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「グループ1がやってきた。」90年ジャパンカップその1  ベルメッツBelmez (90年キングジョージ勝ち馬)公開調教より

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この年のジャパンカップが結局一番のレースではなかったかと思います。メンバーもやる気も揃っていました。

JCの目玉とされる馬は、この年のキングジョージ勝ち馬のベルメッツでした。エルグランセニョールの産駒です。馬体幅のある見るからに重厚で歩かせても走らせてもそんな重い感じの馬でした。ただ重めの馬が見せる鈍重さとは別のものでしたが。

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この年に「レーシングワールドビデオマガジン」が発売され、それまで苦労して海外から個人輸入していた海外ビデオが月刊として日本で手に入るようになりました。

ちなみに、ビデオの発売者はあの合田さんであり、グリーンチャンネルでおなじみの松岡アナが日本語吹き替えの音声でした。注文の電話をかけると合田さんが電話番をしておられ、彼に向かってまとめて買うお金がないもんで、3ヶ月とか小分けにして注文していた思い出があります。

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ベルメッツは、あまりに重厚すぎて、日本の軽い馬場には合いませんでした。

レースは、この頃は、JCの週に仮柵を取られて超高速のグリーンベルトが出現しましたが写真を見ていただくとわかると思いますが、ベルメッツが調教で使っているところは、取られた仮柵があった一番馬場状態の悪いところ、重いところなんです。そこでないと結局は馬場の跳ね返りなどで、彼のフォームの狂いが生じるとの判断だったと思います。

ビデオマガジンのなかでもレースの前の追い切りはフォームを整える事が大事だと有名な調教師が言っていましたが、それを必死にやっていました。そのほかの欧州馬も歩かせる時には芝生が長めになっている外側を歩かせてたり、外ラチ近くで併せ馬をした欧州馬もいました。

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しかしこれではレースになりませんでした。

他の馬の方が彼よりまだ固い馬場の適性という点では彼より優れていました。レースでも悪い部分を走り、伸びそうで伸びませんでした。

写真の騎手はコーセンなのか不明です。いまはデットーリですが、このころはコーセン鞍上がゴドルフィンの馬は多かったように思います。

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