86年は、冬の関西の重賞に前年ダービー、菊花賞で2着のスダホークが、適距離と当時のあまりの関西のレベルの低さを狙って、関東から来て勝ったりして、春になって2000のサンケイ大阪杯で負けて、1番人気で天皇賞に出てきました。前年の2冠馬ミホシンザンは故障、ほかの馬たちも小粒な感じがする馬、実力はあるけれど故障がちの何とも病的な感じのする馬やクシロキングのように明らかに2000くらいに適性があると思われる馬で、その中でやればスダホークが強いのはわかるけれど、世代2番手が明らかな馬だし、モンテプリンス、アンバーシャダイ、シンボリルドルフと見てきた春の天皇賞なので、なんだかスダホークが勝っても気の抜ける天皇賞だなと思ってみていました。
以前にカツラギエースという2000くらいでは強いけれど、3000超えるとどう乗っても惨敗する存在の印象が強かったからかクシロキングをその存在と重ねて見ていて、クシロキングが勝った時は自分の感性が壊れるくらいになって、長い間カーッとなっていた思い出があります。
1頭1頭個性は違うし、それぞれにこなせる距離や条件があるし、ともっとつぶさに馬を見ていかないとダメだなと、思い返すと現時点では思いますが、その時はダンダン若造が部署を任されて仕事に勝手に比重をおいて仕事ができれば鼻が高くなる頃でしたから、あんまりそれは思いませんでした。

レース後、競馬場で顔見知りになった同年齢の人が枠連万馬券になった特券を見せてくれました。「これで今年はトントンになった」の言葉にここまでどれだけ負けていたんだろうと、レースと同じくらいの衝撃があったのを覚えています。
クシロキングのレース写真はありません。馬場一杯になってのレースでそれがゴールに向かって集約してくる。どこを撮っていいのかわからないレースでした。80年代に入って天皇賞の勝ち抜け制度はなくなり、何度でも出走できるようになりました。上の3番が86年、下の10番が87年です。