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輝きの中の翳り 85年有馬記念 シンボリルドルフ Symboli Rudolf

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Symboli Rudolf

86年のルドルフの長期海外遠征が既成事実となり、国内ラストラン、海外遠征壮行レース的な意味を85年の有馬記念が持ちました。記念入場券には、慣例である前年度のゴール前の写真でなく、前年の勝ち馬であるルドルフの顔写真が使われており、窓口で受取った時に感激したことを憶えています。

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対戦していないのは3才でこの年の皐月、菊花の二冠のミホシンザン。ひょっとしたらって穴党の火曜日や水曜日のマスコミが騒いだだけで、有力な2着候補ではあっても勝ち負けまではいかないというのが大方の見方でした。

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(話ははずれますが)  ミホシンザン

84年の春は、東京等にも大雪、長く冬の影響でで芝の生育が5月でも遅れた状態で4月中山開催は最悪馬場になりました。ルドルフはその馬場の大外を通って2分1秒1。94年ナリタブライアンが破るまで皐月賞レコードでした。古馬オープンが2分5秒1、勝ち馬古馬№1のホリスキー。4秒差。春の中山開催で古馬のベストは3月のオープンの2分2秒3。2分1秒台を出せたのは、ルドルフとそのライバルのビゼンニシキだけ、つまり古馬オープン(現在なら馬のレベルが上り、準オープン戦くらいが妥当かもしれませんが、準オープンのレベルとしても)を1秒以上上回るタイムで走っていることになります。

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85年に稍重を2分2秒1で走ったミホシンザンも相当早く皐月賞のパフォーマンスでは歴代上位だと思います。でも84年に比べるとそれでも1秒以上遅い。もし現在のように悪い馬場に仮柵をして実質コースを短くして今の高速馬場で84年の皐月賞をやったなら、1分56秒台前半が出ても不思議はないことになります。そんな馬が2頭いたんです。

そして2頭とも子供も孫もG1に勝ちました。

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85年有馬記念当日は小雨交じりでホント寒い日でした。ルドルフは普通の出来でした。いつもならもう少し凄みがパドックでは伝わってきていたのですが、別に悪いところはないけれど、普通としか感じられませんでした。

しかし、返し馬のキャンターは素晴らしかった。直線の坂を下ってくるのでスピードがでていて当たり前とはいえ、早い、乱れない、のキャンターの迫力は身体に痛い感じがするものでした。

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レースは少頭数で逃げ馬がいないため、途中からルドルフが馬なりで引っ張ってそのまま直線だけをやはり最後の国内であることを意識してかビッシリ伸ばされましたがミホシンザンとの差は5馬身しか離れませんでした。

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何度も、着差を掲示板で確かめました。これは何かがおかしいと思いました。あとで仲間と話していた時も、5馬身しか離せなかったことに違和感をもったとの意見が大半でした。その方が自然に聞こえました。

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いまこんなことを言ったらその名馬のファンに袋叩きにあいますが、強い二冠馬を相手に大楽勝してるんですから。でも大楽勝の部類にみんなが入れられないと感じるほどルドルフは強かったと全員が感じていたことになります。

いまとなっては、天皇賞、JCのあとの、この3連戦独特(レースの並び方、この間隔での調整)の疲れが原因であることは説明がつきます。でもそれよりきついローテーションで前年度有馬記念を圧勝しており、その時には、それが何故かはまだわかりませんでした。

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海外遠征はまず3月末サンタアニタ遠征に決まりましたが、やはり3連戦の疲れが抜けないうちに準備をしたせいか少し熱を持ったまま(噂)の渡米になり、あちらの動物検疫所で他の家畜類と同じように檻の中で3日間を過ごして、すっかり出来は落ち、脚には熱が出て、稽古不足で体型さえ整わない状態になり、それでも滞在1ヶ月弱くらいで出走させ、故障を発生し勝負にならず着外に敗れます。

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いまとなっては情報不足のまま関係者が美味しい誘致の話に全く安易に乗ってしまったことが原因でしょうが、関係者はスピードシンボリの遠征をはじめ、海外経験もあり、勝てる相手は判断できるはずです。当時シンボリ専属のような岡部騎手になんとかG1をとらせてあげたいとの思い等、3才、4才時に海外遠征の企画だけで終わったために募りに募った数々の夢の重さが、最後の最後に馬の状態を軽んじて、関係者に先を急がせてしまったように思えます。

ルドルフは帰国後、JCをぶっつけで狙うためシンボリ牧場で調教を積まれていたようですが再度の不安発生で引退となりました。

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(91年シンボリスタリオンにて)

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