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2007年11月

サンアディユ 京阪杯より

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57キロを背負いながら、スキのないレースで必ず最後のびてくる感じを受けたのは鞍上が武騎手であったためだけではないでしょう。強いです。気のせいでしょうが、馬が自信持ってる気がします。

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アドマイヤオーラ 復活は鳴尾記念?

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シンザン記念↑

これだけダイワスカーレットが強いと彼女に先着した馬たちも当然注目を集めることになります。ウォッカがJCで一番外をまわしながらの古馬相手に4着にも唖然としましたが、シンザン記念でなんなくダイワスカーレットを切り捨てた感のあるオーラも長い骨折明けになりますのでどうかはわかりませんが、それなりに適正距離であると思われるマイルから10Fまでならいきなりチャンピオン然とした走りを期待しても良いのではと思います。

新馬戦より

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シンザン記念より

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アグネスアーク、ノットアローン、ニュービギニング、秋のタキオン産駒たち

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アグネスアークの骨折はとても残念でした。タキオン産駒も早熟とばかり言われていましたが、休養をとりながら、馬本位で使ったなら、2歳時には、他よりも完成が早いため、勝ち上がりやすく、その後もジワジワと古馬まで成長ラインを描けるのが特徴のようです。

1年目の産駒は、戦略的に早熟な馬が多い気がしますがそれでもアークのような馬も出てきているなど血統的な奥行きも十分ありそうです。ただ、マスクをしている馬が多いなどやや神経質であることは、今後の育成、調教面等の課題ではあると思います。

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ノットアローン この前負けましたが、姉ルミナスポイントの距離適正を考えるとマイルまでという感じもします。距離が1800、先着した馬が強すぎては苦しくなるのは当然でした。

変な感じ方ですが高級感を感じる毛色をしています。

綺麗な馬です。

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それから言うとニュービギニングはこれからもボチボチ強くなって5才頃大きなレースに出ているかもしれません。

この兄弟はまだまともに5才時を送った馬がいないので、ボチボチ頑張ってほしいと思います。

「笑顔の革命」 82年第2回ジャパンカップ その2(レース) ハーフアイストhalf Iced、オールアロングAll Along、エイプリルランApril Run

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10ハーフアイストHalf Iced、2オールアロングAll Along

写真でわかるように当時ターフビジョンなどなく、肉眼では競馬場どこでも目の前を通り過ぎていく時間だけ、10秒足らずしか実際は見えませんでした。資料も少なく競馬ブックの週報があるくらいで、資料を自分で作らなければならない時代でした。そんな時代に素晴らしいとスタンド全員が喝采を送ったレースが第2回ジャパンカップです。

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上 一周目、赤帽ジョンヘンリーJohn Henry、黄色8スタネーラStanerra

下 11エイプリルランApril Run 

レースは、坂を一団で固まって、叩き合いをしながら上がってきました。

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その固まりの中から、オールアロングが鋭い切れ味でグイッと伸びたところを大外から伏兵のハーフアイストが差し切って通り過ぎてゆきました。

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迫力に押されて脚立から落ちそうになりました。風が起こった感じでした。

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勝利を確信して完璧に乗っていたの、あまりのどんでん返しにオールアロングののムーアは、1着馬に対して、声を上げ、拳を振り上げました。第2回JCは競争でなく、戦い、決闘でした。

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僅かの負けに、ガックリとしてオールアロングのムーアが引き上げてきたところ、スタンドからは万雷の拍手がおこりました。まだ準優勝という概念が色濃い時代でしたから、素晴らしい競馬をした2着馬に外国人の想像を超える大きな拍手を送ることは日本人としては条件反射でした。

いまの競馬場、JCと違うところは、ここだと思います。

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2着である自分に対しての拍手であることに、驚き、満面の笑顔になり、遅れて引き上げてきた、1着馬のハーフアイストをオールアロングのムーアが呼びよせて、握手をして、二頭でウィニングランをしました。二頭が引き上げるまで拍手は止みませんでした。

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76年深夜にイギリスダービーの生中継があり、テレビを見ているだけなのにゴール前の迫力に押される感じがしました。日本でその迫力を感じたかったのですが、それが第2回JCでかなえられたのです。素晴らしいレースでした。当時家庭用ビデオデッキが普及し始めたころでしたが、関係者の中には繰り返し見ることで意識が変わった方もたくさんいたと思います。まさに革命でした。みんな笑っていましたが。

「笑顔の革命」 82年第2回ジャパンカップ その1(パドック) オールアロング、ジョンヘンリー、エイプリルラン、スタネーラなど

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ヨーロッパの競馬がパドックに出てきてからレース発走までが30分まで位で行われているため、この前例のない国際レースはそれに習いました。

電話もPATもない当時は直前の売り上げが多くの比率を占めており、売り上げを稼ぐため通常直前のレースから、大きなレース発走までのインターバルは50分近くもありました。そのインターバルは変更せずにパドックに出てくる時間を20分遅らせたものですからパドックには人、人、人。現在のG1でも考えられないくらいの混雑でした。 

オールアロングAll Along↑↓)

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馬服を着てパドックを馬が歩いたのもこれがはじめてのこと。オールアロングでした。82年のヴェルメイユ賞を勝ち、道悪の凱旋門賞を大敗しての来日です。

厩務員が馬に笑顔で話しかけながら歩いていました。当時はパドックで馬に話しかけることはありませんでした。

叱ることはあっても。

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「ジョンヘンリーなんかに負けるな!」ヤジにスタンドがドッと湧いたとき日本語のわからないはずのフランス人の2人はオールアロングの目を見ながら一緒に笑いました。

馬はその中であくまで静かにしていました。オールアロングはいままで見たこともない推進力を感じる歩き方でした。

彼女は次の年の83年凱旋門賞を勝ち、その後北米に遠征、国際レースを3連勝して、アメリカの年度代表馬に選ばれています。

オールアロング↓

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外国馬と比べると日本馬は少し綺麗すぎるようにみえました。写真はヒカリデュール、東海公営から9月に中央へ、JCを差のない5着で日本馬最先着。この後有馬記念を勝ちます。

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ヒカリデュール↑

スタネーラは、この来日当時は、いわば準オープンから上がった位の位置でしたが、次の年5才になって83年ロイヤルアスコットを始め前半シーズンのヒロインとなります。 

スタネーラStanerra↓

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それにしてもスタネーラの踏み込みはもの凄いものでした。後ろ足が地面を突き刺しているような感じで、地面が揺れるのでないかと大げさでなくそう感じました。

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エイプリルランは、凱旋門賞を外をまわして追い込み切れず、1馬身差ほどでたしか5着に負けて、その後北米に渡り、国際レースを圧勝してから参戦してきました。誰がみてもこのレースの本命でした。長旅のため、明らかに身体はガレていたのですが、少しも苛だ立つ素振りを見せませんでした。

ただし凄い歯ぎしりの音。パドックの間ズッと歯ぎしりをして、他の無駄な事はしないで耐えている感じでした。競争をする意識が馬にこれほど強くあること、強く持つことができること。馬それぞれに個性があること。彼女が教えてくれました。

エイプリルランApril Run↓

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センチュリアス、イギリスの名馬グランディの弟でセリで超高値で取引されました。これはホントに形の良い馬でした。グランディは私が最初に憧れた外国馬です。

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ジョンヘンリーJohn Henry 他の馬と比べ強固な感じがしました。筋肉が鉄みたいで。毛艶が変な感じがしました。いわゆる悪い汗をかいていたのだと思います。輸送疲れがあったのだと。

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アメリカの生きている伝説が目の前にいたこと、その後に年度代表馬に返り咲いた名馬をみれたことは大変な幸運ですが調子が悪く見えて、ヨーロッパ馬の方が上に見えて、アメリカからの勝ち馬を結局十分に見なかったのが少し残念でした。

鞍上のシューメイカー騎手には、カメラを向けているだけで緊張してしまいました。 

優勝するのはハーフアイストHalf Iced↓

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フロストキング↑ 前回2着ですがこのメンバーではかすんでみえました。それほどレベルが高いドリームレースでした。

カイザーシュテルンはドイツから↓

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イタリアのスカウティングミラーは父デットーリ騎乗↑

外国馬をパドックで見てから馬券を買おうとの人が発走まで時間がないので馬券売り場に急いだため、売り場への人の大きな流れができて本馬場入場を見ようとしてもその流れに邪魔されて前に行けず、おもわず人に体当たりして道を開きました。そのためオールアロングの入場は遠くからみることに。。ほんとピントが合っているのが今でも不思議。

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その2へ。。。

スイープトウショウ 感謝 またあいましょう!

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ここまでの 道の遠さよ 冬日向 (牧人)

うろ覚えですが、シンザンの引退式の時に調教師で俳人であった武田文吾さんが読んだ一句です。

女王杯で最後のパドックのスイープをみていたら思い出してしまいました。

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スワンS↓

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ダイワメジャー ゴール前の覇王07年マイルCS

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直線横風が強いレースでしたので、小さい馬の方が苦しかったかもしれませんが、それにしてもダイワメジャーの勝負を決める時の迫力は凄い。

「ノド鳴りを克服してでなく、ノド鳴りがあったのにこの実力」と生産者である社台ファームの方が言っていたように無事なら、どこまで走ったのやら。。

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ダイワスカーレット 秋より紅い新女王誕生! 07年エリザベス女王杯

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名馬の域に入ってきましたね。今後は、馬が自分の強さに誇りを持てるような使い方を希望したいですね馬主さんが関東なのでそうもいかないのでしょうが。

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この体系になって、関西圏の牝馬G1を全部勝ったのはスカーレットが最初でしょうか。

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オグリキャップ 89年マイルCS 夢の中の夢

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「オグリキャップが来ました!」名マイラー、バンブーメモリーを直線絶望的な位置から差し返した89年マイルCS、連闘でJC世界レコード2着。

オグリが走るたびにファンが倍々になっていった感が、ここからは始まった感があり、おのずとブームがやってきました。この勝利にはブームの起点となるだけの価値が確かにあると思います。

「負けられない南井と譲れない武豊!」杉本アナもさすがです。

冒頭のアナウンスに驚いてカメラを向けたので、トリミングしてもこんなもんです。

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↓連闘で挑んだ89年ジャパンカップの公開調教より

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順番が違いますが、3歳時の88年3月の毎日杯(1着)、

88年ジャパンカップ(3着)。

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タイキシャトル 97年マイルCS 世界への第一歩

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2着になったキョウエイマーチが冬毛はあるものの本当に最高の出来でしたが、直線であっさり突き放しました。強さにあきれました。

写真をとっていた横でタイキシャトルの会員の方であろう女性が涙がとまらずに携帯で話していたのが印象的でした。

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サッカーボーイ 88年マイルCS

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その差脚は、スタンドで見ていながら、風圧を感じるものでした。できればもう一頭超個性派の産駒が見てみたいですな。

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輝きの中の翳り 85年有馬記念 シンボリルドルフ Symboli Rudolf

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Symboli Rudolf

86年のルドルフの長期海外遠征が既成事実となり、国内ラストラン、海外遠征壮行レース的な意味を85年の有馬記念が持ちました。記念入場券には、慣例である前年度のゴール前の写真でなく、前年の勝ち馬であるルドルフの顔写真が使われており、窓口で受取った時に感激したことを憶えています。

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対戦していないのは3才でこの年の皐月、菊花の二冠のミホシンザン。ひょっとしたらって穴党の火曜日や水曜日のマスコミが騒いだだけで、有力な2着候補ではあっても勝ち負けまではいかないというのが大方の見方でした。

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(話ははずれますが)  ミホシンザン

84年の春は、東京等にも大雪、長く冬の影響でで芝の生育が5月でも遅れた状態で4月中山開催は最悪馬場になりました。ルドルフはその馬場の大外を通って2分1秒1。94年ナリタブライアンが破るまで皐月賞レコードでした。古馬オープンが2分5秒1、勝ち馬古馬№1のホリスキー。4秒差。春の中山開催で古馬のベストは3月のオープンの2分2秒3。2分1秒台を出せたのは、ルドルフとそのライバルのビゼンニシキだけ、つまり古馬オープン(現在なら馬のレベルが上り、準オープン戦くらいが妥当かもしれませんが、準オープンのレベルとしても)を1秒以上上回るタイムで走っていることになります。

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85年に稍重を2分2秒1で走ったミホシンザンも相当早く皐月賞のパフォーマンスでは歴代上位だと思います。でも84年に比べるとそれでも1秒以上遅い。もし現在のように悪い馬場に仮柵をして実質コースを短くして今の高速馬場で84年の皐月賞をやったなら、1分56秒台前半が出ても不思議はないことになります。そんな馬が2頭いたんです。

そして2頭とも子供も孫もG1に勝ちました。

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85年有馬記念当日は小雨交じりでホント寒い日でした。ルドルフは普通の出来でした。いつもならもう少し凄みがパドックでは伝わってきていたのですが、別に悪いところはないけれど、普通としか感じられませんでした。

しかし、返し馬のキャンターは素晴らしかった。直線の坂を下ってくるのでスピードがでていて当たり前とはいえ、早い、乱れない、のキャンターの迫力は身体に痛い感じがするものでした。

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レースは少頭数で逃げ馬がいないため、途中からルドルフが馬なりで引っ張ってそのまま直線だけをやはり最後の国内であることを意識してかビッシリ伸ばされましたがミホシンザンとの差は5馬身しか離れませんでした。

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何度も、着差を掲示板で確かめました。これは何かがおかしいと思いました。あとで仲間と話していた時も、5馬身しか離せなかったことに違和感をもったとの意見が大半でした。その方が自然に聞こえました。

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いまこんなことを言ったらその名馬のファンに袋叩きにあいますが、強い二冠馬を相手に大楽勝してるんですから。でも大楽勝の部類にみんなが入れられないと感じるほどルドルフは強かったと全員が感じていたことになります。

いまとなっては、天皇賞、JCのあとの、この3連戦独特(レースの並び方、この間隔での調整)の疲れが原因であることは説明がつきます。でもそれよりきついローテーションで前年度有馬記念を圧勝しており、その時には、それが何故かはまだわかりませんでした。

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海外遠征はまず3月末サンタアニタ遠征に決まりましたが、やはり3連戦の疲れが抜けないうちに準備をしたせいか少し熱を持ったまま(噂)の渡米になり、あちらの動物検疫所で他の家畜類と同じように檻の中で3日間を過ごして、すっかり出来は落ち、脚には熱が出て、稽古不足で体型さえ整わない状態になり、それでも滞在1ヶ月弱くらいで出走させ、故障を発生し勝負にならず着外に敗れます。

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いまとなっては情報不足のまま関係者が美味しい誘致の話に全く安易に乗ってしまったことが原因でしょうが、関係者はスピードシンボリの遠征をはじめ、海外経験もあり、勝てる相手は判断できるはずです。当時シンボリ専属のような岡部騎手になんとかG1をとらせてあげたいとの思い等、3才、4才時に海外遠征の企画だけで終わったために募りに募った数々の夢の重さが、最後の最後に馬の状態を軽んじて、関係者に先を急がせてしまったように思えます。

ルドルフは帰国後、JCをぶっつけで狙うためシンボリ牧場で調教を積まれていたようですが再度の不安発生で引退となりました。

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(91年シンボリスタリオンにて)

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メイショウホムラ って?

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メイショウバトラーの父であるホムラの写真が出てきました。

2才のデビュー戦を馬鹿勝ちしたこと、ダートで強かった

こと以外 なにも憶えていない状況です。でもバトラーに

似ている部分が多くあるような気がしますね。。

こういう馬が馬主さんに大事にされて種馬になり、そして

活躍馬をだして、血統をつくっていく、それで海外に通用

するのが一番いいですね。名馬の子供がどうだってのも

良いですが、何代も経てたとえばバトラーとサムソンの

子供とボーラーの間の子供でブリーダーズカップで勝ち

負けするとか。見てみたいですね。

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( 写真は、90年阪神3才S京都で施行だと思います。)

競馬界に喧嘩売らせていただきます!―水上学のニッポン競馬に口アングリー

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著者:水上 学

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ウォッカ、ダイワスカーレット、 秋に酔うのは?女王杯

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(秋華賞)

凱旋門賞を目指した以上、斤量的にも挑戦すると思っていたJCをやめてまで、ウォッカが女王杯にまわってきたのは、2度までも敗れたダイワスカーレットに雪辱を期すめでしょう。

ダイワスカーレット

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(アンカツが乗ると馬までアンカツに見えるのは何故?)

それにしても、2頭の相手はひょっとするとスイープトウショウかもしれませんね。前走1400だけに、ある程度スピード感が戻ったでしょうから、ついて行けずにあまりにも後ろからということもないでしょうし、余裕があった前走ですら、さすがの脚は使っていますし。

スイープトウショウ

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ミスプロ系だけに少し前でしのぎながらも鬼脚を使う芸当がまだできるかもしれない。追い切りができたらですが。

見たいのですが、土日で、休日出勤を一日して、どちらかを観戦に当てていたのですが、ついにその一日もこの週はダメとなり。。。

 

テンメイ 80年4月オープン

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この写真から25年以上たってしまったとは。。。いわゆるファミリーカメラでの撮影です。そのネガをスキャナして、加工したのが、この2枚です。最終レース平場オープン、このレースを勝ったニチドウタローが連闘で春の天皇賞を制することになります。

テンメイは、当時天皇賞は勝抜制のため、昨秋の天皇賞を勝ったことで春の天皇賞には出られません。2400㍍以上でその力を発揮する馬でしたし、天皇賞を勝つことで59キロ以上必ず背負わされることになり、活躍する場所が限られたかたちでの競争生活がはじまる時期でした。

最後に大外から気持ちの良い追い込みで2着に入って、さすがと思わせてくれました。

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キリッとしていて小さいけれど格好いい馬だなとその時思いましたが、今見ると強靱でガッチリしている部分があり、さすが大レースをとったステイヤーだなと感じます。

テンメイは牝馬で天皇賞と有馬記念をとったトウメイの子供です。(競馬場は前の阪神競馬場です。)

競馬解体新書―サラブレッドとファンのために〈上巻〉

おすすめポイント:
古い本ですが必見です。

競馬解体新書―サラブレッドとファンのために〈上巻〉

著者:大橋 巨泉

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