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日曜日の静寂 84年ジャパンカップ シンボリルドルフ Symboli Rudolf

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いまだに、不思議なんです。なんであの時にあんなことをしたんだろうって。

ルドルフは、11月第2週の菊花賞に勝ちますが、栗東トレセンに牧場から1週前入厩。菊花賞で無敗の三冠馬達成後、美浦トレセン野平厩舎へ帰厩。次の週の木曜に追い切って、JCの会場である東京競馬場へ、いわば外国馬より遅く入厩。体調が崩れ、東京入厩後、下痢便がでていたそうです。

菊花賞からJCへは今でも3才馬にはきついローテーションですが、この時代は3才馬参戦は実質的に想定されておらず、11月第2週の菊花賞から中1週でJCが組まれていました。

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中1週で参戦するだけでも大変なのになぜこのようにわざと負荷をかけたのでしょうか。後でわかるのですがルドルフが一番体調の悪いとされた秋の天皇賞の際には、当日輸送なんです。つまりこれが無茶だってことは、はじめからわかっていたことになるんです。

私には、わざと外国馬が背負う輸送の不利益などルドルフにどんな馬よりわざと負荷をかけておいてそれでもレースに勝つことで、能力をためして見ようとしたとしか考えられないのです。

カツラギエースに逃げ切られ想定していなかった日本馬に負けてしまっては何も言えない。。。関係者がもう亡くなってしまったため等々この件ついては謎だらけです。

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なにしろコスモバルクの長距離遠征よりも、オグリキャップの連闘よりも遙かにきついことを課して、日本馬が一回もJCで勝てない時代に、勝てると思って疑わなかったし、現実に体調を崩しながら後一歩のところまできてしまったのですから。

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2着争いではあったけれど、BCターフで1番人気のマジェスティーズプリンス、確かヨーロッパのレートで120Pという当時の高レートを持っていたベッドタイムと競り合って全くひけをとらなかった。しかも、マジェスティーズプリンスもベッドタイムも凄く状態は良かったのです。後のJCの外国馬で見られないほど。。。

当時日本のサラブレッドのレベルは現在と比べて低かったと思います。しかし、海外のサラブレッドのレベルは昔の方が少しだけだけれど高かったかもしれないと思います。

この後のバブル、円高により日本に大きく買われてレベルが下がった分だってあるはずで、賞金の低さ等、90年代になって訪れたヨーロッパ馬の低迷期がありましたから、それを脱してきてるとはいえ80年代と比べるとまだ低いのではと思います。

日本にいながらにして、世界レベルを知るためには、自分たちも疲れるだけ疲れさせた状態にして競争をさせる方法が一番合理的だったのかもしれませんが。

結果は勝てませんでした。

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レースは、日本馬が勝ったもののJC制覇を熱望されたミスターシービーが惨敗しましたので彼がスタンド前を引き上げる時の鞍上の吉永騎手へのヤジの大きさ、言葉の最悪の汚さは普通なら嫌な思い出としてそれが一番に残るのですが、その後に引き上げて来たルドルフの迫力が、そんな小さいことを思い出とする必要を作らせてくれませんでした。

負けた悲しみ、焦燥感が馬体に一杯になってあふれ出したオーラが全ての人を沈黙させました。

彼が走りすぎていったスタンドには、静寂の波がおこりました。

馬の悲しみが、馬券に外れた怒りを超越してしまった瞬間は、これが最初で最後だと思います。

その中にいた私は、「これは歴史的な名馬。とりあえず今はお金がないから次の有馬記念は無理だけど、来年全てルドルフのレースは必ず観戦しよう。そうしないと一生後悔する。」とカメラをデイパックに入れ、脚立を片付けながら思いました。

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