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「私の淀40年物語」1981年ミナガワマンナ(菊花賞)

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このころ面白くなくて、関東馬は思い切り強いし、81年の菊花賞はサンエイソロンの1強だし、ほかの馬もなんかピリッとしない馬ばかりだし、この菊花賞が面白くなかったら、というか面白くないだろうからここで競馬なんて世の中に認められてないものスパっとやめとこと下宿で競馬本を紐でくくっていた思い出があります。

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後でわかるんですが、サンエイソロン鞍上の小島騎手が日常トレードマークにしていたサングラスには度が入っており、レースではまだよいコンタクトがないので裸眼で騎乗するために、11月の夕暮れの曇りがちな日のレースで、はっきり見えない内側を突いてくるわけがなく、サンエイソロンの得意の内側急襲が物理的にできない、それで外を回す、それをシンザンの血が菊の香りで目覚めていて、先行していたミナガワマンナにまんまとやられた。4コーナーで見ていて、ぐっとミナガワマンナがレースの流れに乗って、その後を慌てふためいてサンエイソロンが追いかけていく。向こうのゴール前で歓声が聞こえる。また競馬場に来ようと思った瞬間でした。

「私の淀40年物語」1981年サンエイソロン(三冠トライアルレース全制覇)

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三冠レースの三つのトライアルレースをすべて勝ったサンエイソロン、いまでは語られませんが、実際見ていたものにとってクラシックロードでも強さは格別なものでした。

 

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淀での菊花賞のトライアルレースの京都新聞杯では、内側をズバッとついてきて、あっという間にセーフティリードという、もう菊花賞間違いなしと誰もが言ってしまう強さでした。

 

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このころの淀のスタンドは現在よりもっと最前列より馬場の方が高い位置にあり、最前列のラチによじ登って座って撮らないと、外ラチが邪魔になる作りであり、このことがやがて写真オタクが脚立をもってあちこち動き回ることにつながっていきます。いまとなってはホントにすいませんですが。(このレース写真はその外ラチを乗り越えて座り込んで撮りました。今なら確実捕まります。)

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「10ポイントの見出しで」スティッフェリオ(引退)

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10ポイントの見出しで出るような馬になってほしいがテンポイントの命名の理由、10ポイントの見出しではあまりに小さくて、それでよいのかって思っていたけれど、スポニチのサイトに景気の良い見出しの下に小さく「引退」の報。良かったとまではいかないもののじわっとしたものがあります。こういうことだったのかって、あなたがテンポイントだったのかって。

進路は乗馬であるとか、仕方ないです、ディープ系がキンカメ系に大きく差をつけられて、残すところはこの兄弟以外というか濃くならないバステッドのクロスを試していないことなんですが、このまま試さずに終わるのも少しね。あの捲るような脚を持つ産駒が意外と簡単にできたかもしれないので。ほんとここからの無事を祈ります。

「幸せでしたよ。ありがとう。だからくれぐれもお大事に」スティッフェリオ(引退)

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(小倉大賞典)

放牧先で屈腱炎が見つかり、広範囲だそうで引退となりました。仕方ないですね。よく走ってくれました。最後の10月の淀でもしかすると会えると思っていましたが、何しろバステッドを3代目にもって日本で成功していたのはディープインパクトの次がこの馬のはずで、ディープがいわゆる馬体にしては大きな爪を持っていたのににたいして、この馬はそれなりの大きさだったのでその分瞬発力がなかったけれど。

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(オールカマー)

だけれどいまのところ成功していない母父ディープインパクト、母父ディープ産駒にこの馬を交配すると、例えば古くはルドルフとジャパンカップで競り合って負けなかったベッドタイムもバステッドの孫だし、欧州重厚系で日本の芝に相性が良くて、しかも世界も走れる血統もできるかもしれない血脈を他より薄くしないで済むことができるはすで、自分の持ち馬でありながら、馬体の形も含めて、もう一押しあれば種牡馬になれて競争生活よりも良い未来が待っているものと思っていただけに、なんとかならないかと思いますが。。。それが残念ですね。(バステッドの血が濃くならないが薄くならないクロスでの可能性は結構あると思うんですが)

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(1歳11月)

初めて参加したツアーは、長い15年の介護生活が終わった次の年、それで目移りして訳も分からず牧草地を焦って動きまわっていたところを、ヌッと横切っていって「大きな馬だな」と感じたけれど、数字はそれほどでなくて、それなりにそれで可能性を感じて。そこからズッと幸せでしたよ。だからありがとう。くれぐれもお大事に。

 

 

「私の淀40年物語」1980年菊花賞(ノースガスト)

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新しいスタンドができて、1980年の淀は11月12月と開催がありました。モチノキがパドックに残って、ファンの暴動が相次いだため、馬道とスタンドの境に透明のフェンスができて、初めての大きなレースが菊花賞、凄い人でした。

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この前まで田舎の高校生だった私、人ごみのパドックに行くのが怖くて、ゴール前のスタンドで待ち続けた思い出があります。このころ場内発売分が全体の半分くらいあった時代、そのためレースのインターバルは50分と長く、結構長い間待っていて、晴天だったのでのどが渇いた思い出があります。

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良馬場だったので、道悪以外はパフォーマンスが圧倒的なモンテプリンスが絶対本命で、レースも堂々としたレースで、ゴール前まで来た感じでした。ところが望遠レンズの向こうで誰か大きな手が順番を入れ替えたみたいにノースガストが大逆転して1着、驚きと興奮が一緒に襲ってきて、菊花賞の凄さに圧倒されました。

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ノースガストは菊花賞まで仮服で走っていて、菊花賞が初めて勝負服を着てのレースでした。このレースの1年前、人気薄だけれど活気がある彼を見て阪神のパドックで心が動かされて、レースは評判馬を蹴散らしての1着、実際に競馬場でインスピレーションを感じたのはその時が初めてでした。そして巡って菊花賞制覇、私の競馬ライフの始まりに彼がいました。

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「私の淀40年物語」そのプレヴュー

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40年前はやたら記念入場券が出ており、取り壊される現在のスタンドができた時は、その開催は毎週出ていたと思います。今もパドックにあって、次のパドックにはなくなってしまうモチノキは、その1代前のスタンドの時から現在の場所にあったわけでなく、もっと北側多分、シンザンゲートからスタンドへ上がっていく階段付近にあって、当初取り払うはずが、京都といえばパドックのモチノキは必須であるとの声があちこちから起こって、今の位置になりました。

40年昔は、今より礼儀、礼節に個人が厳しい時代でそれをやりながらも個人の主張はハッキリする時代で右から左まで様々な価値観がありました。現在は、これだけの危機が迫っていても礼節は緩く、逆に個人は主張しないことが望ましい、主張はなにかに押し込めて誰かの強さを感じる言葉や感覚で自分を着飾っている感じ、主張が決して外に出てこないから何も動かない、だからモチノキ1本にしたってなんの議論も起こらない、押し込めている空間でお金が発生するのを競っているうちに時間が経過してしまう、昔競馬場にいると覚えた感覚が世間に充満していて、なんとなく競馬場にいた方が今ではその空気が薄いような気がする。それが40年なのかもしれないと。

グダグダ言いながら多分40本くらいこればかりと愛馬の話でこのブログは続くと思います。多分不要な記事を削除して、それで容量満了となるはずです。もうしばらくよろしくお願いします。

写真は、40年前の入場券を張ったスクラップブックです。

「ゆっくりと昔語り始めます⑫」シンボリルドルフ

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今になって思うのは、ダービーを使うときは夏に海外遠征、菊花賞を使うときには中1週でジャパンカップ、春の天皇賞を使うときには、7月のキングジョージと公言して、すべて遠征条件とか、体調とかが整わずに止めてしまって、結局ある程度余裕残しで戦ったレースをほとんど楽勝はしたものの完調ではなく、レースで本当にどれくらいの強さだったかを示せなかったのは、最強馬議論をその後低レベルなものに、例えばG1を何勝したとか等にしてしまわなかったかが今となっては気がかりすぎる点です。

完調ではなかった4歳秋に、ジャパンカップと有馬記念を圧勝していて、そのパフォーマンスをもって他の馬は名馬と呼ばれるレベルのことをやっていて、ルドルフを何度も見れたことは幸運だったけれど、本当にどれだけ強かったか知りたいと。

「うちの馬は今絶好調、だからルドルフの持ったままの5馬身差くらいまで来れる」ってレース前に有名な調教師が公然と胸を張った馬が前年の三冠馬ミスターシービーにほかのレースで肉薄している結果からも、言葉でなくほんとはどれだけ強かったか、レースで見たかったが本音です。それが競馬人生の中で一番残念なこと。

ディープの孫がやっとG1を制した2020年、ルドルフは2頭の孫がG1勝ち馬に、これから種付け技術も上がり繁殖にも恵まれているディープ系が追い抜くのは当り前でしょうが、意外と走っていない三冠馬の孫の世代でもいわば頭一つ抜けている結果が続いていて、惜しむらくは、今のトレセン近くのトレセン機能付きの外厩との往復がもっと自由にできるほどの量と質がその時代にあったら、故障が多く気難しいといわれた産駒の中からも種牡馬になる産駒が生まれてきて、その後大きく根を張っていたかもしれません。そんな時代が見たかったです。

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写真は85年春の天皇賞の時のもの、当時は馬場入場してスタンド前をグルっと1周する形、前の馬が暴れ隊列が乱れて、鞍上の岡部騎手は少し怒り気味、だけどルドルフは厩務員さんをからかって遊んでる、だから厩務員さんは笑っている、三冠馬対決と世間は騒ぎ、相手のシービーを応援するマスコミが多いためかシービーファンが自分たちに優先権があるかのようにパドックにシートを張って場所取りをして、それまでの見たいならジッと待ち続ける競馬ファンの鉄則が崩れた日、絶対の強さのルドルフは遊んでました。

※これで縦型写真を使った昔語りは終わりです。次は40年通い続けた京都競馬場の40年自分史を展開します。

 

「10秒で終わった、本当にごめんなさい」スティッフェリオ(宝塚記念惨敗)

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この馬の特徴は前に馬がいなくても折り合えること、行く気になってるのは1コーナーまで、あとは前に馬がいなくても落ち着いて走れる。逆に馬群に入れると手前も変えられなくなる。それが特徴、それを生かしたのが3月5月のレース、そして右ムチ、それだけで好走できる。だから外枠、雨で内側が悪いのも、もまれない外枠を走るはずだから有利に運ぶはずでした。

雨が降って、内が不利になのに外枠から控えたのはいいけれど、馬の後ろに1コーナーも来ないうちに、閉じ込められるところを選ぶように入れてしまった。そこで終わりました。完全な騎乗ミスというより事前学習ゼロの騎乗、2か月間12本も調教時計を出して懸命に頑張ってきた馬には、ほんと申し訳ないと思えてくる大間違いの騎乗ミス、本当にごめんなさい。

菊花賞がスタート後3秒で終わる0点騎乗を論外としても、去年の宝塚記念、ほかに遠慮して1コーナー前に阪神に不慣れな関東の騎手が馬を抑え込んで20秒ほどで終わったレースよりひどい騎乗にはならないと思っていただけに、あまりにもひどすぎる内側に外枠から先行能力のある馬を、馬群の中で走るのが無理な馬をわずか10秒で馬群で走らせようとする騎乗は。。本当にごめんなさい。

なにしろ前走まで同じように走っていた馬が好走しているわけで、そんな中で大間違いの騎乗での惨敗、本当に本当にごめんなさい。

 

「右か左か」スティッフェリオ(宝塚記念へ)

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スパっと好位から末脚が切れた福島記念は右ムチオンリーで好タイム勝ち、格下馬をなかなか抜けずやっと勝った小倉大賞典は左ムチオンリー、天皇賞にしても左ムチ入れて追いつかれ、そこから右ムチで盛り返して、1着馬はレースの疲労で宝塚記念にでてこれず。

騎乗予定の騎手での1週前の追切見ていると、追い出されから首を下げて反応が鋭かったが、左肩ムチ1発で首を上げて、格下に追いつかれていた。右回りだと、左ムチが主になる鞍上。なんとなくもういくら出来がよくっても大敗は見えてると思う。なんとかシンガリ負けだけは勘弁。お願いします。

それにしても、水曜日に上がりだけのCウッド、金曜日、日曜日に60秒を切る坂路。この中間追切だけで10本。調子は良い。だから左ムチだけは。そういうわけにもいかんやろけど。

「Troy4×4」ヴィクタールドラムVictor Ludorum

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フランス2000ギニーを日本の稍重よりは少し重い重馬場くらいの馬場条件で1分34秒4で勝ったヴィクタールドラム、前年の凱旋門賞で見ていました。どこまで写真を持っているのかわかりませんが、歩いといてよかったと思えるこの頃ではあります。

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血統をみると、母系は重厚というか、1980年代前半にかけてクラシック血統の一翼だったペティンゴの系統が並んでいます。その中でもトロイ、200回英ダービーを圧勝、愛ダービー、キングジョージに勝ち、このレースを3連勝することは当時のイギリスでは最強馬のトレンドでしたが、そのレベルをトロイも達成しています。のちに誘拐された名馬シャーガーもペティンゴの産駒であり、現在から振り返ると影は薄れてしまいますが、3歳春のパフォーマンスは歴史に残るものでした。

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ヴィクタールドラムはそのトロイの4×4を持っています。多分こういう馬たくさんいるでしょうから、何とも言えないのでしょうし、馬は気性が機嫌が最高の悪い時のレイデオロみたいな気性だったのでどうなるかはわかりませんが、距離が持ってしまう印象が本当になれば、この写真の元が十分取れるなと。ウフフ

 

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