App4343

(96年3月フラワーパーク)

大好きだったニホンピロウィナーが日本の固有の牝系を持ちながら短距離を中心に一流レベルの馬を出し続けたことは特筆されると思います。

93mcyz_2

(93年マイラーズC、ヤマニンゼファー)

代表産駒は、フラワーパークとヤマニンゼファーでしょう。

フラワーパークは、96年に高松宮記念、スプリンターズSを勝ち、

ヤマニンゼファーは、92年93年の安田記念、そして93年秋の天皇賞を勝ちました。

ニホンピロウィナーを語るとき母方に3×3で配合されたハイペリオンの影響が早熟でありながら古馬になってのさらなる驚くべき成長にあるとされましたが、子供達もそれを受け継いだ馬が多かったように思います。

ただ3才戦の荒波に翻弄されて、完成される前に消えていった馬たちもいました。

App3714 App4358

(上90年阪神3才、下91年きさらぎ賞)

ニホンピロアンデスは、90年阪神3才をイブキマイカグラの2着となり期待されましたが、その次の道悪のきさらぎ賞で翻弄され終わってしまいました。

App4348 App4354 App4346

App4345

App4347

(95年10月オパールS)

特に惜しかったのは、ニホンピロスタディです。95年3才で夏の北海道で混合のオープンに勝ち、エイシンワシントンも出走した10月のオパールSを逃げ切りで完勝し、暮れに行われたスプリンターズSでも4着となりますが、翌年故障し、秋に復活しましたが競争中に故障して終わってしまいました。

最初の故障の時、レースを教える目的とかの口実で無名の鞍上が好位からの競馬を無理からに押さえて10月以後するようになりました。

競馬を教えると言っていましたが。。

母父はファバージでしたから、どちらかといえば一本調子の血統でしたし、この後も早熟でなくジワジワ成長する父の影響を考えれば、直ぐに結果を得たいとする人間側の血統無視の身勝手な騎乗といえると思います。それでも一流馬の成績を収めていたのですから相当強かったのではと思います。

App4353

坂路など多様指定来ていたなかで調教もダートのBコースばかりのワンパターンで行われて、個性を認めない方針でした。それが最初の故障の遠因をそして復帰後の不調、不運を呼び込みました。

App4340

(96年3月)

ハッとするほど父に似ていて、血統通りのスピード馬でしたので、いまでもとても残念です。

(安田記念2着のトーワダーリンは、安田記念のページでお願いします。)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »