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2008年1月

92年ジャパンカップ公開調教 ドクターデビアス、ユーザーフレンドリー、レッツイロープ、ディアドクターなど「記念の日」

L1

レッツイロープ

この年は、英ダービー馬をはじめ、その年に活躍した馬がJCにやってきました。骨っぽいメンバーが揃いました。

Dd10 Dd8 Dd7 Uf13

状態に関してはディアドクターが一番良く見えました。馬体があって、アクションが大きくて、スピードも出てと申し分ない馬でした。クリスタルグリッターの産駒。

Uf8 Uf1 Uf2 Uf3 Uf5 Uf7 Uf9

ユーザーフレンドリーのキャンターは他の馬たちと力がまるで違う感じがしました。手足の強さ、筋肉の強さが伝わってきました。これは違うなとキャンターをみていて思いました。キャンターは英、愛、ヨークシャーのオークスを勝ち、凱旋門賞を2着の実力そのものでした。勝つのは彼女で間違いないと思ったのですが、歩いて帰ってくる歩き方は、とてもゴトゴトしてリズムもないものでした。

輸送での疲れを感じました。その直後に当日場内用の解説をしていた大川慶次郎さんが私が感じたことと同じ事を言っておられ、ビックリしました。同じ事を感じていたことにジワッと感動したのです。馬が好きな私にとってなによりの贈り物でした。彼女はミルリーフ系スリップアンカーの産駒で母父ブレイクニーのまさに重厚血統です。

D5 D7 D8

ドクターディビアスは、この年の英ダービー馬です。少し後ろの方が物足りないなと感じたのですが、もっと重厚な感じがすると思ってましたがそうではありませんでした。

トウルビヨン系アホヌーラの産駒。

L16 N2

N3

ナチュラリズムはとても格好の良い馬で、スタイル抜群のスポーツマン的な馬でした。パレスミュージックの産駒

L3 L2 L17 L14 L21

レッツイロープは、馬体だけ見ているとこれに勝たれるかなという感じでしたが、南半球の馬にしてはあまりこの日に追いませんでした。はじける感じもしませんでした。雰囲気はとても良かったし、なにしろ南半球最強馬の一頭で、2走前にはベタールースンアップとのマッチレースを楽勝していました。牝馬です。父はナッシポア(85JC出走)「駆け落ちしよう」が馬名の意味だとか。

V5 V8 V3

ヴェールタマンドは凱旋門賞3着で来日しましたが、この実績では、この年殆ど目立たなかったのです。それほどメンバーの粒が揃っていました。ケンマールの産駒。

この年の公開調教はとても満足できるものでした。じっくりと良い馬が走っているところを見られました。このメンバーにテイオーが勝ってしったことは、細かく言えばユーザーの不調とかあったのでしょうが、振りかえってみて大きな出来事だったと思います。

リワードウイング 85年エリザベス女王杯勝ち馬 TTGは遠く

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父グリーングラス、母父インディアナの血統は、まさに長距離血統そのもの。牝馬としては長距離の2400㍍になって、真価を発揮した馬でした。秋の当時は3才牝馬線のエリザベス女王杯に勝っています。

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グリーングラスにとっては唯一のG1馬で、TTGの中で長距離なら、テンポイント、トウショウボーイに負けなかった彼らしい産駒でした。トウショウボーイの種牡馬としての大活躍は母父になっても続いていましたがやはり、もう少しそれも峠を越えてあまり見なくなったな感じている時に、彼女が競馬週刊誌で天寿を全うしたとの報があり、いよいよこの時代も終わりだなと思いました。なんか肩が自然と落ちてしまいました。

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栗毛で小柄でハイペリオン系で、私の好きな条件が揃っていた馬でした。(9番86年宝塚記念、11番85年ローズS)

名脇役たちVOL.3  メジロモンスニー 陽気な英雄

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大きくて、バランスの良い馬体は、サラブレッドの美しさの一つだと思います。モンスニーも大きい馬でした。バランスの素晴らしい馬体で、綺麗な毛色をしていましたから、何かをこちらが勝手に感じてしまう馬でした。

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83年皐月賞、ダービーで、シービーにもう少しのところで惜敗し、逆に菊花賞では絶対であろうと思いましたが、故障してその秋を棒に振っています。

復帰してからは少し輝きが鈍りました。それでも高松宮杯に勝っています。

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リマンドが種牡馬として好調の時の産駒でした。惜敗つづき、故障と暗いイメージで見てしまいがちですが、馬はノホホンとして活気があり、常に陽性でありつづけましたので彼について暗いイメージを持ったことはありませんでした。

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13番86春天皇賞、4番82阪神3才S

サクラユタカオー 「快速」の源泉

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86年春天皇賞

関西には、菊花賞、春の天皇賞と適性がなかったであろう長距離を使われていましたので、強いという印象は残っていませんが、テスコボーイに母父ネヴァービートでサクラシンゲキの弟でこの派手な姿で、当時はクラクラするほどの良血馬でした。

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85年菊花賞

流星、栗毛の姿は60年イギリスダービー勝馬で名馬級のヘザーセットの弟で1勝馬ネヴァービートの父であるネバーセイダイの姿に血統表の中では一番似ていると思えます。

秋の天皇賞を完璧に勝っています。

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85年春天皇賞

種牡馬として、サクラバクシンオーを出しています。

兄のサクラシンゲキも、第1回JCを逃げまくった快速馬でした。

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サクラシンゲキ(ドンの産駒)

メジロライアン  ライバルと戦い続ける運命

Taka91mr2 

Taka911 Taka912

91年宝塚記念

勝てそうだったダービーは、アイネスフウジンに、菊花賞はメジロマックイーンに、有馬記念はオグリキャップに負け、僅かなところで勝利を逃して、結局は、この宝塚記念勝ちだけとなっています。

当時は追い込んできていましたが、今なら横山騎手はどう乗るでしょうか。横山騎手のその後の騎乗スタイルをある意味決定づけた馬でなかったでしょうか。

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90年菊花賞

宝塚記念では、少しひっかっかたものの直線踏ん張って、やっとG1勝ちしています。思いこんでいた脚質と違う方が勝負強かったのです。

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91年天皇賞

それにしても、種牡馬入りしてもトニービンとかサンデーとか互角ではないけれど、ちゃんと産駒が成績を残せているのは凄いと思いますが、何時の時代でもライバルの多い馬であることは事実です。

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91年宝塚記念

91年ジャパンカップ公開調教 ゴールデンフェザント、マジックナイト、ドラムタップス、ジャフツベリーアヴェニューなど

Gf7

ゴールデンフェザント

この年は、公開調教の外れの年でした。メンバーもそれほどでないし、調教も十分やってくれないし、期待していた馬は十分みられないし、他の馬にときめくこともない。

しかし今見返してみると、この馬たちの父親がサンデー系の種牡馬の母父となって活躍馬をだしていたり、父系が広がりを見せていたりして面白いなと思います。史上最低レベルと言われながら、当時の最強馬であるメジロマックイーンが4着に敗れるほど適性のある馬が来日していたと思います。

Gf3_2 Gf1 Gf5 Gf4 Gf13

ゴールデンフェザンドは勝ち馬ですが一杯に追われました。頭が高くてあんまり動かないせいか、少しギクシャクした走りで加速してくるので個性的でした。故障続きで成績覧からは病的な感じしか読み取れなかったけれど、意外なほど元気いっぱいでした。カロの子供、グレイソブリン系です。フランスでニエユ賞を勝ち、古馬になった後、アメリカにわたり、アーリントンミリオンを勝っています。そこから故障がちになったようです。

Mn2_2 Mn3_2

マジックナイトは障害コースの内側にあるコースで調整、3才牝馬でこの年の凱旋門賞2着でしたが、せめてダートで調整してほしかった。遠目にみても細いとわかる感じで仕方ないことではありましたが。リファード系です。

Sba2 Sba1 Sba4

シャフツベリーアヴェニューは、母方にハイペリオン、トウルビヨンなどがおり、ダマスカスが父系にいる馬、ノーザンダンサー以前のヨーロッパの血統構成の馬です。

Rh3 Rh1 Rh6

ラフハビットも同じような事が言えて、この2頭はほかで競争すれば順位は逆になってもおかしくない出来をしていたのだろうと思います。

Dt8 Dt4

↑ディキシーランドバンドの産駒のドラムタップスです。欧州最優秀ステイヤーでもあります。デットーリ?

Tm1 Tm3 Tm4

バステッド系のテリモン、少しかかかり気味でした。バステッドは、ディープの母方などにでてきます。

ビゼンニシキ 自由に飛べなかったけれど

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App4056_3   

84年2月の共同通信杯を大楽勝したとき、名馬の予感を感じたのです。まさに飛んでいる感じがしました。それをしのぐルドルフがいなければ史上最高の皐月賞馬だったはずです。

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App4061

84年からマイル路線が確立されたこともあり、血統的なことあってか、マイルCSを秋の目標として、トライアルのスワンSを使いました。

今なら春の成績からは、迷わず秋の天皇賞にいくでしょうが、10月末に古馬に勝てるわけがないが当時の常識でしたので、王道の距離を避けて、当時手薄感のあったマイル路線の方に照準をあわせた感もありました。

スワンSのパドックで見ていても今ひとつかなと思えたので、春の疲労が残っているのかなと見ていた記憶があります。

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「休養明けで馬体重が減っている馬は故障する可能性がある、だから写真をとっとかなあかん。」と仲間が言うので、私も撮っていましたが、案の定レース中に故障してしまいました。(写真は全て84年4スワンS)

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サンエイソロン  81年トライアル3冠 

80kyssaneisoron

京都新聞杯では後方一気でゴール前は押さえるほどの余裕で菊花賞大本命に。

スプリングS、NHK杯、京都新聞杯と当時のトライアルレース全てを勝ったのがこの馬です。

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本番のダービーではハナ差の2着、菊花賞でも2着とトライアルで先着した馬に敗れています。この頃鞍上である小島騎手が視力が弱っており、多頭数になる本番では、どうしてもその分慎重に馬を回す分だけ余計になり負けるんだという噂まで立っていました。今ならレーシック手術でなんでもないことなんですが。

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81年菊花賞

ヴェルザンディ 2勝目「急がばまわれ」1月19日京都

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ヴェルザンディが2勝目をあげました。1月までで2勝と一応クラシックの権利も半分くらい手に入れた感じです。

それにしても京都の特に内回りのマイルにはタキオン産駒との相性が抜群です。

次いで京都の1400内まわり、次いで外回りの1600か阪神のマイルでしょうから暫く安定した力を出せそうです。

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見ているとタキオン産駒は長距離遠征が少し苦手なようで。

それをわかってか社台のクラブの有力タキオン産駒の男馬は関東に所属ケースが若干増えています。

たしかに鮮やかな勝ち方をすると少し楽な感じのする関東のレースで2勝目を狙いにいきたいとの胸算用はわかりますが輸送が影響し、愛馬のプレサンティールのように惨敗し、故障してしまうなんてこともありますし、関東のレースを混ぜて使われたクラシック期待の高額馬達がいまだに500万すら勝てない状況が続いたりもしています。

逆に結局、3才の12月まで関東への輸送を経験しなかったスカーレットが大成したりもしています。

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関東への輸送で男馬相手とはいえリトルアマポーラが負け、今後のレースへの影響が出てくるでしょうから、これで牝馬クラシックは混戦状態に戻ってきたのかもしれません。

そういう意味では得意なコースで使われて楽に2勝目、経験済みの阪神でトライアルを使って本番へと、急がばまわれのこの良血馬に確実にチャンスが回ってきたと思います。タキオン産駒の象徴であるメンコをつけていないのも逆に好感です。

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メジロマックイーンMeijro Mcqueen 「その3 完成編」

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93年10月京都大賞典2着はレガシーワールド

春の天皇賞二連覇の後、骨折で長期休養となりました。7才となり復帰初戦は、次の年の大阪杯となりました。洋芝に雨が降り重くなった2000㍍が強いのはわかっていましたが、周囲や関係者の不安を無視するような楽勝でアッサリ勝利しています。

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93年4月大阪杯

続く三連覇のかかった春の天皇賞は影のようにつきまとって風のように追い抜いていったライスシャワーに屈して2着となり三連覇は、なりませんでした。

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93年春天皇賞 3ライスシャワー

続く宝塚記念は制して春シーズンを終わり、秋の前哨戦として、京都大賞典を選び59キロで次走JCに勝つレガシーワールドを子供扱いして勝利しています。

タイムは2分22秒7でした。開幕週で馬場が固かったから出たのですが、それにしても速い。

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93年京都大賞典

強いことが当たり前で、他の価値を捜さなければならないような域に入ってきていましたが、故障したため、引退しています。

オーナーブリーダーなので7才まで走り続けましたが、6才で引退し種牡馬となっていたら、7才の完成された強さは彼の子供たちのものになったのかもしれません。

ダンスパートナーやスティンガーなどの7才春まで走り続けた牝馬の子供達があまり結果を残せず期待した馬券がはずれたとき、マックイーンを思い出してそう思います。

90年ジャパンカップ(公開調教)その3  ホワイトストーン

Ws1 Ws3 App4047

90年ジャパンカップの公開調教には、当時3才のホワイトストーンも参加していました。菊花賞で2着となったあと、美浦を経由したかどうかはわかりませんが、関東馬でありながら公開調教から東京滞在し、レースに臨んで、強力なメンバーの中で4着となっており、相当の実力があることを示しています。

次の年からは関西、関東両方とも東京に滞在しての調教はなくなり、直前入厩になりました。

Ws2 Ws10 Ws6

もしJCを彼が取りやめて、有馬記念1本に目標を絞っていたら、オグリの奇跡の復活劇でない有馬になっていたのかもしれません。

とにかく気合い乗りの良い馬で、3才まではそれが良い方向に向いていましたが力がつきすぎた4才からは、仕上がりきるとカリカリして精神面でレースに影響し、脇役クラスの成績になってしまったのがとても残念な馬でした。シービークロスの産駒です。ダービーでも3着になっています。

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90年菊花賞↑

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91年宝塚記念(京都開催)

「グループ1がやってきた。」90年ジャパンカップ(公開調教)その2  ベタールースンアップ(1着)、オード(2着)、カコイーシーズ(3着)など

Bru6 Bru2 Bru4Bru3Bru7 

ベタールースンアップ、カコイーシーズの調教には少し殺気だったものを緊張感を感じました。ベタールースンアップは豪年度代表馬にもなったせん馬で、足先まで力が強うそうな感じでした。どこか足りない感じのするところがない馬でした。

O3 Ofg2 O2 Ofg3 O1

2着になるオードは、フランス牝馬としての善戦を繰り返しての来日でした。輸送の影響か馬体が細すぎるような気がしましたが、レースでは直線延々と続いた決闘的な競り合いを堂々と渡り合ういました。これぞヨーロッパのサラブレッドという感じでした。日本にはこういうタイプはいません。いかにも利発な牝馬という感じでしたが、このような内面がどうしてできるのか日本語にして誰かが説明しているところをまだ聞いたことがありません。

C6 C1 C5 C4

カコイーシーズはイギリスの主場の開催で善戦してきた馬でカッコの良い馬でした。古馬らしい風格があり、日本人好みの気合い乗りであったと記憶しています。アリダー産駒です。

Pi5 Pi2

調教では、アメリカのプティットイルに岡部騎手が騎乗しました。

Aw4 Aw6 Aw1

アルワウーシュは、アメリカで種牡馬になり、種付料は安いが良い子供を出すことで一時注目されましたがその後どうなったかは不明です。ヌレエフの産駒で、ヨーロッパからアメリカへ渡りアメリカ馬としての来日で、イタリア、アメリカでG1を勝っています。

Fg2 Fg4 Fg1

フレンチグローリーはオードと併せ馬をしました。ロスマンズ国際を勝ったサドラーズウェルズ産駒で社台で種牡馬になりました。

Fb2 Fb3

アメリカのファントムブリーズもアイルランドからアメリカに転じてマンハッタンHを勝っています。

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スタイリッシュセンチュリーは、豪のG1馬でした。

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「グループ1がやってきた。」90年ジャパンカップその1  ベルメッツBelmez (90年キングジョージ勝ち馬)公開調教より

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この年のジャパンカップが結局一番のレースではなかったかと思います。メンバーもやる気も揃っていました。

JCの目玉とされる馬は、この年のキングジョージ勝ち馬のベルメッツでした。エルグランセニョールの産駒です。馬体幅のある見るからに重厚で歩かせても走らせてもそんな重い感じの馬でした。ただ重めの馬が見せる鈍重さとは別のものでしたが。

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この年に「レーシングワールドビデオマガジン」が発売され、それまで苦労して海外から個人輸入していた海外ビデオが月刊として日本で手に入るようになりました。

ちなみに、ビデオの発売者はあの合田さんであり、グリーンチャンネルでおなじみの松岡アナが日本語吹き替えの音声でした。注文の電話をかけると合田さんが電話番をしておられ、彼に向かってまとめて買うお金がないもんで、3ヶ月とか小分けにして注文していた思い出があります。

B1 B2 B3 B4 B5

ベルメッツは、あまりに重厚すぎて、日本の軽い馬場には合いませんでした。

レースは、この頃は、JCの週に仮柵を取られて超高速のグリーンベルトが出現しましたが写真を見ていただくとわかると思いますが、ベルメッツが調教で使っているところは、取られた仮柵があった一番馬場状態の悪いところ、重いところなんです。そこでないと結局は馬場の跳ね返りなどで、彼のフォームの狂いが生じるとの判断だったと思います。

ビデオマガジンのなかでもレースの前の追い切りはフォームを整える事が大事だと有名な調教師が言っていましたが、それを必死にやっていました。そのほかの欧州馬も歩かせる時には芝生が長めになっている外側を歩かせてたり、外ラチ近くで併せ馬をした欧州馬もいました。

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しかしこれではレースになりませんでした。

他の馬の方が彼よりまだ固い馬場の適性という点では彼より優れていました。レースでも悪い部分を走り、伸びそうで伸びませんでした。

写真の騎手はコーセンなのか不明です。いまはデットーリですが、このころはコーセン鞍上がゴドルフィンの馬は多かったように思います。

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ヤエノムテキ 土曜日のヒーローの息子

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90年大阪杯

田舎から、大阪に下宿するようになり、競馬場に行くようになったけれど最初は人混みが苦手でほとんど空いている土曜日にしかいけませんでした。

このころは週休2日ではなかったので、土曜日は今の土曜日の午前中より空いているくらいでした。

名馬ニジンスキーの産駒であり、父の名前だけで1番人気に何度もなり、しかし気性が悪くいつも不完全燃焼ばかりのレースを決まったように繰り返し、どちらかといえば裏番組の土曜日にばかり出走していたヤマニンスキーは、私にとって、そのころのヒーローでした。88年オグリキャップと同年代の

その息子のヤエノムテキが皐月賞を勝ったとき、そしてオグリに勝って秋の天皇賞に勝ったときなんだか、感動とは少し違う熱いものが自分の中に生まれたことを憶えています。

上 88年菊花賞、下89年宝塚記念

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79年11月11ヤマニンスキー

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名脇役たち VOL.1 メジロファントム、スダホーク、ニシノライデン、オーバーレインボー

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こうやって列べてみて気づいたのは、どちらかといえば、2400㍍以上で強い血統が多いことです。

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メジロファントム(的場騎手)は天皇賞秋、有馬記念をハナ差で敗れていますので相当強かったのですがそれが絶好長期であり、少し足りなくなった他の時期では次々と名馬クラスが現れて、上回られてしまい勝てませんでした。とても格好いい馬でした。

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スダホークは85年ダービー、菊花賞と2着で、シーホークの産駒であり、中長距離を得意としました。冬の時期に関西へ遠征してきて田原騎手とのコンビで京都の重賞を連覇したりしました。なんだか悲壮感がない分強いって感じがしない馬でした。

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ニシノライデンはダイコーターの産駒で、84年秋に京都新聞杯を勝って、ルドルフの対抗として見なされてからクセ馬人生が始まりました。

シービーには1度先着、ミホシンザンにも僅差まで迫っており強かったのです。2度も斜行で斜行で失格になっています。

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オーバーレインボー(田島騎手)は、重賞の常連で「まだ走ってるか」と感心したくなるくらい走りました。あれだけ負けると強いって印象が無いんですけれど、日経新春杯に勝利しています。

調べれば年代はハッキリしますが80年代前半です。

しかし、クセ馬に田原騎手。。。。似合ってますね。

サルノキング 81年京都3才S 麻薬的末脚

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とんでもない末脚の持ち主でした。あの末脚には乗っていた田原騎手をはじめ、見ているものもまさに麻薬的なものがありました。

駄目だとわかっていても、先行して押し切れるとわかっていても、相手が強ければ強いほどあの末脚を味わいたくなってしまう。

八百長と言われたレースはそんなレースだったと思います。途中で故障していたことで、豪快に決めようとして外外を回したこと、先行馬ペース等不利を普通の追い込みの本命馬なみにうけて負けてしまっただけです。

たいしたことではないはずです。

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この2才秋のレースも見えないところからあっという間に追いついて突き放して楽勝のレコード勝ち。。ちょっとこのタイプは、いませんな、ディープのまくりを250㍍くらいでやる感じと言ったらいいでしょうか。凄い凄い凄い馬でした。

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スーパークリーク 「強かったけれど。。」

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90年4月大阪杯、白スーパークリーク、桃オサイチジョージ、7ヤエノムテキ

88年に菊花賞。武豊騎手の初めてのクラシック。

89年に第100回天皇賞をオグリを押さえて優勝。

90年春の天皇賞に勝って、秋春天皇賞連覇。強い馬でした。勝つべきところできっちり勝つ力が印象的でした。

オグリキャップ、イナリワンとならんで3強と言われた時代は、競馬も幸福な時代でした。

この3頭からG1を勝つような馬が出てこなかったのが不思議というか。それが何かいろんな意味で日本の競馬にたいして意味があることではないかと思うのですが。

なぜあれほど素晴らしいものに見えた因子が伝わらないのかって、まさに現代までつづくテーマだと思うのですが。

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88年菊花賞↑90年春天皇賞↓外イナリワン

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90年大阪杯、8オサイチジョージ

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89年JC公開調教↓武豊

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90年京都大賞典

89年ジャパンカップ公開調教 世界レコード前夜 ホーリックス、キャロルハウス、スーパークリーク、オグリキャップなど

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ホーリックス

JC観戦は、段々と競馬場に人が増えてきたこともあり、また私的には、外国馬を見られることが、観戦の目的でもありましたので、この年から公開調教にできるだけ行こうと思いました。

まだ関西馬が、直前入厩でなく、水曜日くらいに輸送され、東京で追い切る事も多かった時代であり、外国馬にスーパークリーク、オグリキャップの関西馬の追い切りが見ることができました。

Hs5 Hs6 Hs4 Hs10 Hs1 Hs14

↑ホークスターは、2分22秒8の世界レコードホルダーで、先行馬でしたが、両足のかき込みは強力なものがあり、筋肉の盛り上がりが素晴らしく、なるほどと思わせる馬でした。この馬はアメリカ三冠で全て5着になったあと芝に転向し先行して4連勝し、前走世界レコードを逃げ切りでマークしていました。

As3 As2

アサティスは、欧州の表舞台で勝ち負けを争ってきた馬、走りも真っ直ぐで違うなと感じさせてくれる雰囲気を持っていました。輸入されこの後地方競馬で大成功します。

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イブンベイはミルリーフの大きい馬でした。この馬が一番活気はありました。来日したときは4連勝中で逃げ馬でありこの馬が好調を保っていたことが世界コードの一因となりました。

Kh4 Kh1 Kh3 Kh2 Kh5

キャロルハウスは、前年のトニービンに続いてのその年の凱旋門賞馬の来日でしたが、凱旋門賞自体が道悪で行われ彼自体重馬場が得意であり、それだけでも疑問符がつくのに、首も足も動かない感じで輸送で体の線もガックリ来ている事がわかり、迫力が全くなく、調教も直線の坂を上った平坦な場所を使って、全く軽い調整がが行われた程度でした。凱旋門賞が終わった後、社台に購買され、レースには社台の勝負服で出ていたと思います。

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ホーリックスも抑え気味のやや早いくらいのキャンターに終始してすぐ切り上げてしまいました。あれで、3日後に世界レコードをつくれるのだから、いまでも不思議です。

資料によるとG1では5戦3勝2着2回で来日しており、厳しい流れの方が得意だったようですが。

Ts2

ほかには、フランスのロワイヤルオーク賞勝ちがある超長距離馬トップサンライズもいました。彼はなんと2400以上ばかり使われているため、実質今回のレースが一番短い距離での出走となりました。

Sc2 Sc12 Sc9

スーパークリークは、第100回の秋の天皇賞に勝ち、2000㍍よりはさらに有利な距離になり、このレースの本命でした。調教も非常に具合が良さそうでしたが、ハイペースのレースに少しついて行けず敗れることになります。

Og6 Og3

オグリキャップは、マイルCSを勝って、連闘での挑戦でしたので非常に軽い調教でした。なんだかこちらが感情移入してしまうせいで、徹夜明けみたいな独特の熱っぽさを感じてしまいました。

ラフォンテース 合い言葉は「ネバーセイダイ」

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阪神4才牝馬特別(桜トライアル)

走り続けた馬でした。デイリー杯3才S、阪神3才S等に2才時連戦連勝します。400キロを少し上回る位の馬体でなかったかと思いますが、小さな鹿毛でも目立たない色の馬でした。

阪神3才Sで2着に負かしたのが後に菊花賞をとるノースガスト、4着にダービー馬オペックホースですから、相当強かった。

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3才になってからは、斤量が重くなったことや阪神3才等の連戦の疲れが抜けなかったことが原因だと思いますが、勝てなくなります。

写真の阪神4才牝馬特別では、ノーザンテーストの初年度産駒のシャダイダンサーに敗れます。彼女の父フィルモンはネバーセイダイ産駒でした。

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(3才秋 京都牝馬特別 6番)

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81年マイラーズカップ岩元騎手

その当時、ネバービートやシプリアニなど父を英ダービー馬ネバーセイダイに持つ種牡馬たちが、テスコボーイなどのプリンスリーギフト系とともに幅を効かせていた時代でしたが、段々と世界的に勢力が拡大していったノーザンダンサー系の日本ではほぼその最初の種牡馬でもあるノーザンテーストの力に最初に試練を受けたのが彼女であったとも言えます。

4才の夏に小倉記念などを3連勝し阪神の朝日CCで4連勝、復活をはたしています。

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その後は振るわず写真の82年宝塚記念が最後となります。

母父がムーティエであることで長距離のレースも使われたようですが、成績一覧を今見るとあまりに厳しいレース選択で使われているのに唖然とします。

今のように牝馬路線があったら。。。ハッピーエンドが待っていたかもしれませんが。

ラフォンテーヌと登録しようと関係者に渡したメモの勘違いでラフォンテースとなったようです。

あまり知られていませんが、額にきれいな流星がありました。

タマモクロス 88年天皇賞春、宝塚記念 ひたすら一直線に

Tc3

88年JC2着 (JC詳細は別途JCの項で。)

タマモクロスは、3才の秋から連勝し、4才となった88年に春の天皇賞に勝ち、宝塚記念に連勝し、そこからぶっつけの秋の天皇賞に勝ち、初めて同一年に天皇賞を連覇した馬となりました。

その後、JCで2着、有馬記念では、秋天皇賞、JCと先着していたオグリキャップに先着を許しています。

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88年春天皇賞

春の天皇賞の時、当時タマモクロスロードと呼ばれていた最内を通っての完勝には鮮やかさを感じましたが、誇張してしまうのかもしれないけれど当時タイキシャトル並に強かったニッポーテイオーを、相手にとっては適距離でないかもしれませんが宝塚記念であっさりとねじ伏せたのには感動しました。

スタンドの歓声が今までの競馬の冬の時代では聞かれなかったような爆発したような歓声で。。ようやく競馬が盛り上がってきたって、とても嬉しくて仲間と思わず涙を流しあったレースになりました。

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88年宝塚記念 9ニッポーテイオー

父シービークロスは、最後方からの追い込んでくるような差し馬でしたが、関東の前哨戦を圧勝してきた80年の天皇賞では、小回りの阪神で開催されたことが災いして、直線で追い込みきれず小差で敗れています。

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80年春天皇賞パドック 9 シービークロス 吉永

京都改装のため阪神で開催

88年ジャパンカップ 名馬はおどらず、トニービン、タマモクロス、オグリキャップ

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タマモクロス、オグリキャップと強力で個性的な芦毛2頭が揃い、そこに凱旋門賞勝ち馬トニービンが参戦してくる88年JCは、これをどう比較して良いのか少し迷いながら見た記憶があります。

Tb1 Tb4

Tb5

Tb10

この年に凱旋門賞を勝ち、レースの目玉であるトニービンは、身体の線が強く見えて体型も自分の好みでしたのでよく見えました。キャンターが排気量の違う外車みたいで騒々しくて身体能力は違うなと感じました。

Tc3 Tc6 Tc7

タマモクロスは、イン強襲ばかりで連勝し、同じ戦法で春天皇賞を勝った後、当時負けようがないなと感じさせるくらい次元の違ったニッポーテイオーを宝塚記念で正攻法で負かしてしまいます。秋の天皇賞では先手先手で圧勝して、可能性がどんどん広がっていく感じでした。

Og2

Og1

Og5

オグリキャップは中央2戦目の毎日杯にヤマニンスキー等に勝ったときの口取りで、頭から首にかけて首から肩にかけてのラインがルドルフにそっくりで思わずハッとして、この馬の可能性を最大限信じ込んだのですが秋の天皇賞で正攻法で競馬をしてタマモクロスの前に少しスタミナがないかなと思わせる競り負け方をしたので馬自体より私は河内騎手がどう乗るのだろうと思って見ることになりました。

他にも、峠は過ぎたけれど豪州の名馬であるボーンクラッシャーもいました。

Bc2 Bc3

ボーングラッシャーは豪G1を4勝

K1 K3

13コンドルはG1を2勝している

Mm2 Mm3

ムーンマッドネスはセントレジャー、サンクルー大賞勝ち

エデリー騎乗↑、7マイビックボーイ、1セイラムドライブ

マイビックボーイはG1勝ちあり、アメリカから

Mbb1 Sd1 Sh5

イギリスのG1馬シェイディハイツは柴田政人騎乗↑

Sp2 Mj1 Gc1

2スズパレード、10メジロデュレン、4ゴールドシチー

ドイツからはコンドル、セントレジャーを勝ったムーンマッドネス(もっと良い馬かと思いましたが )等状態はどうであれ、名馬と呼べる馬が多かったのですが、レースはタマモクロスがトニービンを見ながら正攻法の競馬、オグリキャップは桜花賞馬が距離不安を言われてオークスを走るときのように、少し馬群をさけながらゆったりと楽にはしらせて直線だけのばされる感じで乗られました。

Pb1 Pb2 Pb3 Pb4

ペイザバトラー↑ここまでG2を1勝(3勝)↓1周目

21

27

結果はトニービンは故障で伸びず、同じようなタイミングから伸びてきた芦毛2頭がどうしても馬場中央のトニービンのほうへ寄ってレースをした分、内が開いてそこを名手マッキャロンのペイザバトラーにやられた結果となりました。

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ただ可能性を確かめながらの競馬が消極的とバブル全盛の時代には思われたらしく、オグリから河内騎手がおろされる結果となったのはとても残念でした。3着の結果はオグリの無限の可能性を表していてレース後感動していたのです。

トニービンは詳細がザグレートホースの項にもありますのでそちらを見てください。

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モノクロの中の名馬 キングスポイント

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モノクロの写真は、ネットで調べたところ、81年1月の障害オープンの写真になります。

1月で雨が激しかった以外なにも記憶はありませんが。キングスポイントは、テンポイントの弟として期待はされましたが見るからにノホホンとした大きな馬で、流星もなく、平地での成績も1勝と振るわず、どうなるかと思いましたが、障害になって2連勝し、初めてオープンがこのレースでした。その後中山大障害、京都大障害などにも優勝しました。

最後は悲しい結果とはなりましたが名障害馬でした。

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たしかまだ障害が上手く飛べなくて、急に何カ所か下手になる飛越があり、3連勝はしてもその春に障害が難しい中山に行けるほどではなかったと記憶しています。

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カラーの方は、障害で勝ち星を重ねて、大きなレース以外では斤量が重くなり過ぎるため、秋の障害の大きいレースの前哨戦として82年の京都大賞典を使ったときのもの。

鞍上は障害では後のダービーJの小島騎手ですが、なぜか平地ということで鹿戸騎手です。

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